641話 異国の食文化レポート

 読んだのはかなり前だが、この雑語林用に書き溜めたコラムが多くあり、しかも旅に出てしまったので、紹介するのがかなり遅くなってしまった。『米国一家、おいしい東京を食べ尽くす』(マシュー・アムスター=バートン著、関根光宏訳、エクスナレッジ、2014)のことだ。この本を紹介する人は、どうしても同じころに翻訳出版された『英国一家、日本を食べる』(マイケル・ブース著、寺西のぶ子訳、亜紀書房、2013)と続編の『英国一家、ますます日本を食べる』(同、2014。ただし、原書は同じで、1冊の本を2冊の翻訳書にしたのであって、正確な意味では続編ではない)が気になって比較したくなるだろう。
 テレビ番組にたえれば、『英国一家』はNHKの番組風であり、『米国一家』は、民放の深夜番組風である。『英国一家』が「権威、限定、特別、カネに糸目をつけない」取材が浮かびあがり、服部幸應や辻芳樹(辻調グループ代表)に頼る取材をしているのに対して、『米国一家』はインターネットやたまたま知り合った人やコンビニや数多くの日本関連書(巻末の参考文献リストもおもしろい読み物だ)をもとに、取材している。つまり、よく読み、よく歩き、よく見て、よく食べ、よく考えている。
 このように書けばすでにわかるように、『米国一家』は私好みの本である。ただ一点、デーブ・スペクターのような、じつにつまらないジョークに耐えないといけないのがなんともつらいのだが、そういう大きな欠点はあるが、力作と認めていい。
 一家3人で、中野のウィークリーマンションにひと月住んで、ひたすら東京を歩き、予約が必要な店にはほとんど行かず、コンビニやその辺の居酒屋に立ち寄り、なんでも食べるという取材は私のスタイルに近く、だから客観的な評価はできない。つまり、「お前なら、これ以上の本を書けるか」と絶えず問われているわけで、純粋には楽しめないのだが、この本が力作であるのは間違いない。
 著者の重要な情報源のひとつが、“Oishinbo”、つまりマンガ『美味しんぼ』のアラカルト7冊の英語版で、このマンガをあまり評価していない私はちょっと不安になったが、著者は批判的に読んでいるのがわかって安心した。例えば、おにぎりについて書いたこういう文章だ。
 「その外側のご飯は、機械で完璧な三角形に整えてある。日本の米はアジアの主要な品種のなかでも珍しく、室温かそれ以下でもおいしく食べられる。長粒種で鮨やおにぎりを握ったら、ぼそぼそとして崩れやすく、ひどいものになってしまうにちがいない。『美味しんぼ』には、日本の米は特殊で、アジアでおにぎりを作るのは日本だけだと書かれていた。僕はその信憑性を疑っている。中国の南部でも中粒あるいは短粒米が主流になっている。おそらく、こういった品種を食べる地域ならどこでも、米を丸めておいて後で食べるのではないだろうか」
 この『美味しんぼ』の話の出典は、英語版の『美味しんぼ ア・ラ・カルト』らしいが、私はその元となる日本版の方を注文した。アマゾンのおかげですぐに資料を入手できるのだが、それゆえにカネがかかる。手に入れたのは、『美味しんぼ ア・ラ・カルト 炊きたてご飯』(作:雁屋哲、作画:花咲アキラ小学館、2005)。その212ページから、おにぎりのウンチクが続く。
 「そういえば、ほかのアジアの国でおむすびは、見たことないな。」
 「日本独特の食べ物なんや」
 こういう会話がでてくる。原作の雁屋氏は、おにぎりは日本にしかないと思い込んでいるらしい。この雑語林の621話で書いたように、飯を握るのは日本だけというわけではないから、アメリカ人著者の意見は正しい。ただし、長粒種の飯は「ぼそぼそ」だというのは間違いだ。長粒種(インディカ種)にもモチ種があるから、モチ米だけかあるいはウルチ米にモチ米を混ぜれば、長粒種の米でもおにぎりはできる。
 ついでだから、また米の話をしておこう。
 台湾の食生活に多くのページを割いている『ママ、ごはんまだ?』(一青妙講談社、2013)にも米の話が出てくる。
 「台湾はもともと米食の土地だったが、粘り気がなく軟らかくて甘みがあるインディカ米という長粒種のお米を食べていた。日本の植民地時代には、インディカ米に慣れない日本人が、粘り気がある軟らかいうるち米(短粒種)を持ち込み・・・・」
 この文章を読むと、コメは「長粒種(インディカ米)と短粒種(うるち米)」に分けられると理解しているようだが、もちろん違う。インディカにもジャポニカにも、それぞれモチとウルチがある。台湾の米を特集した「食彩の王国」(テレビ朝日)でも、世界の米は「日本米とインディカ種ともち米の3種ある」という説明をしていた。この雑語林で何度も書いているが、ここでもう1度書いておく。長粒種にも短粒種にも、それぞれウルチとモチがある。
 話を『米国一家』に戻す。この本の内容を詳しく紹介しないのは、インターネットで目次を確認できるからであり、いちいち紹介しているときりがないからだが、おにぎりの話に続いて、日本食特別説を否定する話題を紹介しておこう。「朝ご飯」という章で、海苔について書いているのだが、最後にこういう文章がついている。
 「偶然にも、海苔はウェールズでも伝統的な朝食として食べられている。海苔のペーストを丸めてオートミールをつけて揚げた、ラーヴァ―ブレッドという食べ物がある」
西洋にも海苔を食べる人たちがいることを知らなかった。調べてみれば、ラーヴァーブレッド(laverbread)というのは、ブレッド(パン)ではないようだ。私が無知だっただけで、この海苔に関する情報は多い。
http://fromuk.blog101.fc2.com/blog-entry-42.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%83%AA
 日本の食文化を書いた本で外国のこともわかるという点でも、よくできた本だといえる。この本は、日本のうまいものをただ食べ歩くという内容ではない。その点だけでも、日本にひと山いくらで売れるほど多くある、カラー写真満載の薄っぺらな食べ歩き本とは大きく異なる。しかも、この本はすぐれた東京本でもある。食べ物だけを取り出して紹介しているわけではなく、その食べ物がある街にも目が行き届いている。
 「東京は美しい街ではないが、美しいものがたくさんある」とサイデンステッカーが書き、著者の妻は「東京は特にきれいでもないのに、東京にはきれいなものばかりある」といい、著者は東京で目にするさまざまな物事に注目する。路地裏、傘、看板、制服といったように著者の好奇心を刺激した話を読んでいると、E.S.モースの『日本その日その日』を思い出す。