589話 ラジオの時代 2/4

 ブラジル音楽も、たっぷり聞いた。ただし、英米経由だった。

 そういえば、ブラジル音楽を聞き始めたのも1960年代なかばからだった。これも私の個人的体験だけではなく、あの時代に外国の音楽に興味を持っていた多くの人が、ボサノバの波をかぶった。きっかけは、多分アントニオ・カルロス・ジョビンだろうと思う。多くの日本人が初めてボサノバを聞いたのは、1963年発売の「ゲッツ/ジルベルト」(スタン・ゲッツジョアン・ジルベルト)だろう。このアルバムで、「イパネマの娘」、「デサフィナード」、「ソ・ダンソ・サンバ」、「コルコバード」などがラジオからよく流れてきた。とくに、ジョアン・ジルベルトの妻であるアストラッド・ジルベルトが歌う「イパネマの娘」が、アメリカ人や日本人の男心を誘った。英語ができるというただそれだけの理由で、素人のアストラッドが英語の「イパネマの娘」を吹きこんだ。音程が不確かで危なっかしい頼りない歌が、ボサノバそのものの雰囲気にも合い、素人の歌声が多くの男心をそそった。
 http://www.youtube.com/watch?v=UJkxFhFRFDA
 作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンが同じ63年に発売した”The Composer of Desafinado Plays”は傑作だが、売れたのはこちら。ブラジル音楽にまったく興味も知識もない非ブラジル人向けに作られたアルバムが、66年発売の「ハープ・アルパート・プレゼンツ セルジオ・メンデス&ブラジル66」が売れに売れた。
 http://www.youtube.com/watch?v=uhRDAlN3iHM
 いまでも売れているらしい。どういう曲が収められているかと言うと、「マシュ・ケ・ナダ」、「ワン・ノート・サンバ」、「デイ・トリッパー」、「おいしい水」など。1960年代後半は、セルジオ・メンデスの音楽は、ビートルズのカバーをやったこともあって、欧米や日本でも話題になった。「ゲッツ/ジルベルト」もそうなのだが、アメリカでたっぷり調味料を加えられて口当たりがよくなったブラジル音楽を聞いていたことになる。渡辺貞夫もボサノバを演奏したことで、日本ではいっそうボサノバが身近なものになった。
 それにしても、1960年代は音楽的におもしろい時代だった。英米のロックと同時進行で、イタリアやフランスやブラジルの音楽が、日本のラジオから流れてきて、私の「世界」は少し広くなったのである。そういえば、私の興味範囲ではなかったが、あの時代はロシア民謡もよく放送されていた。私はロック少年にはならなかったおかげで、英米以外にも音楽があることをたっぷり体験していた。
 あれからだいぶたって、1960年代のなかばごろ、なぜイタリア語やフランス語やポルトガル語の歌に心が動かされたのかが、だんだんとわかってきた。ヨーロッパ趣味だったわけではなく、非英語がキーポイントだったような気がする。英語が嫌いというのではないが、英語に魅力を感じていなかったのだ。アメリカ礼賛の気持ちを抱いたことはないし、英語がペラペラしゃべれるようになったら格好いいなと思ったこともない。英語の対する特別な敬意や憧れなど、まったくないのだ。だから、英語ではない歌が心に響いた。
 ソウルミュージックは今も好きだから、正しく言えば、英米の白人音楽、とりわけ英米のロックやポップやカントリーが好きになれなかったということだ。外国の音楽が好きな私の世代で、ロックの洗礼を受けていない者は珍しいとは思うが、プログレッシブ・ロックもパンクもニューウエーブもまったく心に留まらずに生きてきた。
 1960年代なかば以降、イタリアやフランスの音楽がラジオからあまり流れなくなり、いや流れていたのかもしれないが、私の耳に入り心に届いたのはアフリカの音楽だった。アメリカの黒人音楽へ興味から、アフリカにも興味を持ち始めたころだ。60年代末から70年初めにかけて聞いたアフリカの音楽は英米経由ではあったが、当時はアフリカのポップミュージックをそのままの音で聴くことはできなかった。あの時代に初めて聞いたのは、南 アフリカ出身のミリアム・マケバ
 http://www.youtube.com/watch?v=iktKbIKZh9I
 ヒュー・マセケラ
 http://www.youtube.com/watch?v=8lOLD7aM5hM
 カメルーン出身のマヌ・ディバンゴ、
 http://www.youtube.com/watch?v=aWK_Josc0Og
 そしてガーナ、ナイジェリア、西インド諸島出身者がイギリスで結成したオシビサなどの音が、ラジオから流れてきた。こういう人名をちゃんと覚えているくらいに耳を澄まして聞いた。
 http://www.youtube.com/watch?v=NjBcCl7i25M
 http://www.youtube.com/watch?v=uTdxIQbdrDw
 今聞くと、そして過去のライブを見ると、白人受けを狙っているようでいやらしいが、逆にいえば、そのいやらしさのせいでこういう音楽が日本まで運ばれたのだろう。アフリカ人が聞いてアフリカっぽい音楽なら、とても日本盤など出なかっただろう。
 「アフリカ音楽」のなかでも私の心をとらえたのは、南アフリカ出身のダラー・ブランドのレコード「アフリカン・ピアノ」だった。
 http://www.youtube.com/watch?v=b9oSEqIlzig
 アフリカ音楽といえば、タイコが鳴り響くというのがハリウッド映画や観光映像の定番だったが、この「アフリカン・ピアノ」はまったく違った。こういう音楽が、1970年前後の日本のラジオから流れていたのである。このLPは気に行ったが、レコードは買っていない。そんなカネがあったら、旅行費用にしようと考えていたからだ。「アフリカン・ピアノ」のCDを買ったのは21世紀に入ってからだ。彼は昔の名前を捨てて、アブドゥーラ・イブラヒムとなっていた。そして、彼のCDを買いまくることになった。
日本人が持つアフリカのイメージに合うこういう曲もある。
 http://www.youtube.com/watch?v=VysRZTS14CQ
 あるいは、こういう曲もある。
 http://www.youtube.com/watch?v=Rt1ZAtC9TUY&list=RD5P2N8-u3zmA