587話 昔の話と私の昔

 インドネシアの古都ソロの安宿で、オランダから来た若者と出会った。建築を学ぶ大学生で、卒業したら建築事務所に就職するか、それとも大学院に進んだ方がいいのかという判断がまだつかなくて、将来の方向を考える旅に出たといった。アムステルダムは気候を別にすれば好きな街で、しばらく働いていたこともあるので、昔のことをちょっと思い出話をした。
 「アムステルダムからロンドンを目指してヒッチハイクを始めた日は、11月だというのにすごい雪でね、吹雪のなか路上に立って親指をつきたてたんだ。やっぱり寒い国は苦手だな」
 「11月に、雪は降りませんよ」
 「いや、降ったんだよ、その年は」
 「ボクはアムステルダム育ちですよ。11月に雪が降ったことはないですよ。いったいいつの11月ですか?」
 「1975年の11月」
 「えっ! ボクが生まれるずっと前じゃないですか!」
 「そう、キミが生まれるずっと前の、ある年の11月に、アムステルダムは大雪だったんだよ。町はずれで数時間待って、ベルギーに向かったんだ」
そんな話を若者としていて、自分が若者だった時代を思い出した。アムステルダムで雪の日のヒッチハイクをしたちょうど1年前、1974年の11月。私はカルカッタの空港にいた。ゲートの待合所には、私と西洋人の二人しかいなかった。父親ほどの年齢の西洋人は、私に日本語で話しかけてきた。
 「日本人でしょ? やっぱり思ったとおりだ。インドをしばらく旅行してきたようですね。カルカッタでも、路上で寝ている人を見たでしょ。手を出して、お金や食べ物をねだる人たちに出会ったでしょ。子供たちが集まって来たでしょ。粗末な小屋で寝起きする人たちを見たでしょ。おどろくような、かわいそうな光景だったでしょ。想像できないかもしれませんが、私が初めて見た東京が、まさにあんなふうでしたよ。乞食も泥棒も病人も、路上にいました」
 彼は、アメリカ軍の従軍牧師として、終戦直後の日本に来て、そのまま日本に住みついたのだという。だから、私が知らない日本を体験的にも知っている。飛行機が出るまでしばらく時間があったから、そのアメリカ人から、私が生まれるちょっと前の日本の話を、たっぷり聞いた。
 カルカッタで聞いた日本の話は、元従軍牧師にとって30年もたっていない昔話だ。1974年の30年前はまだ戦時中だ。今の私にすれば、1980年代後半の、バブル時代の話をしているのと同じだったのだ。だから、現実にはもちろん「昔話」ではあるにしろ、「遠い遠い昔の話」という実感はない。「ちょっと前」という程度の感じなのだ。若者にとっては、バブル時代は、自分が生まれるずっと前の昔々の話なのだが、私にとってはちょっと前の話という感じがする。
 私が高校生だったころ、母が終戦後間もなくの生活がいかにつらかったかという話をしてくれて、私が「昔は大変だったんだねえ」と言うと、「昔? 昔って感じがしないのよねえ。戦争が終わってからは、みんな『ちょっと前』くらいの感じなんだけどねえ」と言ったので驚いた。私にとって、私が生まれる前の話は「大昔」だったのだが、母にとっては二十数年前のことでしかなかった。あの時の母にとっての「戦後間もなく」は、今のわたしにとっての、1990年代後半ごろのことだから、ちっとも昔じゃない。