604話 「蔵前仁一書きおろし著作集」企画 その4

 『かごんまボーイ』

 いままで何度も蔵前さんに、「書いてくださいよ」とお願いしてきた本は何冊もあり、そのなかに『蔵翁自伝』がある。思い出話を書いてよとお願いすれば、「そんな昔のことは覚えていない」と、リック・ブレイン(カサブランカ)のようなセリフで逃げられてきたが、自伝の下巻は『あの日、僕は旅に出た』としてすでに出版された。誠に喜ばしいことである。引き続き自伝上巻の刊行もぜひ実現させてほしい。上巻は、蔵前少年のかごんま(鹿児島)物語だ。鹿児島の話を聞くたびに、常人の生活と遠くかけ離れていて絶句するのだが、そのおもしろさに当人は気がついていない。
例えば、こういう話だ。
・「ウチの裏の方って、まだ行ったことがないんだけどさ」・・・練馬区大泉学園の住民がその北の埼玉県朝霞市に行ったことがないというような意味ではない。実家敷地の裏の方という意味だ。この世に生を受けて50年以上たっても、実家に未踏地があるという事実。地主一族さえ足を踏み入れていないということは、つまり、人類未踏地ということになるのかもしれない。探検隊よ、急げ。
・その敷地を兄は5万坪といい、弟は4万坪という。兄弟で1万坪の誤差!
・中学生の仁ちゃんは、庭で自動車運転の練習をした。私有地だから、無免許で堂々と運転できた。
・「学校にプールはないから、ウチのプールで泳いでた。ウチなら1年中泳げるから」
だからといって、お坊っちま暮らしをしていたわけではない。祖父は非常に厳しい人で、お金を払ってくださるお客様と宿で働く者とその家族が同じ食事をするなど、言語道断」という理由で、毎日が粗食だった。旅行人総裁となった今日でも、昔さんざん食べさせられたつけ揚げ(さつま揚げ)が嫌いで、しかし粗食好きなのは、少年時代に受けた指導がまだ生きているからだ。粗食好きに仕込んでくれた祖父のおかげで、アフリカに行っても食事に不平はなかった。
 蔵前少年の個人的な話とは別に、鹿児島の少年なら当たり前でなんの引っかかりもない事柄でも、他県民には好奇心を刺激されることもある。それは鹿児島の少年が受ける「幕末維新の教養」である。薩摩藩とか西郷隆盛(南洲)ら、幕末明治の立役者と郷土史に関する教養が、蔵前さんと話していると感じることがある。宮崎の薩摩藩のこともそうだ。桜島の境界線が変わっていった話も、おもしろく聞いた。多くの人は、私が何を言いたいかわからないだろうが、蔵前さんから鹿児島の話を聞くと、「へえー」と驚くことばかりなのだ。「鹿児島人なら当然」という、県民の常識も知りたい。書けば長くなるが、「九州人とボボ・ブラジル」という話をしたこともあったなあ。鹿児島ことばの話も聞きたいなあ。
 蔵前さんは外国旅行をして見聞きした文化を、旅行記として数多く書いてきたのだが、それと同じように、鹿児島の少年がイメージした東京や、東京に住んでいる者が見た故郷鹿児島を、いままで旅行記を書いてきたように書いてほしいという希望もある。故郷というものを持たない私は、ふたつの文化をよく知っている人に対する憧れや好奇心がある。バイリンガルの鹿児島出身者の生活と意見も、なかなかに興味深い。これだけではどういうことかわからないだろうが、次のようなことだ。
 外国の安宿を思い浮かべてもらいたい。日本人旅行者と宿の中庭で話をしていたら、そこにドイツ人やオーストラリア人旅行者などが話しかけてきて、6人ほどの雑談会になった。この場での公用語は英語になった。私と日本人との会話も英語にしないと、ほかの旅行者にはわからないので、しかたなく、日本人と英語でしゃべることにするのだが、これがなんとも気恥ずかしい。
 「それと同じでさ、鹿児島の友人とふたりで話しているところに、東京の知り合いが何人か加わったときに、鹿児島の友人とも東京人と同じことばで会話しないといけなくなるんだけど、これがなんとも気恥ずかしくてさ、日本人と英語で話しているような感覚なんですよ」
 師は、かつてこんなことを話してくれた。私にはない感覚だ。私が書いてほしいと思うのは、異文化を巡るそういう感覚なのだ。折に触れ鹿児島の話を聞くたびに、「おもしろい、ぜひ詳しく書いてよ」とお願いすると、「忘れた」ととぼけられる。都合が悪くなると、健忘症患者のふりをするのである。記憶障害には、心因性や外傷性など原因はいろいろあるが、蔵前さんの場合、書きたくない本の話が出ると途端に「記憶が消えた」と訴える「突発性記憶障害の自演行為」と考えられる。
 というわけで、執筆に取り掛かるには鹿児島の圧力を利用するしかない。南日本新聞で60回の連載をこなしてもらい、そのあと加筆して完成。本の最初と最後の章は、東京に向けて鹿児島を去る日だ。エピローグは、東京暮らしを始めた大学生の蔵前青年にとっての鹿児島。高校野球、方言、桜島・・・。鹿児島を離れて思う鹿児島の話。
 鹿児島県民と鹿児島出身者の皆さん、南日本新聞の皆さま、蔵前さんの同窓生の皆さん、旅行人山荘の皆さん、そして、蔵前ファンの皆さん。ここはひとつ、彼を脅してでも説得してでも、おだててでも、ほめ殺しても、皆さんの力を得て、鹿児島の話を書いてもらえるように、努力しましょう。昔のマンガ雑誌のまねをすれば、「蔵前先生に、お願いのお便りを送りましょう」だ。メールでも、フェイスブックでも、墨筆ででもいい。力を合わせて『蔵翁自伝』を完結させましょう。