モロッコの自動車
世界の料理は、フランスとイタリアと中国と日本にしかないと思っている人はいないだろう。世界には、そこに住む人たちにそれぞれの食べ物があり食文化がある。音楽は西洋、あるいは欧米にしかないという価値の人は過去には多くいて、英米音楽だけとか日本の音楽しか聞かないという日本人が多数派ではあっても、「世界音楽」(ワールド・ミュージック)の思想が広まり、世界各地の音楽がラジオやネットで流れるようになった。日本でもアフリカ音楽のCDが買える。映画だって、世界各地で映画が作られ、世界の人がさまざまな映画を見ている。
しかし、日本の自動車評論家や自動車ファンたちは、はっきり言ってアホだから、狭い世界にしか反応できない。「アホ」という表現がお気に召さないなら、「井の中の蛙」といってもいい。世界の自動車を知らないカエルだ。巨大自動車メーカーに操られているといってもいい。日独仏伊の車の新車情報と試乗ルポに興味を集中し、「350馬力」だの「最高速度280キロ」といったスペックや、「高速安定性」を語る言葉はあるが、世界のさまざまな土地で自動車が生産され、それ以上のはるかに広い地域で、人間が住むほとんどすべての世界で、自動車が使われているという事実は、彼らの視野にはまったく入っていない。これをアホと言わず、なんと言えばいいのだ。世界音楽の本はあり、世界各国の小説が翻訳されているが、世界の各地で生産されている自動車図鑑は日本には存在しないのだ。自動車に興味のある人が、世界に興味がないからだ。自動車民族学の視野がないのだ。そういえば、酒飲みの「おつむ」も小さい。欧米と南アフリカなどいくつかのワイン生産国以外の地の酒に対する好奇心も知識もない。ビンに入っていない酒に対する興味がほとんどない。酒飲みの数の多さに比べて、世界の酒を語る出版物の少なさは、「おつむが小さいから」だとしか言いようがない 自動車や酒のことを考えると、鉄道ファンが世界に出て行き、ルポを書いているのとは対照的だと言わざるを得ない。鉄道ファンは、鉄道をその最高速度だけで評価したりはしない。
私は日本の自動車ジャーナリズムの世界を知らないまま、この批判を書いている。「世界の自動車オールアルバム」(三栄書房)くらいはときどきチェックしているが、「あんたが無知なだけで、『インドネシア自動車図鑑』も『ロシア自動車図鑑』だって、とっくに販売されているのだよ」というなら、その事実をお知らせください。私の発言を取り消して、謝罪します。
なぜ、こういう批判から書き始めたかというと、モロッコで見た自動車の印象が強かったのに、少なくともインターネット上でも、モロッコの自動車事情は自動車業界側の産業的見地はあっても、旅行者が見た自動車マニアのルポを読んだことがないからだ。文化としての、モロッコの自動車事情を読んだことがないのだ。事はなにもモロッコのことだけではない。昨年は台湾の自動車のことを書いた。今回は、モロッコのことを書く。
モロッコの街を散歩していて、3種類の自動車が気になった。ひとつはタクシーに多いDACIAという車だ。私は運転免許さえ持っていない自動車の素人で、けっして謙遜ではなく、自動車に関してまったくの無知なのだ。パソコンを持って旅をしないから、この文章を書いている今、ちょっと調べてみた。ダチアは、ルノーグループのルーマニアの自動車会社だという。ほほー、ルーマニアの会社ねえ。モロッコでよく見た理由は、タンジェに工場があるせいでもあるとわかった。ルノーはフランスの自動車会社で、モロッコは元フランスの植民地。ダチアは、1960年代からルーマニアでルノーのノックダウン生産をすることで事業を展開してきた自動車会社だということで、「なるほど」と納得。
気になった2番目の自動車は、この私でも知っているルノーのカングー(Kangoo)だ。ダチアの次によく見かけたのが、このカングーとその類似車だった。
https://www.google.co.jp/search?q=kangoo&biw=856&bih=894&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=nWtnVKe2J-XSmgWL2IDICg&sqi=2&ved=0CD8QsAQ
カングーというのは上記の写真にあるような車で、商用車にも乗用車にも使える。荷物を多く積めるし。旅行用の大きなトランクでも、4つくらい積めるだろう。緊急事態なら人も多く乗せられる。だから、大ベストセラー車になったのだろう。そして、ちょっと離れていると、カングーと間違えてしまう類似車も多いのだ。シトロエンにも、こういう車があった。韓国車にもあった。そして、ダチアにもある。日本人なら、初代カングーの2年後に発売したファンカーゴ(1999年)が思い浮かぶことだろう。それにしても、みんな、よく似ている。
ダチアにカングーと似ている車種があるのは当然で、上に書いたように、ダチアはルノー系列の会社で、カングーの車台を使ってダチアブランドの車を作っているのだから、似ていて当然だ。カングーは世界のいくつかのルノー工場で生産されているが、その工場のひとつがカサブランカのルノー工場だからということも、モロッコで目につく理由かもしれない。ウィキペディアによれば、カングーの一部の車種は、2003年から08年まで、ヨーロッパなどでNissan Kubstarの名で売られていて、これが2009年にNissan NV200に代わった。なるほど、これでわかった。カングーに似ている車のひとつが、ニューヨークでタクシーに使われているNV200系の車だったので気になっていたのだが、これで謎が解けた。
私のように自動車に無知な者ではなく、日ごろ自動車関連書籍や雑誌をよく読んでいるような人がモロッコを旅すれば、経済や政治などの資料も駆使して、「カングーとモロッコ人」という自動車民族学的なルポが書けるのだろうが、そもそもそういう人はモロッコの自動車事情にはなぜか興味がないようだ。
気になった3番目の車は、軽トラックだ。スズキの、多分キャリーだと思う。スズキだけではく、他社のものもあるが、知らない車種だ。韓国製かもしれない。心もち日本の軽自動車よりも大きいようで、排気量も日本の軽基準を超えていると思う。日本からの輸出品ではなく、アジアのどこかの国から輸出されたものだろう。インターネットで調べると、モロッコの軽について書いている人がひとりだけいた。
サービスの意味で、自動車マニア向けの話題をひとつしておく。モロッコで見かけたもっとも高価だと思われる車は、ポルシェのパナメーラ(だと思う)。「こんなでっかいポルシェがあるんだ」とびっくりして、カサブランカの下町で転びそうになった。でこぼこ道の路上駐車だった。
ついでだから、スペインのことも書いておく。バルセロナに着いて、空港からバスに乗り、車窓から車を見ていたら、「ああ、そうか。Sの国に来たんだなあ」と気がついた。Sのマークをつけた車が目に入ったからだ。スズキのSではなく、SEATのSだ。1950年にフィアットと技術提携して生まれた自動車会社で、現在はフォルクスワーゲングループの会社だ。バルセロナ散歩で印象に残ったのは、路上に何か所もある駐輪場に、数十台のバイクが停めてあることであり、しかも大型バイクが多いことだ。排気量の小さなスクーターももちろんあるが、1000cc以上はありそうなBMWなどのバイクが何台も停めてあるのを見ている。こういう光景は、日本の日常にはない。スペインの治安はそれほどよくはないようだが、大丈夫なのだろうかと心配になった。小型スクーターは、日本や中国のメーカーの黒いものが多い中、Piaggioピアッジオのシャンパンピンクのおしゃれなスクーターは、小柄な女の子によく似合う。これがヨーロッパの街の風景だが、なぜか日本ではあまり流行らない。