616話 コピペのレポート

 もうずいぶん前になるのだが、知り合いの教授が嘆いていたことがある。学生が書いてきたレポートを点検していたら、まったく同じものが3通あったというのだ。レポートが手書きの時代は、盗作・盗用したとすれば、意地でもまったく同じにしないように改変をほどこし、盗作がばれないように工夫をしたはずだが、コピペ(コピー&ペースト)の時代になれば、ネット上の情報をコピーして貼り付けるだけで、「レポート一丁あがり!」になることに疑問を持たないようで、まったく同じレポートが3通あっても不思議ではない。
 だから、その教授が、学生がコピペした文章をレポートとして提出したことに驚いたのではない。問題は、コピペしたその文章が、教授自身が書いてネット上に発表したコラムだということなのだ。学生は、授業をしている教授の名前を覚えていないか、覚えていても、盗もうとしている文章の出所に神経を使わないから、誰がどういうところに発表した文章かということなど気にしない。ネット検索していて、「おお、ちょうどいいのがあった。いただき・・・」とコピペしただけだ。
 あれからもう10年以上たったつい先日、知り合いの教授たちと雑談をしていて、学生のレポートの話になったとき、「このあいだ、さあ」とひとりが話しだした。
 「学生のレポートを読んでいたら、ヤケに詳しい内容のものがあって、学生が読んでいるとは思えない外国語の文献の引用もあって、『こいつ、とんでもなく勉強している。すごいぞ!』と感心しつつ先を読んでいくと、『あれ?』と思った。精読すると、オレの論文の要約・改変なんだとわかったんだよ。将来有望な研究者のタマゴを見つけたんじゃないか、というヌカ喜びの結末です」
 その話を聞いていた別の教授が、「もっとすごい例がありましたよ」と、話し出した。
 「そのレポートを読んだ時、日本語があまりに変だと気がついたんです。日本語になっていないんですね。で、パソコンの自動翻訳を使った文章を、手を加えずにそのままプリントアウトしただけだとわかったんですよ。それだけでもひどい話なんですが、そのもとの文章というのは、実は私がフランス語で書いたものなんですよ。日本語で書いた論文はレポートには長すぎるので、要約したフランス語の文章の方に目つけて、それを自動翻訳して、そのまま私の授業のレポートにしたという結末でした」
 大学生だけでなく、大学院生や教授レベルでも、こうしたコピペや盗作の例が多いらしく、だから盗用を調べるコンピューター・ソフトがあるらしい。そういうものが必要な時代なのだろうが、教師のほうにも問題はある。初めから、コピペできないようなレポートを要求すればいいのだ。出題者の想像力のなさを棚にあげて、学生の不誠実をなじっても始まらない。
 インターネット上に情報がないテーマを探し、出版物を読まないと答えが探せないようにするとか、学生の想像力や観察力で書くしかないテーマを選ぶとか、方法はいくらでもある。どの教科でも可能というわけではないかもしれないが、教師も頭を使ったほうがいい。
 政治家の視察旅行(という名の観光旅行)の報告書は、ひと昔前は秘書や旅行を斡旋した旅行会社の社員に書かせることが多かったそうだが、いまは誰かが書いた報告書やウィキペディアのコピペが多いらしい。学生のレポートよりも、税金を使った観光旅行のほうが規制がゆるいというのは、考えてみればおかしなことだ。