581話 排泄文化論序章朝鮮編  その10 

 焼畑、その他


 まず、前回書き忘れたこと。トイレ博物館の名前「解憂斎」(ヘウジェ)というのは、寺院のトイレのこと。「解憂所」(ヘウソ)という表記もある。日本の禅寺でトイレを、「東門」(とんす、とす、とんす、などと読む)というような隠語である。
 http://midorippo.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-ece6.html
 いままで9回分の文章を書いているうちに、私の興味はどんどん広がり、焼畑民の便所と肥料についても知りたくなった。資料を探したら、『朝鮮半島火田民』(徳井賢、文芸社、2013)が見つかった。版元の名に不安を感じつつも、手軽に入手できる資料が少ない分野なので、注文してみた。火田民とは、朝鮮の焼畑民のことである。
 届いた本は、100ページほどのもので、行間たっぷりで、大きな活字で組まれ、論文でも、フィールドノートでもなく、読書ノートでもない。1972年に、三重県の高校教師が韓国に焼畑の調査にちょっと行ったという話だ。ボリューム的にまったく物足りない。朝鮮の焼畑に関しては、もうちょっと資料を読んでからでないと書けないので、ここではこの本から、山奥に住む調査当時の焼畑民の便所と肥料の話だけを書き出す。
 「民家に泊めてもらうが、もちろん風呂もなく小川に水浴びに行く。もう日本ではあまり見ることのないホタルが群れをなしてとんでいる。翌朝トイレを探してうろうろするが、見つからない」
 「現在は、火田民が定着農民に変わって行く時代である。火田民の収穫法は、麦や雑穀の穂を刈りとって家に持ち帰り、あとは火を放って、肥料にしていたようだ。牛の飼育が始まると、作物は根刈りされ、葉や茎は牛の飼料となり、牛糞は肥料として火田に投じられるようになった。更に化学肥料まで投入されるようになり、政府の政策とも関係して、常畑化の道をたどっている。火田は、生産性も低く、収量も不安定なので、衰退していく道は当然である」
 北朝鮮のトイレ事情はインターネットの画像で見るくらいしか情報はない。わずかな情報でわかるのは、ピョンヤンのような都会の恵まれたトイレは、東南アジアなどでよく見かける手動式水洗便所だ。熱帯アジアでは水で事後処理をするが、酷寒の北朝鮮では紙を使うようで、その紙は屑かごに入れ、水槽に溜めた水を洗面器のような容器ですくい、便器に流す。肥料事情は深刻だということはわかっているが、具体的なことは知らない。わずかに、アジアプレスの次の情報があり、人糞肥料の話が出てくる。
 http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/01/08100557.php
 そろそろ資料も少なくなって、何かヒントでもないかと図書館にでかけ、文化人類学とか民俗学関連の本を探した。『韓国社会の周辺を見つめて』(土佐昌樹、岩波書店、2012)や『韓国珍島の民俗紀行』(伊藤亜人、青丘文化社、1999)に当たってみたが、なぜか便所や肥料の話はまったく出てこない。珍島の本は、1970年代からの村と村人の生活に注目しているのだから、何かヒントがつかめると思ったのだが。農業の話題も出てくるのだが、肥料の話はまったく出てこない。
 100年ほど前にアメリカ人土壌学者フランクリン・ハイラム・キングが書いた『東アジア四千年の永続農業 中国・朝鮮・日本』上下(農文協、2009)には、中国と日本の下肥事情は書いてあるが、朝鮮は車窓からの観察だけなので言及はないようだ。
 結局、今回の10回分コラムで役に立った資料は、すでに読んでいる手持ちの本だった。韓国文化の素人がほとんど手持ちの日本語資料だけを使って書いても2万字くらいのコラムになるのだから、専門家ならば、いくらでもおもしろいコラムを書いていそうなのだが、いっこうに見つからない。このコラムの5回目で書いた『アジア厠考』のように、かつては研究者の余技を存分に見せてくれる名著が多くあったのだが、研究者が小粒になった昨今は、「余技」に手をつける余裕がなくなった。便所の話だけを言おうとしているのではない。韓国朝鮮の話だけでもない。全世界の、あらゆる事柄について、研究者の余技の技を見せてほしいのである。
 最後に、ちょっと雑学。現在の韓国の医療ドラマを見ていたら、「尿検査」とか「尿の量をチェックして」といった字幕が出るとき、医者は「ソビョン」という語を使っているような気がして調べてみた。韓国では日本語の「尿」のように医者が使う語は「ソビョン」で、これは「小便」の韓国語読みで、日常使う語ではないらしい。韓国語でおしっこは、「オジュム」という。同じように、主に医者が使う「テービョン」は「大便」の韓国語読み。つまり、小便も大便も医学用語らしい。ポカーンとドラマを見ていても、こういう単語はついつい気になって、調べてみたくなる。ちなみに、中国では日本と同じらしく、「小便」は一般用、「尿」は主に医学用語という区別があるらしい。
  以上で、10回にわたって書き続けてきた排泄文化論序章朝鮮編を終了する。