570話 『母と旅した900日』

 母は旅に出たいと言った。知らない世界を見てみたいと言った。チベットに行ってみたいと言った。いままで苦労ばかりの人生で、旅行などしたことのない母の夢を、息子はすぐに実現させたいと思った。カネのない息子はリヤカーを改造して、木の箱をつけて母用の寝台車を作った。その車を息子は自転車で引いて旅をすることにした。
 その母子が住んでいる中国の最北部、黒竜江省の塔河県は、ロシアまで100キロほどのところにある。家を出た時、息子は74歳、母は99歳だった。それから900日間の旅が始まった。「死をじっと待つには、過ぎた時間があまりに惜しまれます。だけど、まだ時間はあります。だから旅に出るのです」
 その旅行記、『母と旅した900日』は奇妙ないきさつで生まれた本だ。母子が旅していると、やはり目につく。高齢の母と旅する高齢な息子の姿を中国の新聞やテレビにも取り上げられるようになり、おかげで道中で人々の親切に出会うこともあるが、同時に人々の好奇の目にさらされるようになり、「感動的な親孝行物語」として報じられることに息子はうんざりしていた。旅を終えたあとは、故郷の塔河を離れ、マスコミから姿を隠した。
 韓国の作家、ユ・ヒョンミンは長期取材のために中国に滞在していていたとき、その母子の旅のことを知った。2002年のことだ。旅を終えたふたりにぜひ会いたいと、中国のマスコミにいる友人知人に調査を依頼すると、母は102歳ですでに亡くなっていることがわかった。息子はまた旅に出ていて、行方がわからない。その後も粘り強く探して、2005年にやっと息子に会うことができた。はるばる外国から会いに来た人なら、会いましょうという返事をもらった。しかし、本にはしないでくれといった。母を思う気持ちがゆがめられると思ったからだが、最終的にはインタビューに応じ、韓国での出版も承諾した。そういういきさつのある本を日本語に翻訳したのは、北朝鮮で長らく生活していた日本人だ。
 『母と旅した900日』(王一民、ユ・ヒョンミン、蓮池薫訳、ランダムハウス講談社、2008)が、その本である。訳者は今、翻訳家として生業を立てているというだけのことで、この本と北朝鮮はまったく関係がない。しかし、私自身には、まるで関係がないとはいえない。
 北朝鮮にいた日本人が韓国を旅したらどう感じるだろうかという興味で、『半島へ、ふたたび』(蓮池薫、新潮社、2009)を読んだ。この著者は、ほかにどういう本を書いているのか調べていたら、翻訳者として関わったこの旅行記を見つけたというわけだ。こういう本が出ているとはまったく知らなかった。
 韓国人作家ユ・ヒョミンは、母と子の長い旅を「孝の行為」、つまり親孝行の物語としてとらえて取材しているので、旅の詳しい事情はあまり出てこない。旅行資金をどうしたのか。旅の食と宿の話も、極めて断片的にしか出てこない。だから、この本を、「旅行記」としてとらえると、不満が残る。親孝行物語というのも、美談集のようでいやだという感情が私にはある。それでも最終章まで読み進んだのは、「さあ、すばらしい物語です」というようなテレビドラマの宣伝文句のような文体ではなく、淡々としたエピソードで埋まっているからであり、私もまた自分の母のことを思い出しながら読んだからだ。老いた母と暮らしたことがある者は、この本に出てくる母子の会話が身につまされる。だから、この本は、若者が読んでもなんの魅力も感じないだろう。若者には、血沸き肉躍る冒険記のほうがいいんかもしれないが、私にはこういう淡々とした旅物語のほうが好ましい。しかし、まあ、現実のふたりの旅は「淡々」どころではない。比喩ではなく、命がけの旅だったのだから。
 チベットに行くのは、初めから無理だと思っていた。三輪自転車でチベットへの坂道は登れそうになかったし、あの高度では母の命はないと思っていた。そこで、中国最北部から南下を始め、ついに最南部海南島に至り、今度は別の道を北上して帰路につくのだ。帰路の半分まで来た青島で、旅を終える決心をした。そこから自宅まで、あと1年かかる。その旅に耐えられる体力が母にはもうないと思われたからだ。テレビ局の協力で、そこから先は飛行機で帰ることにした。
 母子は、2年半の旅を終えて、生きて自宅に戻った。それからしばらくして、母は体調を崩し、亡くなった。102歳だった。
 息子は伐採場で働き始めた。旅の資金を作るためだ。80歳近くになった息子は、母の遺骨をリヤカーに乗せて、また旅に出た。母が行きたかったチベットへ、母の遺骨との旅だった。