596話 山田學が語る海外旅行産業史 4/4

 あんなことも、こんなことも


 ここでは、旅行業界のさまざまなエピソードをメモ風に書いていく。
■シーズナリティ
 1970年のこと、安いツアーを作ることを考えていた山田は、BA(ブリティッシュ・エアウエイズ)の木曜便の100席分を1年間まとめて買うという決定をした。10億円前払いの買い物だったが、それで、ヨーロッパツアーを安くすることができた。しかし、1年分の席を買うのだから、夏だろうが冬だろうが、1年中売らなければいけなくなった。
 「そこで僕らは『お客さんが多い時期は高く、少ない時期は安くして売ろう』と考えて、1月はいくら、2月はいくらと季節ごとの料金(シーズナリティ)を設定していきました。シーズナリティは今でこそ当たり前になっていますが、初めて世の中に登場したのはこのときだったんです」
 それ以前は、正月料金やゴールデンウィーク料金さえなかったのだろうか。西洋の航空会社なら、クリスマス期間の料金設定がありそうだが。
■香港
 1971年2月、国際線の運航が許可されなかった全日空が、香港にチャーター便運航の許可が出て、「すぐさま客を集めろ」という要請が、山田の元に来た。出発までひと月しかない。
 「そんなこと急に言われたって、今みたいに数年間有効の数次旅券なんて、誰も持っていないんです。海外旅行に行くためには、毎回その都度パスポートを申請しないといけない。そのうえ、当時の香港はビザが必要だったんです」
 5年間有効の数次旅券が登場したのは1970年12月だから、71年2月では数次旅券を持っている人はほとんどいなかっただろう。このとき、従来の一次旅券は3000円、数次は倍の6000円だった。73年にパスポートをとった私も、6000円を支払って数次旅券を取得したのだが、6000円は高かった。この時代、ウエイターなどの時給は、まだ200円になっていなかったと思う。出張や団体旅行、あるいは移民なら一次旅券で問題ないが、計画などなく世界をふらふら旅行する若者には、不便な旅券だった。というのは、一次旅券は、申請時に旅行国名を記入し、旅券にその国名が記載されるから、その国にのみ有効の旅券になる。「アメリカ」と書いたら、ついでにカナダやメキシコに行くということができない。日本を出てから、記載国以外の国に行きたくなると、大使館に行って旅行先の追加記入の手続きをしなければならない。手間とカネがかかるのだ。一次旅券は、「所有者が帰国するまで有効」だから、移民のように、日本に帰国しなければ、40年間でも50年間でも有効ということになる。ところが、空港などで入国手続きをする際、「旅券の有効期限」という欄に、具体的な年月を記入できないから、ときにはトラブルになることもあった。
 「当時の香港はビザが必要だった」という記述は疑問がある。本当にビザが必要だったかどうかは、当時のガイドブックで確かめればすぐにわかるのだが、この連載の一回目で書いたように、旅行ガイドブックは燃えるゴミ扱いされていて、すぐ廃棄処分になるから、図書館で確認することができない。旅行業界と出版業界の人間は、年月たった旅行ガイドが資料として重要だということに気がついていない。
 図書館に古い香港のガイドブックはないが、ウチには何点かあるので調べてみよう。
1967年春のガイド・・・・ビザは必要だが、出国券があれば96時間以内の滞在は不要。
1972年2月発行のガイド・・ビザは必要だが、出国券があれば7日間滞在可能。
ということは、チャーター便による団体旅行で、香港を出る航空券は当然すべて予約済みだから、ビザがいらなかったというのが正解だ。まさか、香港12泊13日というツアーではないだろうから。
■旅行積立て
 1972年10月、近畿日本ツーリリストはチャーター便を使った旅行会社「ハローワールド」を設立し、山田は常務になる。
 「初期のハローワールドの経営基盤を支えてくれた仕組みがあります。僕らが会社立ち上げと同時展開した「ハローツアー積立」は、相互銀行で積立口座を作って、海外旅行に行くためのお金を積み立ててもらおう、という会員制システムでした。積立を始めて半年経ったら、どこでも好きなところに旅行に行けて、残りの旅費は帰国後にゆっくり後払い、という仕組みです。当時は大卒サラリーマンの初任給が7万円で、ハワイ5泊6日の旅費がだいたいその倍の14万円ですから、正直、海外旅行はまだ「憧れ」の存在でした。でも一度に14万円を用意するのは無理でも、積立方式ならなんとかなる」
このアイデアは大成功し、1973年7月から半年で7000人の会員を集めたという。1960年代初期、64年の海外旅行自由化を前にして、銀行と航空会社が組んで積立てシステムを作ったというのは知っていたが、73年でもまだ「海外旅行はぜいたく」だったことがよくわかる。
■ホテルのアジア人
 カリブ海のホテルについて触れた部分で、「人気のホテルはたいがい『日本人は全宿泊客の何割まで』と、しっかり決めています」と書いている。ホテルに日本人が多いと、日本人客ががっかりするという。はっきりとは書いてないが、日本人が多いとホテルの高級感が失われると、当の日本人客が感じているかららしい。現在では日本人に、中国人や韓国人観光客も入るだろう。アジア人が多いホテルには、アジア人にとって高級感がないというのは、確かに事実だ。西洋のホテルだからということはない。シンガポールの高級ホテルに行ってみれば、客の大半が中国人と韓国人と台湾人だったら、カネを持った日本人はおそらくがっかりするだろう。カネを持った韓国人も台湾人も、がっかりするだろう。おしゃれな雑誌、とくに女性誌なら、かなり高額なホテルのロビーにいるのがほとんどアジア人という光景は、グラビアにはしないだろう。モデルを連れて来て、金髪碧眼の西洋人がロビーにいる写真を撮影したいだろう。
私が見聞きしたホテルに関する話は、次の2例。
 タイの旅行会社社長は、タイのある高級ホテルは、なるべきタイ人客をとらないように、タイ人の料金は高く設定しているという。西洋人客には安い料金設定にして、ロビーやコーヒールームに西洋人が多く集まるようにしているのだという。
もうひとつの話は、バリ島。現地でツアーオペレーター(日本人観光客に宿泊や交通などの手配する仕事)をしている著者が書いた『バリ島駐在物語』(小出康太郎、アクアプラン、1997)によれば、高級感の問題とは別の理由で、バリ島では日本人客の宿泊料金を高く、西洋人客の料金を低く設定しているのだという。その理由は、西洋人と日本人の旅の仕方に違いがあるからだ。
 日本人客はホテルで朝食をとったら外出し、夕食を終えてからホテルに戻る。西洋人の場合は、朝食後はホテルのプールで泳いだり、プールサイドで本を読んだり、おしゃべりをしたりして楽しみ、昼食か夕食のどちらか、あるいは両方をホテルで食べたりする。バーの利用やルームサービスなど、西洋人はホテルでカネを使うのだ。しかも、ヨーロッパ人の場合、日本人と比べて滞在日数が格段に長い。だから、西洋人のホテル料金を低く設定しても、日本人客を泊めるよりも儲かるという計算が成り立つのだというのだ。