591話 ラジオの時代 4/4

 体に歌を浴びたおかげで


 小学校6年生の時に、父がポケットラジオを買ってくれた。それ以後、私はラジオ少年になり、現在もまだラジオを聞いている。AM放送の時代は、米軍放送を除けば、好きでもない歌が流れていることが多かった。前回書き出した多くの歌に好きなものはほとんどない。好きな歌ではないのに体にこびりついた歌が大衆歌謡の素養となって、予想外の威力を発揮したのは、タイの音楽事情を調べるようになってからだ。
 1980年代の終わりごろ、タイ人が普段聴いている音楽の過去と現在を本にしてみたいと思ったが、タイ音楽について知っていることは、ほぼ皆無だった。「タイに行ったことがある」というだけの多くの日本人と同じように、私はタイの音楽について何も知らなかった。そこで私がやったのは、とにかくタイ音楽を聞くことだった。バンコクで買ったラジカセで、毎日ラジオを聞いた。毎日大量のカセットテープを買ってきて、タイ音楽を聞いた。1980年代のタイは、レコードの時代はほぼ終わっていたが、まだCDの時代が来ていなかった。音楽は、カセットテープで売られていた。
 毎日のようにカセットテープ屋に行って、テープを眺めていると、ジャケット写真のデザインで、音楽の感じがわかるようになってきた。日本でいえば、AKBといきものがかりと、坂本冬美のジャケット写真を見れば、違うジャンルの音楽をやっているのだろうと外国人でも想像がつく。歌手の顔だけではなく、文字の書体などデザインに違いがあることがわかってくる。こうして、数年の間に1500本ほどのカセットテープを買い集めた。テープの問屋に行き、まとめて数十本買ったときは、「あんた、どこで商売しているの?」と聞かれたことがある。その店に行くまでに、すでに数十本のテープを買い、段ボール箱をバッグ代わりに手に提げているから、どうやら業者と思われたようだ。
 知識もなしにタイの音楽を片っ端から聞いていても、いくつかのジャンルがあることがわかってくる。歌謡史が見えてくるのだ。歌い方に、藤山一郎ペギー葉山派があり、三橋美智也三波春夫派がある。フォークソングがあり、ディスコがある。1950年代から日本の歌謡曲や欧米の音楽を聞いてくると、日本や欧米の影響を強く受けたタイの歌謡界の動きがよくわかるのだ。カバーやパクリの原曲もすぐにわかる。「これは美空ひばり」とか「このヨーデルハンク・ウィリアムスだ」とか、「これは三橋美智也の『りんご村から』だ」などとわかる。       
 そういう音楽生活をタイで続けていると、タイの音楽ジャンルには、大きく分けてふたつあることがわかってきた。音楽大学出身者が歌う歌謡曲、日本で言えばペギー葉山藤山一郎のような歌手が歌うジャンルを「プレーン・ルーク・クルン」(都会っ子の歌)といい、北島三郎三橋美智也のようにコブシを回して歌ったり、伝統的な歌唱法を感じさせる歌のジャンルは「プレーン・ルーク・トゥン」(田舎者の歌)という。タイの大衆音楽にはこの二大ジャンルがあることがわかった。ルーク・クルンは時代を経て若向きのポップミュージックへと姿を変えていくのは、日本では1950年代に始まった若者の歌が、平尾昌章やザ・ピーナッツなどからGS(グループ・サウンズ)に至る道と同じだ。そして、大衆音楽のすべてを包んで、日本では「歌謡曲」と呼んだ。そのなかの、日本音階を使い、コブシを使い、センチメンタルに歌うジャンルを、レコード会社が「演歌」というジャンル名をつけて売り出した。歌謡曲は、ジャズもラテンの民謡も飲み込んだ大衆音楽なのだが、歌謡曲(流行歌)と演歌の区別がつかない人が少なくないので、ここであえて書いておいた。私のような音楽生活をしていれば常識に入ることなのだが、私よりも若い世代で、欧米音楽しか聞いていない人は、歌謡曲と演歌の違いがわからないようだ。もちろん明確な境界線があるわけではないが、歌謡曲のなかの一ジャンルが演歌だという基礎知識は持っていた方がいい。
 1950年代のロカビリーや、ザ・タイガースなどGS(グループ・サウンズ)に至った過去を知っているし、日本におけるフォークソングの歴史も知っているので、タイで起こった若者の歌の歴史がすぐにわかった。
 タイ音楽の歴史など知らなくても、タイポップスの歌手やバンドの評判記やコンサート観覧記は書けるだろうが、タイに存在するあらゆる音楽の過去と現在を頭に入れようとすると、私の過去が非常に有効なのだとわかってきた。元々あった伝統音楽の世界に、西洋音楽が入ってきて、どのように対応しどう変容したかということでは、タイも日本も同じなので、日本の歌謡史がタイを知るのに有効な資料なのだとわかってきた。そういうことをしていて、私のラジオ時代の体験は大いに役立つと気がついたのだ。
 ベトナムで歌謡コンサートに行ったときも、歌手がベトナム語で歌っていても、元はフランスやアメリカの歌だとわかることも多かった。この連載の一回目で書いたように、同時代にイタリアやフランスの歌謡曲を聞いているので、ベトナム人ベトナム語で歌う歌の原曲がすぐにわかる。1960年代以降の生まれの人だと、すべてがベトナムの歌に聞こえたかもしれない。そういう意味でも、東。東南アジアの音楽事情を調べるのは、1950年代生まれというのは、まことに好都合だったのである。
 「ラジオの時代」は今回で終了。