なんとも運の悪い人 後編
翌朝も早起きしてゆっくり朝ご飯を食べてから、ふたたびサン・パウ病院に行った。こうなったら、何としてでもカサ・アーシアの正体を突き止めたくなった。「意地でも」などという肩ひじ張ったものではなく、いいおもちゃを見つけたので、「また遊びましょ」という気分だ。「おもちゃ」と言うのは、散歩の口実だ。
元病院の正面受付けで来意を告げると、建物右側の土産物売り場に行くように指示された。きのう、最初にこの病院に来て、「マニヤーナ」(あした)と言われた場所だ。土産物屋に入場券売り場があり、病院跡地見学料金を徴収していた。
「カサ・アーシアに行きたいのですが・・・」
「カサ・アーシアだけに行きたいんですか?」
「はい、そうです」
「それじゃ、正面の受付けに行ってください」
「今、その受付けで、ここに行くように指示されたんですが」
「とにかく、あそこに行ってください」
たらい回しされた旅行者は、また正面受付けに行った。その間に、私の問題をどう解決したらいいのか、警備員たちが電話で会議していることがわかった。そして、電話会議の結果決まった解決策は、受付けでカサ・アーシアの臨時入館証を発行してもらい、警備員の案内でカサ・アーシアに行くことだった。ここで初めて、カサ・アーシアが本当にこの病院敷地内にあることがはっきりとわかった。きのう、この病院敷地内でさまざまな人が私に「あれがカサ・アーシアだ」と指さしたどの建物とも違う場所に案内された。インターネットの画像検索ではよくわからないが、ここには50近い建物があるという。
入館証をもらったので、堂々とカサ・アーシアの建物内部に入った。観光客は入れない場所だ。入館証をかざす機械に、”Casa Asia”と印字した小さな紙テープが張ってあるだけで、入り口に看板などはない。内部は改装されて近代的だが、階段付近に歴史を感じる。館内で、職員から話を聞いた。1年ほど前に、この場所に移転してきたという。アジア関連の図書館と視聴覚室と教室がある。「スペイン語のアジア資料」を読みたいという要求でもなければ、日本では探せない資料はあまりなさそうだ。アジアのさまざまなモノを展示していたギャラリーは、もうないそうだ。結果的には、アジアの映画ライブラリー以外は、わざわざ来る価値のない施設ではあった。アジア映画資料館は、日本にも欲しい。昔は、溜池山王のアセアン文化センターに映像資料がそろっていたのだがなあ。
カサ・アーシアを探す2日間の旅は、時間の無駄でも体力の無駄でもなく、これはこれで愉快な散歩だった。旅に無駄な事などないのだ。そういうこととは別に、病院跡の施設案内の表示など、システムがまるでできていないのは大問題だろう。カサ・アーシアは移転してもう1年もたつというのに、いまだにちゃんとした案内板も看板もないというのが、スペインらしさだろうか。コスモ・カイシャは16年たっても案内板を変えていないのだから、1年なんか誤差にもならないというのがスペイン流なのだろう。バルセロナは、おそらくスペインでもっとも「合理的システム」が整った都市だろうが、そのバルセロナにしてこの程度なのだ。
病院を出て、地下鉄に乗った。スペイン広場に行き、丘の上にある民族学博物館に向かった。普通は、この丘に登れば、カタルーニャ美術館に行くのが定石なのだが、私はキリスト教美術品にはまったく興味がない。カタルーニャ美術館のそばにある民族学博物館と、美術には興味はないがミロの色にはやや興味があるので、近くにあるミロ美術館まで歩こうかというのが、午後の一応の計画である。
民族学博物館はすぐにわかった。しかし、館内に入ると、なんだか変だ。警備員が走ってきて。「クローズ!!」と叫び、胸の前で腕を交差させた。×印だ。
「今日は休館という意味ですか、それとも閉鎖という意味ですか?」
その英語は警備員には理解されなかったが、入り口付近にいたふたりの男が説明してくれた。
「我々はここの職員ですが、展示品の入れ替えや施設整備などで、来年2月まで閉館しています」
おいおい、今度は長期閉館かよ。彼らに、きのうの移転4連発の話をした。
「まあ、なんと運の悪い人だ。お気の毒に」と、にっこり笑った。失笑だな。そして、付け加えた。
「そうそう、ミロ美術館も閉館中ですよ。ここと同じ理由で」と、またニッコリ。
これで、残念賞6件目。なんたる不幸の連続。これほどの不幸が続けば、逆にもう幸運としか言いようがない。ここ2日間の移転・閉館事件のせいで、実に多くのスペイン人と話をした。親切にも出会った。だから、私は楽しかったのだ。シーズンオフの旅行は、混雑は少ないが、こういう残念な体験をすることになるが、それもまた旅なのだ。
カタルーニャ美術館前に戻り、バルセロナの市街を眺め、階段を下りて、闘牛場を再利用したラス・アレナスというショピングセンターのスーパーマーケットでサンドイッチを買い、その隣りのミロ広場で遅い昼食にした。平日の昼間に公園にやってくる人々を眺めているのもまた、じつに興味深いものである。広場の端には、インドのラジャスタンあたりから来たような服装をした女が3人、ガラス拭きに使うスクイジーを持って立っていた。信号で止まった車のフロントガラスを勝手に拭き、料金を請求する稼業だ。彼女らは、昔の名ではジプシー、今はスペイン語でヒターノと呼ばれる人たちだろう。私がそばを通ったら、左手を差し出した。カネをくれというジェスチャーだ。
翌日、シウタデリャ公園にある自然研究所に行った。そして、何たる不幸。ここも、「またしても閉鎖」だった。改装のための閉館だそうで、私の閉館体験記録を更新した。この研究所は、もともとは1888年のバルセロナ万博のためにカフェレストランとして建てられた施設で、サン・パウ病院と同じムンタネーが設計している。万博終了後は動物博物館になり、現在は自然研究所にするための改装工事をずっと続けているということらしい。