676話 きょうも散歩の日 2014 第34回

 便利なことはいいことか

 旅に出る前に、いろいろ情報を集めた。インターネットで、バルセロナで英語の本を売る書店を調べた。住所はすぐにわかったが、それがどこにあるかわからない。ちょっとした操作をすれば、モニターに地図がでて、目的地に印がでる。インターネットで、モロッコへの航空券を購入した。いくつもある博物館の詳しい位置や説明も、インターネットで読むことができる。料理や音楽の情報もある。
 パソコンを持って旅すれば、毎日こういうことができるのだとわかったが、私はノートパソコンを持っていないし、スマホさえ持っていない。そういう道具を持って歩きたくないのだ。使う気がないのと同時に、使ってはいけないという気もした。
 インターネットを使えば、サグラダ・ファミリアの入場券や塔に登る特別入場券も手に入る。もちろん、宿の予約もできる。さまざまな場所を予約しておけば便利でしかも安いことも多いのだが、それは旅の自由を侵す危険な行為でもある。これから先の旅の行動にさまざまな予約を続けていけば、便利ではあっても、それではツアーと変わらなくなる。途中で気が変わり、まったく違う旅行をするという自由度がなくなってしまう。アンドラに行って、5時間滞在でスペインのジローナに向かったという話をすでに書いたが、アンドラの宿を予約してあったら、こういう行き当たりばったりの旅ができなくなる。スペイン南部のマラガで夜行バスに乗った話も書いたが、マラガの宿を予約してあったら、その場で方針を変えて、「よし、夜行バスでバルセロナに行くぞ」という旅もできなかった。
 「便利だ」と思ってやった予約に縛られて、身動きできなくなる恐怖感がある。インターネットで購入すれば、航空券や入場券などが確実にかつ安く手に入ることはわかるが、自由度を確保するために、あえて高くつく方を選びたくなる。高くなっても、自由に動ける方が楽しい。できる限り自由に動ける解放感が楽しくて、旅をしているのだから。
 インターネットで調べた交通機関の時刻表や旅行情報が正しいとは限らないとも言える。実際に鉄道駅やバスターミナルに行けば、ネットではわからなかった別のルートが見つかるかもしれない。私は出張中のビジネスマンではないのだから、パソコンもスマホも、持ち歩く気はない。そもそも機械を持って歩きたくないという気持ちもある。高価で、衝撃に弱い。重いし、雨やほこりや温度と湿度に注意しているのもいやだし、常に充電の場所と時間を考えているのは面倒だし、貴重品の保管に気を使うのも嫌だ。荷物はなるべく少ない方がいい。貴重品は、なるべく持ち歩かない方がいい。
 別な意味では、パソコンが欲しいと思うことがある。私は「知りたがり」だから、旅先で疑問に思ったことを調べたくなる。今、原稿を書きながら調べていることを、旅先でやりたいと思うことがある。そうすれば、その日のうちに疑問が解ける。疑問に思ったスペイン語カタルーニャ語を調べられる。気になった建造物の歴史もわかる。しかし、そういう環境にあれば、毎夜、パソコンに向かって調べ事をやっている可能性が高い。旅をしているのに、ネットに淫する可能性が高いからこそ、パソコンを持ち歩かないほうがいいと自分を律しておく必要がある。
 安宿のロビーは、かつてはテレビを見ているか、宿のおやじや従業員と世間話をしたり、旅行者たちの雑談と情報交換の場所だった。あるいは日記を書いたり、絵葉書を書く場所だった。それが今、「WiFiの間」になり、長電話と検索とLineなどのやりとりの場になった。私はゆっくりテレビを見ることができなくなった。スペインにいるのだから、スペインのテレビを見たいと思う。あるいは、旅行者や宿のおやじと雑談をしたいのだが、旅行者は、せっかく旅行をしているというのに、この場にいない誰かとつながりたいのだろう。そういう輪に、私も入りたいとは思わない。
 衝撃的な光景を見た。そこはやや高級なレストランで、通りとの間に壁はなく、ガラス越しに内部が見えるようになっている。東アジアから来たらしい若いカップルが食事をしていた。日本人か韓国人か台湾人かはわからないのだが、ふたりは向き合って座っているが、スマホをテーブルに置いて、ふたりとも画面を見つめている。現代の「家族ゲーム」は横一列の食事ではなく、家族全員がテーブルに置いたスマホを見ながら食事をしているシーンなのだろうと思った。そういう光景が、すでに日本のファミリーレストランで見かけるらしい。
 あまり便利にしないほうがいいと考えていて頭に浮かんだのは、コンビニのことだ。一般に、ユーロッパは東・東南アジアに比べて、コンビニは少ない。北ヨーロッパにはあるようだが、ほかの国にはほとんどない。基本的に夜や日曜日の営業は禁止しているから、そもそもコンビニは成り立たないのだ。バルセロナではスーパーもデパートも、原則として日曜日と祝日は休業している。日曜日はキリスト教のための日という考え方によるものだ。日本人の感覚では、デパートもスーパーもショッピングセンターも「日祝休」だと、家族そろっての買い物や、デートでショッピングセンターを歩くということはできないのだが、法律に反旗を翻して日祝・深夜の営業を求める動きは強くないようだ。大方の国民は、コンビニも求めていないということだ。つまり、あまり便利でなくていいと考えているのだろう。中国人やインド亜大陸出身者らしき人が経営する雑貨屋はあるが、日本人の感覚で言うコンビニではない。終夜営業ではないが、夕方には店じまいというわけではない。その程度で充分ということだろう。
 ただし、アメリカ式ファーストフード店が繁盛しているように、もしコンビニが誕生すれば繁盛するのかもしれない。既存の雑貨屋とは比べ物にならない品揃えだから、便利だ。ショッピングセンターが日祝と夜間も営業となれば、外国人観光客だけでなく、スペイン人も喜ぶかもしれない。しかし、今のところスペイン人の多数派は、私が「サイバー・ツーリスト」にならないようにしているのと同じように、欲望を制御しているように思う。