662話 きょうも散歩の日 2014 第20回

 観光地が嫌いな訳


 一応、サグラダ・ファミリアには行った。外部から眺めるだけでなく、入場料を払って建物内部に入った。「すごいものを作ったなあ」とは思うが、感動はしなかった。完成部分を鑑賞するよりも、工事現場を見ている方がおもしろかった。それはなぜだろうかと考えていて、私が観光地を好きになれない理由がだんだんわかってきた。へそ曲がりだから、観光地が嫌いなフリをしているわけではない。ガウディーが設計した建築物が嫌いなのは、装飾過多の悪趣味だからだ。サグラダ・ファミリアの場合は別の理由も加わる。
 私は宗教施設というものが好きではないのだ。大聖堂とか神社仏閣、大モスクとか、施設が大きくなればなるほど、豪華になればなるほど、嫌悪感が増していく。宗教的権威を見せつけて、その宗教や教祖を偉大に見せようとする施設が嫌いなのだ。神の教えを有難がれと言われても、困る。そういえば、宗教画やゴスペルも好きになれない。
 嫌いなのは宗教だけではない。宮殿、王宮などという世俗の遺物も嫌いだ。政治的権威を見せつけるものだからだ。宗教的、政治的、経済的権威、権力、威光を見せつける施設というのが、世界文化遺産に多く、それが観光地になっているから、私は大観光地を避ける傾向にあるのだと自分を分析できた。建築家の名を知らしめる記念碑的建造物、「どうだ、すごいだろ、オレの政治力!」と自信満々の建築家の自慢顔を見るような建造物も嫌いだ。建築学や建築マスコミが大々的に取り上げるのは、そういう種類の建築家だ。
 タイの王宮に行ったのは、タイに初めて行ってから20年以上たってからだった。取材目的で行ってみることにしただけで、どうしても行きたかったわけではない。タイの有名な寺院のほとんどには、タイとの付き合いが40年以上たった今でもまだ行ったことがない。アンコールワットのそばの村まで行って、結局その村にずっといたのは、アンコールワットに行っても、「無駄なカネを使った」と後悔するだけだろうと思ったからだ。
 宗教的、政治的、経済的権威が嫌だといっても、「反権力の思想」などという大それたものでもないし、理屈っぽいものでもない。思想ではなく、趣味嗜好の問題である。「どうも、偉そうなのって、いやだよな」というレベルのことであって、理屈によるものではない。私のような嗜好だと、ガイドブックで紹介している「見るべき所」というのはほとんど除外される。だから、一応ガイドブックは買っても、もっともよく利用するのは地図だ。今回のバルセロナ散歩では、区分地図を買った。広げたり折ったりという面倒な作業もなく、地図を見ながらの楽しい散歩ができた。
 「観光地が嫌い」と言うと、観光地が大好きな人からなぜか痛烈な反感・反発を受けることがある。だから、しつこくなるが、もう一度書いておこう。私の趣味嗜好で、「観光地が嫌いだ」と言っているだけで、「観光地はだめだ」とか「観光地が好きな人はおかしいんじゃないか」などと言っているわけではない。「ゴルフは好きじゃない」とか「邦楽は好きじゃない」と言っているのと同じレベルの発言なのだ。不本意ながら、こういうことをちゃんと書いておかないと、観光地が好きな人から私に対して、「自分を特別な人間だと思いやがって」とか、「俺たちをバカにしやがって」などと、なぜか大反発を受ける。「観光地に行く自分」に劣等感を感じているわけでもないだろうに。
 理屈ではないから、例外はある。エジプトのピラミッドは、あの巨大さに圧倒された。テレビで見ているだけでは、あの巨大さはわからない。大昔に、とんでもないものを作りやがってと感嘆した。いままでのところ、建造物であれ以上の驚きはない。しかし、そのピラミッドにしても、エジプトにピラミッドがあることはもちろん知っていたが、カイロを散歩しているときは、ピラミッドのことは頭になかった。まったく意識になかったから、見に行こうなどとは全く思っていなかった。ガイドブックを持っていないから、ピラミッドがエジプトのどこにあるのかさえ知らなかった。ある日、たまたまカイロの丘に登って、遠くに三角の姿が見えて、「あっ、あれはもしかしてピラミッドか?」と初めて気がついたのである。カイロの市内バスで行ける場所にピラミッドがあると宿で聞いて、「じゃあ行くか」と散歩に出かけただけである。
 自然の造形には驚くことはあり、沙漠を見に行きたくなることもあるが、もっとも好きな旅は、街散歩だ。バルセロナのトラム(路面電車)や地下鉄に乗って、何度も郊外に出た。ただの四角いアパートが建っている。これが近代というものだ。建物の様式を決め、さまざまな装飾をするという19世紀までの建築を離れ、モダン(近代)様式の建造物がはっきりと姿を見せるのは20世紀に入ってからだ。豆腐のように白くて四角い建築物を、これまで「美しい」と思ったことがなかったが、バルセロナの中心部の、ごてごてと飾りのついた建造物ばかり毎日眺めていると、鉄とコンクリートの、のっぺらぼうの、飾り気のないアパートが、あっさりしていて心地いいと感じる。ただし、ガラス張りのビルは嫌いだ。そもそも高層ビルは好きになれない。ちょうどいい装飾具合は、今回の旅で言えばマラガ市内中心地の建物だ。
 近代建築に心を奪われる感覚は、西陣織だ、輸出された伊万里だと次々と見せつけられたあと、無印良品に出会った清涼感とでも言えばいいか。そういう感覚を、バルセロナ郊外のアパートを見ていて想像した。金線花柄の高額コーヒーカップよりも、無印良品カップの方が私の性に合うのである。