657話 きょうも散歩の日 2014 第15回

 雨に煙るグエル公園


 バルセロナは、すっかり秋になっていた。10月には、ホテルで部屋の鍵といっしょにエアコンのリモコンを手渡されたのだが、11月になって同じホテルに戻ってきたら、部屋にスチーム暖房が入っていた。
 バルセロナでも早起きだった。部屋で本を読むには暗く、パソコンも持っていないので、夜は早く寝ることになる。昼間にずっと歩いて、おそらく15キロくらいは歩いているだろうから、たっぷり疲れている。酒を飲みに出ることもないので、10時ごろにはもう眠くなる。1日を有効に使いたいので、早寝早起きを心掛けている。
 ゆっくりと朝飯を食べて、地下鉄の駅に向かった。朝は、パンとコーヒーとたっぷりの時間があれば、ほかに何もいらない。濃いコーヒーが体の隅々までしみていくように感じる時が、私の楽しい朝だ。
 3号線のレセップス駅から歩いたが、グエル公園に着いても、まだ8時をちょっと過ぎたところだった。強くはないが、止むことのない雨が降り続いていた。
グエル公園とはこういう場所。設計は、もちろん、あのガウディー。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B0%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%85%AC%E5%9C%92&biw=1745&bih=883&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=H0NoVIyXGOPWmAXJqoGgDw&sqi=2&ved=0CAcQ_AUoAg
 ガイドブックによれば、開園は8時30分らしい。今回の旅は、ガイドブック比較という遊びをやりたくて、『地球の歩き方 バルセロナ』(ダイヤモンド・ビッグ社発行、2014年2月14日)と、『わがまま歩き スペイン』(実業之日本社、2013年1月13日)の2冊を持ってきた。日本出発時点では、どちらも最新刊だ。グエル公園の入場料に関する説明が、違っているのが気になった。『地球の歩き方』は、入場料は「€8(オンライン購入は€7)」となっているのに対して、『わがまま歩き』は、「公園は無料、ガウディ博物館€5.50」となっている。
 ここでちょっと細かい話をしておくと、ユーロもアメリカドルと同じように、$18のように記号が数字の左に来るのだろうと思い、日記にも最初の頃はそういう表記にしていたのだが、街で見る数字、看板やメニューなどは25€のように、数字の右側に書くことが多いことに気がついた。「230円」のように、しゃべるように書くということだろう。だから、このブログでも現地方式にならい。ユーロ記号を数字の右側に書いている。この旅行当時、1€は約140円だった。
 さて、グエル公園の入場料だ。無料なのか、有料なのか。レセップス駅からの案内表示に従って歩くと、公園の門に出て、入場券販売窓口が並んでいた。その前に、入場券の自動販売機らしい機械があるが、なにか不具合でもあるのか修理中だった。やはり、有料のようだ。実業之日本社、破れたり、か?
 入場券窓口に進もうとしたら、職員が近寄ってきた。
 “At this moment , it’s free”
 今だけ、タダ? 事態がよくわからないが、とにかく、入場券を買わずに公園に入った。どちらのガイドブックが正しいのか、またわからなくなった。タイルのベンチがある中央広場に来たときは、雨が激しくなり、モザイクの長ベンチをのんびりと眺める余裕などない。みるみるうちに広場に雨水がたまり始めたので、さっさと歩いて、屋根のある回廊で雨宿りをした。トカゲ像で有名な正面の入り口付近もさっと歩いて、また回廊で雨宿り。10人ほどの韓国人の団体と、西洋人の個人旅行者がやはり10人ほどいたが、すぐにどこかに消えた。
 10分か20分待てば、雨は止むだろうと期待したが、止みそうな雲行きではない。じっとしているのは退屈なので、雨の中をまた散歩を始めた。工事中に出てきた石で作ったという回廊(ななめの柱で有名)で、また雨宿りをした。ここは世界的に有名な観光地なのだが、なぜか小さな子供の手をひいた親子がすぐ下の道に集まっていた。私と同じように、すぐ近くで雨宿りしている親子もいる。スペイン人の親子で、観光客には見えない。そうか。眼下に見えるレンガの建物は、学校だったのか。場所柄、名門校だろうから、金銀財宝を身に着けた母親が子供を連れて来るのだろうと思ったが、そうでもないらしい。子供を学校に連れていったら、そのまま現場に直行して塗装工事だという感じの、作業服姿の父親もいる。公園内に、Escola Pùblica Baldiri i Reixachと学校名お書いた看板がかかっていたが、Escola Baldari Reixacという名でホームページもある。 http://baldirireixac.org/
 さらに調べてみた。このBaldiri Reixachという語が辞書で調べてもわからないので、「もしや?」と思い、さらに調べれば、なんということもない。教師の名前だった。人名じゃ、辞書では探せないわけだ。それはどうでもいいことだったが、この建物は公園の元所有者でありガウディーのスポンサーだったグエルの自邸で、1918年に彼はここで亡くなった。その屋敷が、のちにこの学校になったということもわかった。
 実は、幼稚園児くらいの子供も多いので、はじめはここに幼稚園があるのかと思っていたが、小学生くらいの子供もやって来るので、事情がよく分からなかった。あとで調べてみれば、小学校に、日本式に言えば公立幼稚園を併設しているような学校がスペイン式の学校制度らしい。だから、幼稚園児と小学生が同時に同じ建物に入っていくのだ。
8時45分ごろになり、学校の大きな門が開き、リュックの上からカッパを着た子供たちだけが学校に入り、親たちは帰っていく。校門前まで車では来られないのだ。まだ雨は止まない。
 突然、学校のスピーカーから音楽が公園内に流れ出した。9時。始業の合図は、ルイ・アームストリングが歌う”What a wonderful world”。モロッコカサブランカで私の頭のなかで流れていた歌が、今実際に流れている。まさか、グエル公園でこの歌がスピーカーから流れてくるとは。日本語の訳詞とともに、また紹介してみよう。歌詞の最後の節が今の、この時間にふさわしい。
http://ebisume.com/feel-lyrics-whatawonderfulworld/
 雨がやや小降りになってきたので、公園の奥に入って行った。ここまで来る観光客はほとんどいない。高い場所からは、サグラダ・ファミリアや海岸が見える。森のなかに入っていくと、貼り紙があった。なぜか、英語だけで書いてある印刷物だ。「公園の違法使用者を許さない 本来公園は誰でも無料で利用できるものではあるが、公園の規則を守らず、注意も無視して居座る者を、われわれは許さない」。そういう内容だったと思う。いきさつは一切わからないが、この夏に、公園職員の注意を無視して野宿をする者がいたのだろうか。それにしても、英語だけの警告書というのは、いったいどういう意味があるのだろう。スペイン語でもフランス語でもないということは、英米人かドイツ人あたりを標的にした警告なのだろうか。
 雲はまだ低く覆いかぶさっているが、雨は止んだ。もう一度、正面入り口のタイルのトカゲを見てから帰ろうと思って中央広場の方に行ったら、階段の上に職員が立ち、入れなくなっていた。入場券を見せないと、正面には回れないのだ。1度見ているので、改めて入場券を買う気にはなれない。
 というわけで、グエル公園の事情が少しわかった。基本的に、公園は誰でも無料で歩けるのだが、ガウディーに関わる部分だけは有料らしい。私がここに来た時間があまりに早く、おまけに激しい雨が降っていたので、有料地域に入るゲートを警備する職員がまだ来ていなかった。そういう事情を知らない私は何の疑問も持たずに、そのまま正面に回りこんだということらしい。というわけで、『わがまま歩き』は間違いなのだが、少し調べると厄介な事情があったとわかった。
 元々は、このグエル公園は、ガウディーの家など建造物内部以外、入場無料だった。公園内の、ガウディーの手による建造物地区への入場有料化は、「2013年3月から5€にする」という計画だったらしいが、実際には2013年10月から8€の入場料を取るという有料化に踏み切ったということらしい。2013年1月発行の『わがまま歩き』は、その後の変化に対応できなかったというわけだが、もちろんそれを非難しているわけではない。ふたつのガイドブックの説明がどういういきさつで違ったのかが知りたかったのである。