572話 排泄文化論序章朝鮮編  その1

 そもそもの話


 いままで不定期ではあるが、年に一度くらいは便所本特集をやってきた。日本語の本はかなり読んだので、革新的なものはもうほとんど望めないので、もっぱら外国の本を紹介してきた。2013年の秋にもアマゾンで検索したのだが、めぼしいものは見つからない。そういえば、この雑語林334話(2011年)で紹介した”Toilets of the World”は、のちに『世界の変なトイレ』(エクスナレッジ)として翻訳出版された。翻訳のチェックはしていないが、原著よりもちょっと高いくらいの値段だから、買うなら日本語版の方が得だろう。残念ながら、前川推薦本だから、多分売れない。
 私がトイレに興味を持って調べ始めたそもそものきっかけは、旅先で毎日出会うトイレから、比較便所学、あるいは便所の比較文明論のような興味からだった。折に触れてその関係資料を読んでいくと、私の興味はまず食文化とつながった。田や畑から、海や川から、市場などの流通をへて、台所。料理されたものを食べて、排泄し、ふたたび田や畑や海や川に戻っていく、人間の食物連鎖を考えないと、食文化研究は完結しないと思った。この考えを形に表したのが拙著『東南アジアの日常茶飯』(1988)で、農業や市場に触れる余裕はなかったが、作る・食べる・出す話をまとめて書いた。私の書き方が悪かったのだろうが、食文化の本に便所の章がある理由はあまり理解されなかったようだ。「ミソもクソもいっしょにする話」だと批判する人もいたが、「ミソとクソ」は、いっしょに考えなければいけないのだ。
 東南アジアを旅すると食べ物についても知りたくなったが、1970〜80年代当時は熱帯産の野菜・野草に関する資料は簡単には手に入らず、植物学や農業の本を読むことから始めた。そんな手間のかかることをやっていたから、考える時間はたっぷりあった。東南アジアにおける食べ物と農業の関係が、少しはわかってきた。
 東南アジアでは、地域によって差はあるが、古くから米を作っていた。しかし、中国人が移住してくるまで、野菜や果物は栽培していなかった。家庭菜園でハーブやスパイスの栽培はしていても、野菜や果物の栽培はほとんどしていなかった。食べられる草や果物は、家の周りや林や川辺にいくらでもある。わざわざ栽培する必要はないのだ。その代表は空心菜だ。そのほかにも食べられる山野草はいくらでもある。自給自足的生活だから、苦労して換金作物の栽培をする必要がなかった。森や川でとれた物を売れば、最低限の商品は手に入った。
 東南アジアに中国人が移住してきて、農業を始める者がいた。畑で野菜を作る。白菜、大根、キャベツなどアブラナ科の野菜を栽培する。あるいは、果樹園を作る。水田の稲作は、収穫量を増やす気がなければ、水だけで栽培できる。しかし、畑作には肥料が必要だ。山間部なら木々や草を焼いて焼畑にして灰を肥料にする。平地では、豚や水牛やニワトリやアヒルの、そして人間の糞尿を肥料にする。ここで農民は二種類に分けられる。畑作をしない者にとって糞尿はゴミでしかない。川に流すか家の周りに捨てる。畑作をする者は、糞尿をためる便所を作る。糞尿は資源だと考える。移民には、稲作は許されていないから、中国人移民は農村では野菜や果物の栽培者となった。中国人移民が便所を作り、排泄物を農業に利用する過程は、タイの小説『中国じいさんと生きる』(ヨク・ブーラパー、星野龍夫訳、井村文化事業社発行、勁草書房発売、1981)に出てくる。そういう資料に出会えるから、小説嫌いでも、読んでみようと思い、結局、翻訳されたタイの小説はすべて読んだ。
 農民作家として知られる山下惣一が、「有機農業、堆肥作りというのは、土の中に貯金するという貯蓄の発想がなくてはやれない」(『タマネギ畑で涙して』農文協)と書いているように、肥料を施す農業は、ただ単に「土に貯金する」だけでなく、作物を売って、現実に貯蓄をすることにもつながる。貯蓄の発想を基に、野菜や果物といった換金作物を作り、豊かな農園主が生まれていく。便所の有無というのは、単なる習慣の違いというだけではない。便所の研究が、東南アジアにおける華人の経済活動とも関係があることを知った。東南アジアの料理でいえば、栽培された野菜を多く使うのが中国料理で、現在は栽培されているにしろ、元は山野草だった植物を多く使うのが、タイ料理でありインドネシア料理であり、非中国系住民の料理ということが分かってくる。
 私の興味範囲に「建築」が姿を見せると、「伝統的住宅と便所」といったことも調べるようになり、知りたいことがどんどん出てきた。便器の歴史を調べてみると、ある程度のことはどの本にも書いてあるのだが、しゃがみ式水洗便器に関する資料は、いままで見たことがない。イギリスで生まれた近代的水洗便器は当然腰掛式のものだったが、おそらくインド亜大陸や中東に輸出するさいに、現地の習慣に合わせてしゃがみ式を製造して輸出し、のちに現地生産するようになったのだろうと想像図を描いているのだが、その仮説を補強する資料が見つからない。だから、溺れる研究者は藁をもつかむ。アマゾンで便所本を見つけると、「藁かもしれない」と思うものの、ついつい注文してしまうのだ。こうして、我が書棚にはかなりの数の便所本が並んだ。
 次回から、朝鮮の便所と汚物処理の雑話を書いていく。朝鮮の話を書くのは、たまたま資料を見つけたのがきっかけであって、ネット上によくあるような、朝鮮を誹謗中傷・嘲笑しようという意図があってのことではない。ただ異文化を知りたかっただけなのだ。悪意を持って我が文章を引用する人がいるといけないので、誤解のないように一応書いておく。