642話 台湾の米

 前回、台湾の米についてちょっと書いた。あのまま詳しい解説を書くと長くなるので、改めてここで書くことにした。ウィキペディアで、日本人が作ったとされる台湾の米「蓬莱米」や、その米を作りだした磯永吉の記事では、こう書いてある。
 1、台湾では日本と気候条件が違うから、日本の米は栽培できなかった。
 2、台湾の在来米はインディカ種で、日本人の口には合わなかった。
 3、そこで、台北帝国大学教授の磯永吉(1886~1972)らが、台湾の在来米と日本のジャポニカ種とを交配させて、日本人の口に合う米を作りだした。これが「蓬莱米」である。
 こういう記述が、「どうもおかしいぞ」と気になった。日本人が、日本人の好みに合う米を台湾で栽培したことが、「日本人の偉業」と台湾で称えられるというのは、なんだか変だという気がするが、それはともかく、科学的らしき話にしても、ちょっとおかしいぞという気がする。
 日本の米は熱帯では栽培できないのか?
 タイの米事情を少しは知っていれば、幾種類もの日本米がタイで栽培されていることを思い出すだろう。日本米が輸出禁止だった時代、日本から輸入した中古の農機具に「たまたま日本の米が残っていて、栽培したら育っただけ」という苦しい説明で、タイで日本米の栽培が始まった。熱帯でも、日本米が育つじゃないか。
 そこで、コメを研究している学者にあらためて話を聞いた。雑談のなかで聞いた話で、このコラムで使う了承を得ていないので、匿名にしておくが、コメの本を何冊も書いている有名な研究者だ。
 まずは、日本米は熱帯では栽培できないという点だ。
 「米はもともと熱帯の植物だから、熱帯で育たないわけはないですよね?」
 「日本米のなかには、熱帯では育ちにくい品種もありますが、それは気温が原因ではなく、日照時間の問題です。だから、『日本米は台湾で育たなかった』という説は間違いです」
 「では、インディカ種とジャポニカ種を交配したのが蓬莱米という説は間違いですね?」
「はい、間違いですよ。インディカ種とジャポニカ種を交配した米はありますが、お粥にでもしないとまずくて食べられないような米です。蓬莱米は、日本の米を改良したものです」
 ということだ。日本米のなかで台湾の気候風土にもっとも適合しそうな品種を選び、改良を重ねたのが蓬莱米である。
 ウィキペディアの記述はどうやら誤りらしい。まあ、ウィキペディアの間違った記述など、よくあることだけどね。
 さて、前回、『美味しんぼ』の米の話を取り上げた。書きたいことはまだあったが、長くなるので今回に回したことを書く。この『美味しんぼ ア・ラ・カルト 炊き立てご飯』には、原作者の雁屋哲氏の「美味しんぼの日々」というコラムが付録でついている。米特集のこの巻では「御飯の美味しい食べ方」について書いている。中国人は飯を掻き込み、韓国人はさじで食べるという食べ方を比較して、飯とおかずを交互に食べる日本人も、丼物は掻き込んだほうがうまいという内容で、中国人や韓国人を非難しているわけではない。
 しかし、食文化マンガの原作者なら、そして米特集の巻なら、中国人はなぜ飯を飯茶碗から掻き込むのか、朝鮮人はなぜさじを使うのか、その理由を考えるべきだろう。そういう食べ方の違いは、米の種類の違いが関係している。その昔、中国人が食べていた米はパサパサだったから、飯はさじで食べた。だんだん粘りがある米を食べるようになり、飯を箸で食べるようになった。さじと箸を使う食べ方は朝鮮に伝わり、パサパサの飯をさじで食べるようになった。さじは日本にも伝わったが定着しなかった。日本の米は、さじがなくても食べられる粘り気があるからだ。朝鮮の飯がパラパラだったというのは、そういうコメの種類だったということのほか、少ない米を食い延ばすために雑穀やイモやさまざまなものを混ぜたからだろう。こういう飯を、かて飯(糅飯)という。もちろん、ご馳走である炊き込みご飯とは全く違う。日本人も昔から白米を腹いっぱい食べていたわけではなく、江戸など大都市を除けばかて飯が普通だったから、その時代は茶碗に口をつけて飯を掻き込んでいたはずだ。
 日本では1960年代の前半になって、ようやく全国民が白米を腹いっぱい食べることができる時代が来た。日本人は太古の昔から米を食べ続けてきたわけではない。韓国では、日本時代のあと朝鮮戦争があり、1980年代なかごろになってようやく山間地や離島でも白米が食べられるようになった。88年のソウルオリンピック直前まで、食堂は週に一度はかて飯を出す規則になっていた。米が不足していたので、雑穀を混ぜて炊けという規則だ。朝鮮半島は米も小麦も育ちにくい気候風土で、北朝鮮では今もコメが不足している(政治的問題も大きいが)。山村や離島で育った韓国人は、1960年代の生まれでも、白米が満足に食べられなかった時代を記憶している。
 カレーのように汁かけ飯にするのは、パサパサパラパラの飯は、そのままでは食べにくいから液体をかけるのだ。貧しい家庭では、水を振りかけることもあるらしい。
こういった主食の事情を少しは頭に入れておかないと、食べ方の話もうかつにはできない。あるいは、飯を食べる器がなぜ「茶碗」なのかと言う歴史的考察も書いておくべきだったろう。
 『美味しんぼ』のうどんの話にもおかしな箇所があったが、読んですぐに捨ててしまったので、どこだったか忘れた。
*予告 お待たせしました。次回から、この秋の旅物語の連載が始まります。