569話 翻訳された世界文学

 前回、セネガルの作家センベーヌ・ウスマンのことを書いていて、いくつかのことを思い出した。まず、彼の『セネガルの息子』という小説のことだ。この小説は、1963年に藤井一行訳で、新日本出版社から出ている。「アフリカ文学日本語訳一覧」を点検すると、単行本として日本で初めて翻訳されたアフリカ文学が、この本らしい。http://www.bekkoame.ne.jp/~hirao-k/Africabooks.htm
 この本よりもちょっと早くに、アンソロジーに短編が収められている例はあるが、一冊の本として出版されたのはこの『セネガルの息子』が日本で最初に翻訳出版されたアフリカ文学かもしれない。そして、私が初めて読んだアフリカ文学も、この本だ。1963年はまだ小学生だから、出版と同時には読んでいないが、70年代に文庫で読んだ記憶があるのだが、調べてみれば、それはのちの版らしい。63年の版は、いかにも時代を感じさせるシリーズ名と編者名だ。この本の著者名表記は、「サンベーヌ・ウスマン」だ。「世界革命文学選」(日本共産党中央委員会宣伝教育文化部世界革命文学選編集委員編)全52巻のなかの第11巻、 『セネガルの息子』(サンベーヌ・ウスマン、藤井一行訳、新日本出版社、1963)だ。
 この本が同じ版元から文庫化されたのが1975年だから、私は出版されたばかりのこの文庫を読んだことになるようだ。このシリーズでは、1960年代にベトナムの小説も翻訳されていることがわかる。そのほか、他社から出版されている通常の世界文学全集とは別の作品が集められている。興味があれば、国会図書館の蔵書検索をしてみるといい。
 小説でなければ、『ケニヤ山のふもと』(ジョモ・ケニヤッタ理論社、1962)を先に読んでいるような気もするが、それがいつだったか記憶にない。日本で何度も版元を変えて出版されているアフリカ文学である『やし酒飲み』(エイモス・チュツオーラ)は、晶文社から1970年に出版されている。そのころ晶文社の本は、ちょっと背伸びをしたい少年たちには憧れの出版社で、私も新刊を常にチェックしていたから、このアフリカ文学が出ていることは知っていたが、読む気にはなれなかった。小説が嫌いだからだ。酒、晶文社、小説という連想で思い出したのは、アフリカ文学とは関係ないが、『たんぽぽのお酒』(レイ・ブラッドベリ)は71年の出版だった。表紙はよく覚えているが、これも読んでいない。
 文庫で思い出したのだが、私が初めて読んだタイ文学も文庫だった。『メナムの残照』(トムヤンティ、西野順治郎訳、角川文庫、1978)である。1978年に、どういういきさつで角川書店から文庫で出版されることになったのか、その裏側の歴史は非常に興味があるのだが、私は何も知らない。一般人には無名の小出版社から出たというなら理解ができるが、大出版社の、しかも文庫で出た理由はわからない。ただし、1978年の出版というのは、想像できる理由はある。
 田中角栄首相がタイを訪問し、反日デモに遭遇するのは、1974年1月だ。タイのあとで訪れたジャカルタでも反日暴動に出会う。「日本人はカネのことしか考えていない。現地の文化をまったく理解していない」といった批判を受けて、「アジアを知ろう」という動きがマスコミにも表れた。井村文化事業社発行、勁草書房発売という形で、フィリピンの小説が発売されるのは、『ノリ・メ・タンヘレ』(ホセ・リサール)が最初で、1976年だった。このシリーズのタイ文学では、『タイからの手紙』(ボータン)などが1979年でもっとも早い。その先駆けとなったのが、78年の『メナムの残照』ということだろう。
 このシリーズにインドネシア文学が登場するのは1982年からだが、同じころにこういう文庫も出ている。
インドネシア民話集』(花岡泰次・花岡泰隆訳、現代教養文庫、1982)
 ていねいに探せば、文庫で世界文学を少しは集められるが、読んでおもしろいかは別問題だ。
 センベーヌ・ウスマンに関して思い出したもうひとつのことは、その名前にまつわる話だ。彼が何族の出身か知らないが、彼が属する民族では、名前は姓・名の順で表記されるそうで、センベーヌが姓である。ところが、フランス語や英語の文章では、名・姓の順で表記される。そういう習慣は日本人でもよくわかる。Kenichi Maekawaと書くようなものだが、日本では西洋の表記そのままに、「ウスマン・センベーヌ」と紹介されたこともある。国会図書館の蔵書リストでは、ラテン文字表記では、「Ousmane , Sembene」になっている。Ousmaneが姓だという表記だ。