652話 きょうも散歩の日 2014 第10回

 ロッコのパンの話

 [2015年に入ったが、この雑語林は2014年の旅の話がまだまだ続きます。今も週に1,2冊資料が届き、訂正や加筆を繰り返しているものの、おそらく8万字をちょっと超えたくらいで終了しそうです。もう少しすると、スペイン編に入ります]

 モロッコで出会った食べ物で、「これはダメだろう」と思ったが、おそるおそる口にしたら不思議に平気だったものがふたつある。ひとつは、メニューに英語でMoroccan salad(モロッコ風サラダ)とある料理。トマト、キュウリ、ピーマン、タマネギなどを細かく切り、塩、オリーブオイル、レモンなどで味付けたものだが、この料理を目の前にすると、そうした野菜以外に「おっ、入っているな」とすぐにわかるものがあった。みじん切りの緑の物体は、コリアンダー、いまはタイ語名のパクチーの方が有名になった香草だ。じつにいやなヤツが、こんなところに潜んでいたか。困ったなと思ったが、むせるほどには匂って来ないので、試しに口に含むと、食える。タイのパクチーの臭気がメジャーリーグ並みの実力だとすれば、モロッココリアンダーは町内野球大会ほどの実力しかない。存在はわかるが、ほとんど気にならない。土の違いなのだろうが、これなら、食える。もちろん、うまくはないが、吐き出すほどではない。日本のコリアンダーも、タイのものと比べれば大して臭くない。
 タイで苦手なものは数多くあって、ミントもそのひとつだ。ミントが入った料理ならなんとか食べるが、生のミントの葉をつまみながら、そう、日本人が漬物を食べるように、バジルやディルやミントなどのハーブをつまみながら食事をする気にはなれない。
ところが、モロッコではミント茶を好んで飲んだ。中国から輸入した緑茶にミントと砂糖を入れた飲み物で、茶の風味も味もほとんどないほど甘い飲み物だ。この砂糖入りミント湯は、沙漠の飲み物としては悪くないが、日本でも飲みたいとは思わない。
 モロッコとスペインの旅を通して、日本でも食べたいと思い、実際に帰国後にすぐ買ったのがオリーブの漬物だ。もともと好きな食べ物で、年に何回かは買っていたのだが、旅先でほぼ毎日食べていたので、すっかりオリーブ漬け体質になってしまった。モロッコでもスペインでも、市場に行けば数十種類の漬物があるが、日本の輸入食材店にあるのはほん数種類しかなく、なんとも残念だ。高くはないが重いので、買って帰ろうかとちょっとおもったのだが、面倒でやめた。帰国後に買いあさるくらいなら、1キロほど買っておけばよかったと、後悔している。
 そうそう、モロッコイワシのフライの次にうまかったものと言えば、パンかもしれない。モロッコに着いて最初の3回連続して食べたパンが、どうしてこうもぼそぼそなんだと思うほどまずく、多分全粒粉になにかの雑穀が入っているのだろうと思った。ところが、それ以後、モロッコを離れるまでその手のパンに再会することはなく、逆にうまいパンに出会った。モロッコのパンの種類は多いのだが、表面にゴマ粒のように見える粒のある丸いパンがうまかった。パン小麦(普通小麦ともいう)の粉と、デュラム小麦のセモリナ(ひき割り)とを混ぜてつくった平焼きパンだ。パン小麦というのは、パンやうどんなどに使う普通の小麦で、日本のどこででも売っている小麦粉の原料だ。デュラム小麦は乾燥パスタの原料となる小麦で、イタリアでは乾燥パスタはデュラム小麦100パーセントの粉を原料にすると法律で決められている。北アフリカではクスクスに使うのがこのデュラム・セモリナだ。パン小麦が育つ土地よりも高温で乾燥していてもよく育つデュラム小麦は、パン小麦よりも粒が固い硬質小麦だから、粒をつぶして(ひき割り=セモリナ)、外皮を取り除いた黄色い小さな粒のまま利用する。だから、デュラム小麦のパンは黄色いのだ。スパゲティーやマカロニが黄色いのは、デュラム小麦を使っているからだ。
 デュラム小麦ではパンは焼けないと思い込んでいたが、いやいや、うまいパンが焼ける。調べてみれば、日本でも日清製粉が「デュエリオ」というデュラム小麦を原料とするパン用の小麦粉を売っている。宣伝文句は「デュラム小麦のパンは、最近イタリアで大人気」だそうだ。
 ネット上では、モロッコのこのパンを「ホブス」と説明しているものが多いが、ホブスは平たいパンの総称だから、このパンだけが「ホブス」というわけではない。中東から北アフリカにかけて、「ホブス」と呼ばれる平たいパンがあり、地域によって大きさや食感はかなり違う。
 モロッコのこのパンは、イングリッシュ・マフィンが好きな私にはうまいと感じるのだが、「ヤマザキ・ダブルソフト」のようなふかふかで甘目のパンが大好きという人には向かない。つまり、あまり日本人向きではないということだ。この手の平焼きパンは、時間がたつとカチカチに硬くなるので、汁をつけて食べることになる。食堂で早朝に食事をすると、前日に焼いた堅いパンが出てきて、飲み物に浸して食べることになる。
 クスクスとはどういう料理なのか簡単に説明すると。デュラム小麦を引き割りにした粒を蒸し、肉や野菜を煮た汁をかけて食べる料理だが、詳しい説明はここではしない。長くなるからであり、私の好きな料理でもないからだ。ネット上には静止画でも動画でも、クスクス(couscous)の作り方といった情報が豊富にあるから自分で好きな動画を探してほしい。地域差や個人差があるから、「これが正しいクスクスの作り方」という結論はないと思う。文字資料で確認したい人は、次の3冊。
『クスクスの謎』(にしむら じゅんこ、平凡社新書、2012)
『世界の食文化 アラブ』(大塚和夫ほか、農文協、2007)
“World Food Morocco”(Catherine Hanger , lonely Planet , 2000)