651話 きょうも散歩の日 2014 第9回

 イワシのフライ


 カサブランカから鉄道でフェズに行った。鉄道に乗りたかったのだ。フェズは大観光地だから、用はない。私にはシャウエンに行くバスの乗換え地点でしかない。鉄道駅からバスターミナルまでは数キロあるから、荷物を持って歩くにはちょっと大変だ。タクシーに乗ろうとしたら、「シャウエン行きのバスは午前中の便しかないから、この時間じゃもうない。きょうはここに泊まって、明日のバスにした方がいい」と運転手と、なぜか車に乗り込んできた運転手の仲間が口々に言う。胡散臭いから、「とにかく、バスターミナルに行ってくれ」と言い続け、ターミナルに着いた。そこでバス事情を調べたら、2時間後にシャウエン行きのバスが出ることがわかった。私をホテルか土産物屋に連れて行って、コミッションを稼ぐ算段だったのだろうが、残念でした。
 昼時なので、ターミナル正面の食堂に入った。調理場のおばさんの呼び声に誘われて、それをチャンスとばかりに、調理場に入って鍋のなかを覗きこんだ。訪れた土地の料理をあまり知らず、言葉もわからないときは、こうして鍋の中身を点検し、「これと、これ」と指をさして注文することが多い。エジプトやスーダンでもよく食べたインゲン豆のトマト煮があったので、それとイワシのフライを注文した。パンは黙っていてもついてくる。飲み物は、1.5リットルのペットボトルの水。バッグには500ccの空のペットボトルが入っているから、そこに水を移しいれて、残りを食事中に飲めば、あまり残らない。
 ここで食べたイワシのフライが、意外なことにモロッコで食べたすべての料理の中でもっともうまかった。フェズは内陸の都市で、新鮮なイワシは手に入らない。だから、強めの塩をしてある。これがちょうどいい具合に発酵して、うまみが加わっている。目刺しにやや近い。頭をとって5~6センチほどのフライだ。そういえば、沙漠の街エルラシディアの市場でも、イワシが大量に売られていた。
 近くのテーブルでお茶を飲んでいた男たちは、ここで食事をしている異邦人がずっと気になっているらしく、私に「ペナ」か「パナ」と聞こえる語を叫んでいる。何を言っているのかさっぱりわからない。私の卓上を指さしているのだが、何を言いたいのかわからない。ポカンとしていると、ひとりが私の近くまで来て、イワシを指さし、両手で開くジェスチャーをした。イワシの身を開いて、骨を取ってから食べなさいということらしい。骨の堅いアジではなく、小さなイワシだから骨は気にならないが、私をイワシの食べ方を知らないヤツだと思ったようだ。そういえば、手でイワシを開いて、骨を取って食べるのを、スペインかポルトガルかどこかで見た記憶がある。「ご親切はありがたいが、私だって魚食の民。生まれて初めてイワシを食べたわけじゃないんですよ、旦那」と微笑みながら言いたかったが、言葉が通じない。
 モロッコのわずかな旅行体験で、「まずくて食べられない」という食べ物はなにもなかったが、かといって「これは、うまい。ぜひまた食べたい」というものもない。昨今、すっかり有名になったタジンも、「おいしくいただきましたよ」というだけのことで、それ以上、特にどうという感想もない。ちなみにタジンとはとんがり帽子のようなふたがついた鍋とその鍋を使った料理のことだから、「タジン鍋」では、「鍋鍋」になってしまう。これは韓国のチゲも同様で、チゲとは基本的には小さな土鍋とその鍋で作った料理のことだから(鍋料理の総称としても使う)、「チゲ鍋」もやはり「鍋鍋」になってしまう。
 ただし、外国人にわかりやすい表記を選ぶという選択もあるので、この問題はややこしい。日本の料理を外国人に紹介するとき、土鍋をそのまま”Donabe”としてもわかりにくいだろうから、”Donabe Pot”(Japanese Cray Pot)などと説明した方がわかりやすいだろう。白山を”Haku Mountain”とするよりも、”Hakusan Mountain”の方がわかりやすいと考えるなら、「タジン鍋」や「チゲ鍋」でもいいのかもしれないという気もしてくる。異文化の紹介には、こうした面倒なことがいろいろある。
 話をフェズの食堂に戻す。その食堂の調理場に入り込んだおかげで、営業用のタジンの作り方を見た。テレビやネット情報などでは「蒸し煮」ということになっているが、食堂では注文が来てから何時間も煮ているわけにはいかないから、肉や野菜をそれぞれしっかりと煮ておき、注文がくればタジンに盛り付けてちょっと加熱して、客に出す。こうすれば、堅い肉の煮込みも10分もかからずに客に出せる。
 タジンの料理に関して、ひとこと、異論を差しはさんでおこう。モロッコの旅番組では、必ずタジンが紹介される。鍋に水を入れず、大きな陶器のふたをして加熱することで、野菜から出る水分で蒸し焼きにするという料理で、「水が貴重な沙漠で生まれた蒸し焼き料理です」と説明している。『おいしい中東』(サラーム海上双葉文庫、2013)でも同じ説明をしている。しかし、まあ、誰がこんなことを言い出したのだろう。クスクスというのは、粒状のパスタにシチューをかけて食べる料理だ。モロッコにはハリラという豆スープもある。だから、「食材を煮込む水もない沙漠だから、タジンは水を入れないで煮込むのですよ」という説は、まったく説得力がない。煮物に使う水もないような地なら、ミント茶も飲めず、飲料水だってないのだから、とても生きてはいけない場所だ。したがって、「モロッコは水が少ない土地だから、水をあまり使わないタジンの料理が誕生した」という説に合理性はない。