648話 きょうも散歩の日 2014 第6回

 沙漠へ

 
 沙漠へ行った。マラケシュから南下してワルザザードに行った理由は、アトラス山脈を越えたかったからで、ワルザザードから西へエルラシディアまで行ったのは、久しぶりに沙漠を見たくなったからだ。「アトラス山脈」という語の響きがなんだか魅力的で、雪をかぶったアトラス山脈をテレビで見たことがあり、沙漠の国モロッコにも雪が降ると知った。アトラス山脈越えの道には、ごく一部には松林もあるものの、多くは石の原と岩山めぐりが続き、このところ湿潤アジアばかり旅しているから新鮮だ。沙漠の雪山越えという魅力的な風景には時期的にまだちょっと早かったが、なかなかにおもしろいドライブだった。アトラス山脈の画像はネット上にいくらでもあるので、ご自由にご覧ください。
 いままで、ヨルダンやスーダン、エジプトやアメリカなどで沙漠を見ている。石がゴロゴロ転がっている乾燥地帯だから、水の少ない場所という意味で「沙漠」の文字を使っている。日本人が「サバク」と言って思い浮かべる砂の海の旅もしているが、こちらは「砂漠」という字の方がふさわしい。
 沙漠の旅は、いくら画像で見ていても、360度の沙漠に囲まれた1本道をバスで走り抜ける感覚は、実際に体験しないとその醍醐味は味わえない。
 ワルザザードからエルラシディアまでバスで5~6時間、砂の海はなく、石と土の荒野が続いている。途中、湖があったのには驚いた。車窓からはほんの一部しか見えなかったが、帰国後グーグル・アースで全容を見た。沙漠と水が攻めあうが、その間に緑の地域のないのが不思議な風景だった。
 ワルザザードからエルラシディアに至る通称カスバ街道は、人間世界からは隔絶された場所だろうと想像していたのだが、道路以外にも人間が関わった痕跡がバスの窓からよく見える。沙漠に乳白色や緑や赤い花が咲いているのが見える。葉や花だと思ったのだが、よく見れば、ビニール袋のゴミがまき散らしたものだった。熱帯アジアでも、おそらく中南米でも、こういう風景になっている。旅番組にも旅行ガイドブックにも、絶対に登場しない光景だ。
 かつて、ゴミは消えるものだった。私が東南アジアの旅を始めた1970年代は、まだビニール袋は一般的ではなく、なにか買い物をすれば、新聞や雑誌の紙で作った袋に入れてくれた。食べ物の持ち帰りは、バナナの葉に包んでくれた。タイの場合、80年代になると、バナナの葉がビニールコーティングした紙に変わり、間もなく発砲スチロールの弁当箱に変わった。同時に、スーパーマーケットやコンビニなどの登場によって、ビニールのショッピングバッグがあふれだし、なかなか腐らないビニール袋とペットボトルがゴミとなって、街や村や、そして沙漠にもあふれ出した。沙漠にゴミを捨てたのは、電気や水道や道路の工事人たちだろう。
 そんなことを考えていたら、沙漠に大工場の建設現場らしきものが見え、その周辺に住宅地の造成が始まっていた。なんだ、これはという疑問は、エルラシディアに着いて調べてわかった。モロッコは鉱工業で有名で、リン、鉛、コバルトなどは世界有数の産出国だ。沙漠のなかの住宅地は、鉱工業関係者と観光産業関係者の住まいだろうと、私の疑問に答えてくれた人は語った。
 6時間ほどかかったバスの旅を終えて、エルラシディアに着いた。この街に目的があったわけではなく、カサブランカに行く中継地でしかない。1泊したら、明日はカサブランカに行きたいが、はたしてバスはあるのか。何の情報も持たずにここに来たのだ。バスターミナルで、「ここからカサブランカに行くバスはありますか?」と聞いたら、荷物係りの若い男が田中要次のように「あるよ」と簡単に言い、「今夜、9時45分」と付け足した。5時間後の出発なら、「よし、買った」。すぐさまキップを買い、荷物はその荷物係りがあずかってくれることになり、夕食をとりに街に出た。また沙漠のバス旅行だが、夜だから残念ながら景色は見えない。10時間ほどのバス旅行の予定。ヘッドライトが映し出す山肌を眺めているうちに、眠りに落ちた。
 私が南部モロッコを旅してからわずかひと月後の11月25日すぎ、いままで水がなかった川に大量の雨水が流れ込み、大洪水になった。30人以上の死亡者がでて、ワルザザードにいた観光客は孤立してしまったと、帰国してすぐのニュース番組が報じていた。
http://matome.naver.jp/odai/2141698224842743401