665話 きょうも散歩の日 2014  第23回

「伝統」なんて、ちょっと前のこと

 
 『世界の食文化 スペイン』(立石博高、農文協、2006)は、スペインの歴史を専門とする著者を得て、じつに魅力的で刺激的な内容の本になった。今回のスペイン旅行前に読んでおこうと、本棚を探したが見つからない。「買ったがまだ読んでいないか、読んだが内容を覚えていないのか」、そのどちらだろうと思ったのだが、肝心の本が見つからない。なぜかこの巻は買っていなかったらしい。全20巻の本だと、そういうことがある。出発直前に注文してももう間に合わないので、帰国してから読むことにした。
 帰国してすぐに読んだ。実に刺激的だった。いままでぼんやりと知っていたスペインが、誤解だったと気がついただけでも大収穫だった。例えば、こういうことだ。
 長い昼食と昼寝の時間をシエスタといい、職住接近の昔ならいざ知らず、いまでは昼飯を食べに帰宅するわけにはいかない事情になり、金融機関など国際的関係も深くなり、そのシエスタはひと昔前の習慣になっているということは知っていたが、シエスタというものは、じつは古くからある習慣ではなかったという。
スペイン人の農民の食生活は、夜明けとともに起きて、軽い朝食か強い酒を一杯。午前中の休憩の後、正午ごろに昼食。日が落ちる前の7時か8時に夕食をとった。都市部では、朝はもう少し遅くなった。それが、スペイン内戦(1936〜39年)後に工業化などで労働時間が長くなり、長い昼休みが必要になり、昼食と夕食が数時間後にずれ込んだ。つまり、ガイドブックなどに書いてある「シエスタ」とか「遅い昼食・夕食」といったものは、1940年代以降の習慣で、20世紀末には消えかかっている短命な習慣と言うことらしい。
 スペインはどういう国か。「20世紀前半まで、スペインには一握りの裕福な人と、大多数の貧しい人びとがいた」というのが基本で、1950年代に入っても、ミルクや肉や小麦粉のパンなどほとんど口にしたことがない人はいくらでもいたらしい。空腹を抱えたままの人がだんだん少なくなっていくのが、1960年代からだという。だから、多くのスペイン人たちにとって、「たっぷりの昼飯をゆっくりと食べる」ことができるほど豊富な食料など、日常的にはそもそもなかったのだ。電気のない山村で、連日の酒宴を続けていることなどできないのだ。夏の夜がいつまでも明るいのは、夏時間のせいでもある。「暑いから、昼寝が必要」と考える人が多いだろうが、スペインの夏はどの地域でも暑いわけではない。北部や山岳部では、夏でも暖房が必要な地域もある。アンダルシアの夏は確かにかなり暑いが、冬はぐっと冷える。スペインは、熱帯の国ではない。昼寝の習慣などないタイよりも暑いわけではない。
 スペインの1960年代は、「世界的な観光地スペインの誕生」という時代だ。日本人が大挙してスペインに行くようになるのは1970年代末からだが、スペインの観光情報は日本にも届いていた。例えば、フラメンコ。スペイン南部の芸能であるフラメンコが、あたかもスペイン全土の芸能のように紹介された。スペインの闘牛も南部アンダルシアから始まった。
 スペインはオリーブ油を使う地域という認識があったが、それはアンダルシアなど南部地域の例であって、内陸部や北部では本来はラードやバターなどを使う地域だったという記述を読んで、イタリアと同じ事情だったのだとわかった。イタリアも北部は、フランスやスイスなどのようにバターや生クリームやラードの食文化地域である。オリーブとトマトはイタリア南部の食文化である。スペインではオリーブ油の利用は南部から始まり、しだいに北上していった。アンダルシアのセビリャからマドリードまで鉄道で旅したことがあるが、車窓から見えるアンダルシアの風景はオリーブの林ばかりだった。アンダルシアからカタルーニャにバス旅行した体験では、カタルーニャ地方を走るバスの車窓からは、オリーブではなく延々とオレンジの林が続いていた。カタルーニャ地方にはオリーブの木は少ないという話題は、『カタルーニア讃歌』(堀田善衛田沼武能、新潮社、1984)にも出てくる。
 本来のパエジャは、鶏やウサギの肉などを使ったバレンシア地方の家庭料理・行事料理だったが、魚介類を使ったものが外国人観光客向けに作られるようになり、イカ墨を使ったものやパスタを使ったものなど、いくつかのバリエーションが登場するようになった。今日目にするパエジャは古くからある料理ではなく、1960年代以降の観光ブームのなか、外国人観光客の眼と舌をねらい魚介類を入れた姿に変えて、スペイン全土に広まっていった。そして、外国人には、この料理がスペインの代表的料理と記憶されることとなった。元々パエジャは家庭料理であり、村や町の行事食だから、高級レストランで出すものではなかった。西洋では自分が決めたコースで食事をするので、日本のようにひとつの鍋をみんなで囲むという習慣は、高級レストランの料理ではない。だから、大きな鍋で作るパエジャは、レストランの料理にはそぐわない。パエジャを出す店はもちろんあったが、その数は少なく、注文してからできるまで時間がかかるから、予約しておく必要もあったらしい。パエジャを外国人観光客の需要に合わせて、いつでも、誰でも、簡単に食べられる料理にする工夫をして、冷凍食品の開発などで対応したのが、ここ数十年間のパエジャの現代史なのである。
 だから、昔のマドリッドではパエジャと出会う機会が少なかったが、大観光地の現在のバルセロナには、「2 tapas+paella 9.50€」などと黒板に書いて店頭に出している飲食店がいくらでもある。Tapasは、つまみのことだ。
[お知らせ また旅の風に吹かれてしまいました。スペイン&モロッコの旅物語はやっと半分を紹介したところですが、ちょっと出かけることにしました。いつものようにパソコンなど持たぬ旅ですから、連載はしばし中断します。原稿はすでに書き終えているのですが、後半部の更新は3月以降になります。それまでは、たっぷりとあるバックナンバーを読んでいてください。では、皆さま、酷寒の日本で楽しくお過ごしください]