582話 時節柄、ゴーストライターの話を再録

 芸能界に「松本伊代伝説」と言うのがあると知ったのはだいぶ前の話だ。その昔、テレビ番組で自分の本を宣伝している彼女に司会者が、「どんな内容の本なんですか?」とたずねたら、「あたしも、まだ読んでないんですけど・・・」と言ってしまい、はからずも自分では書いていないことを公表してしまったという笑い話だ。私は松本伊代ファンではないが、出版に興味があるので、この話をよく覚えていたが、誰かの創作だろうとなかば、疑っていた。
 ところが、ちょっと前に放送された「懐かしのテレビ番組」というような番組で、そのシーン、オールナイト・フジでのハプニング映像が放送されて、あの発言が完全なる事実だったとわかった(あの映像がネットで公開しているかもしれないと思い探してみたが、見つからなかった)。芸能人やスポーツ選手など、有名人の本はほとんどがゴーストライターが書いたものだという噂は、その世界とは関係のない私の耳にも入っていたが、もちろん実態はしらない。噂では、最低レベルは、本人に会わずに、資料と想像力でねつ造した本で、その次は、ちょっとインタビューをして、本にまとめたもの。それ以上に、時間とカネと熱意がある場合は、長時間話してもらい、「構成」といった名目で、ライターの名前も出てくる場合で、これは内容的にかなり信用できる。こうなれば、もはや「ゴーストライター」ではなくなる。
 さて、この雑語林で、その昔、ゴーストライター関連の文章を書いたことがある。そのコラムを読んだ人と、読んで記憶に残っている人はもうほとんどいないだろうから、時節柄、再録してみようか。2004年8月のコラムは次のようなものだった。


 もう時効だから書いてもいいと思うが、関係者の許可を得ていないので、ボカして書くことにしよう。
 かなり昔の「本の雑誌」の投書欄に、某有名学者が書いた本を取り上げて、「ゴーストライターが書いたひどい本だ、編集者も出版社も恥を知れ」といった意味の批判が載ったことがある。その本を出している出版社に、知り合いの編集者がいた。投書が載った数カ月後にたまたま彼に会ったので、世間話のなかで、「そういえば、こんな投書が載っていましたが……」とあの投書のことを口にした。そのときの彼の話を思い出して書いてみる。
 ええ、あの投書ね、読みましたよ。じつはね、あの本の担当編集者はこの私なんですよ。だから、ちょっと困ってるんですよ、深い事情がありましてね。
 あの本は、先生に2時間くらいの話を数回してもらって、それをライターが原稿にまとめるという企画だったんです。本当は、もちろん本人に書いてもらいたかったんですが、超多忙な先生に書き下ろしで一冊なんてとても頼めるわけもなく、ライターに原稿をまとめてもらったわけです。
 すぐにでも出したい本だったんで、1章分できると、ボクが原稿をチェックしたあと、原稿をコピーして著者に送って、手を入れてもらうわけです(当時はまだワープロさえあまり普及していない時代だから、原稿は当然手書きだ)。
 第1章を送ったら、ものすごい書き込みと削除なんですよ。だから、印刷所に送るには、はじめっから書き直して清書ですよ。第2章を著者に送ったら、すぐに電話がかかってきました。「またこんなひどい原稿を送ってきて、なんだ! ちゃんと話をしたのに、文章がひどすぎる。間違いが多すぎる。あんた、原稿をきちんと読んでいるのか!」と、すごい剣幕でご立腹なんですね。「もう、やめだ。こんな本!」といわれると困るので、ひたすら低姿勢ですよ、当然。そりゃ、こちらで依頼したライターは、特別腕のいいという人じゃないですよ。でも、合格点には達しているレベルですよ。それに、著者が加筆している部分はインタビューのときにまったく触れていない話題なんですから、原稿でそれに触れていないとライターを責めるのは酷ですよ。
 ひたすら低姿勢で電話の応対をしていたのに、先生はついに怒り出したんです。
「こんなに手間がかかって、しかも何の実りもない作業を続ける気はもうない!」
 そのあとの言葉で、耳を疑いましたね。
「こんな無駄な作業はもうしたくないから、最初から私が書きますよ! あのライターはクビだ!!」。
 そりゃ願ってもないことですよ。できればそうしたいと、こちらも思っていたわけですから。そして、数カ月後に送られてきた原稿をそのまま本にしたのが、あれです。あの本ですよ。ひどい文章ですが、もう直しの注文なんかいえません。まあ、ウチとしては先生の名前が欲しいわけですから、内容はどうでもいいとはいいませんが、まあ、二の次ですな。そんなわけですから、ゴーストライターの作品じゃないんです。語り下ろしでもないんです。もしかすると弟子か誰かに書かせたかもしれませんが、それはこちらの関知しないことです。
 そんな事情があるんですよ。だから、「本の雑誌」に反論の投書なんてできっこないでしょ。「私は、先日この投書欄で『ゴーストライターを使って……』と批判された本の編集者ですが、原稿を書いたのは間違いなく著者ご自身です、たしかにひどい文章ではありますが、ゴーストライターは使っていません。もし、ライターが原稿を書いていれば、もっと読みやすい文章になったはずです」なんて、とても書けないでしょ。ただ黙って、書店からあの本が消えるのを待つだけです。そういう事情があったわけですが、どうかこの話はご内密に。オフレコということで。