666話 きょうも散歩の日 2014 第24回

 憧れのピザの店


 [ちょっと旅をしてきました。ふらふらと、ただ散歩をしていました。その旅の話はまたいずれこの雑語林で紹介するとして、2014年のモロッコ&スペインの旅の話をまた続けましょう]

 私には、外国でその姿を見たら素通りできないという食べ物が、少なくともふたつある。餃子とピザである。「素通りできない」といっても、それらの料理を出す店を見たら必ず食べるわけではない。そんなに大きい胃袋は持っていないのだから、これは「心が強く誘惑される」という程度の意味だ。
 理想的なピザ屋がニューヨークにあった。大きなピザを6分割か8分割にしたものを売っていて、持ち帰ってもいいし、その場で立ち食いしてもいいという店だ。カウンターには粗挽きのトウガラシが置いてあった。飲み物は売っていない。立ち食いそば屋のようなピザ屋が私の理想だったのだが、ニューヨークでも1軒しか見たことがなく、どこに行ってもそういう店を見かけたことがなかった。
 ところが、あったのだ。バルセロナに何軒もあった。だから、もしかすると、私が知らないだけで、イタリアには普通にあるのかもしれないが、まあ、それならそれでいい。
私好みの薄い生地だ。厚いパンピザは好きではないし、紙のように薄いピザ生地も好きではない。直径50センチくらいのピザを何種類も焼き、その6分の1を2€程度で売る。注文すると、オーブンで温めなおし、持ち帰りもできるし、その場で食べることもできる。ビールやコーラなど飲み物をつけて、3€台。これで私は満腹する。
日本でもこういう店ができないかと夢想する。1枚300円。2枚で550円でどうだ。飲み物は150円。カウンターだけの店で、立ち食いか、ストゥール(高椅子)を置いてもいい。駅構内にでもできれば、繁盛間違いなしだと思うのだがなあ。
 ニューヨーク以来、何十年も探していた店に出会ったのがうれしくて、翌日もまたそのピザ屋に行った。しかし、きのうほどピザがうまくないのだ。生地の端が、堅焼き煎餅のようになっている。私が「理想のピザ屋」と讃えつつも心配していたのは、冷めたピザは温めてもうまいかという問題だ。きのうのピザはうまかったが、きょうのはまずいというのは、どの程度冷めていたかということかもしれない。きのう食べたピザは、まだあまり冷めていなかったが、きょう食べたピザはすっかり冷めていて、温めると水分が飛んで、生地がカリカリになったということだろう。
 だから、立ち食いピザ屋が成功するか否かは、冷めたピザをいかにうまく温めるかという技術にかかっているなどと、起業する気もカネもないのに、「生地に霧吹きをかけて・・・」などと考えている。
 ピザは、スペインではもはや「外国料理」という意識はないように思う。街にピザを売る店は多い。都市に住む若いスペイン人の昼食は、サンドイッチか、ピザか、ケバブハンバーガーくらいだろうか。5€程度で満腹になろうと思うと、ほかに選択の余地はあまりない。うまくて安い食べ物があまりないというのが、スペインに限らず、ヨーロッパ全般に言えることだろう。500円で食べられるものはいくらでもある日本は、物価の高さを考えれば驚異的と言わざるを得ない。日本より物価が安い台湾や東南アジアならなおさらで、そういう食文化の地に慣れていると、「安くてうまい物」をあまり積極的に求めないヨーロッパに、はっきりとした異文化を感じるのである。
 それはそうと、イタリア風という感じのピザ屋(ほかの店では、サンドイッチのほかに甘いパンやパンピザも売る)の何軒かで、なぜかタバスコが置いてあった。「ピザにタバスコ」というのは日本人の好みだと思うのだが、バルセロナでいかにタバスコが使われるようになったのか、その歴史を知りたい。