681話 きょうも散歩の日 2014  第39回

 
 雑話いろいろ その2


■1930年代のスペイン市民戦争以後、独裁政権ゆえにほかの西欧世界から相手にされないスペインは、長らく経済的にも打つ手なしの状況だった。そこで、1960年代に入って、観光で外貨を稼ごうと考えた。”Spain is different”というのが、当時の観光宣伝文句だった。   https://www.google.co.jp/search?q=spain+is+different&biw=1745&bih=883&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=gxr0VMjwC4jU8gWowYDoCQ&sqi=2&ved=0CBwQsAQ#imgdii=_&imgrc=eGuJRZEMLVdMdM%253A%3BoAixcxwsSypHfM%3Bhttp%253A%252F%252Fblogs.elpais.com%252F.a%252F6a00d8341bfb1653ef014e89165e5c970d-pi%3Bhttp%253A%252F%252Fblogs.elpais.com%252Fturistario%252F2011%252F06%252Fdel-spain-is-different-al-i-need-spain-espa%2525C3%2525B1a-para-guiris-en-tres-palabras.html%3B764%3B597
 かつてイスラム教徒に占領された土地を、キリスト教徒が失地回復したという歴史による異国情緒(エキゾチシズム)を前面に出して売り出そうとしたのである。それが、「スペインがほかのヨーロッパ諸国とは違う」場所だということである。具体的には、輝く太陽、情熱的なフラメンコ、イスラムを感じさせる建造物、オリーブ油の料理などである。地域で言えば、明らかにスペイン南部のアンダルシアである。1960年代の日本人にとっても、スペインのイメージはアンダルシアだった。1950年代のアメリカのテレビドラマをミュージカルにした「ラマンチャの男」の初上演は、1965年である。大いに話題になったこのミュージカルは、1972年に映画化された。セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』を元にしたこの物語も、スペインのイメージ作りに役立った。セルバンテスの『ドン・キホーテ』が有名な小説であり、さまざまな言語に翻訳されているとはいえ、実際に読んだことがある人はほとんどいないだろう。「スペイン」のイメージは、やはり舞台や映画で作られたのである。
 物語の舞台となるカスティーリャ・ラ・マンチャ州はアンダルシアではなくその北にある州なのだが、乾燥地帯に建つ風車もスペインのイメージとなった。「情熱のスペイン」のイメージは、19世紀末の歌劇「カルメン」(ビゼー作曲)から始まるにしても、イメージが完成するのは1960〜70年代だろう。したがって、その時代のスペインの観光地は首都マドリードとアンダルシアである。
 観光政策は成功して、世界からスペインに多くの観光客がやってくると、フランコ独裁政権の実情も知られることとなり、政権の崩壊が加速した。
■『カタロニアへの眼』(樺山紘一)は、1970年代に発表した文章をもとに、1979年に刀水書房から出版され、1990年に中公文庫に入った。この本を読むと、ある重要人物の記述がわずかしかないことに気がつく。「ピカソとカザルス、ミロとダリという四人のカタロニアゆかりの芸術家の足どりをとおして、カタロニア文化の本性と、それと現代芸術とのかかわりのことをかんがえてみた」とあるのだが、ガウディーの名がないことに気がつく。今日、バルセロナに来る観光客のほとんどは、ガウディーの作品を見に来る。だから、カタルーニャバルセロナの本に、ガウディーの名は欠かせない。それなのに、この本にガウディーがほとんど登場しないのは、著者の好みや思想のせいではなく、1970年代当時、ガウディーは現在のような超有名人ではまだなかったのだ。
■長年、サグラダ・ファミリアで彫刻家として働いている外尾悦郎は、『ガウディの伝言』(光文社新書、2006)にこう書いている。
 「サグラダ・ファミリアは当時(前川注、1978年)、まだ今日のように有名ではなく、旅行者もまばらでした。建設が続いているのかどうかもよく分からない状態でした」。
 1990年から1年間バルセロナに滞在したイラスト滞在記『毎日がバルセロナ』(やなぎもとなお、東京創元社、1995)でも、サグラダ・ファミリアはわずか1ページしか取り上げていない。
 1984年の世界遺産会議で、バルセロナグエル公園やグエル邸そしてカサ・ミラ世界遺産に選ばれたが、「ガウディーの作品群」としてサグラダ・ファミリアが追加されたのは2005年である。1992年のバルセロナ・オリンピックに向けてカタルーニャが動き始めたことによって、ガウディーの名前、とりわけサグラダ・ファミリアの名が、世界に広く知られるようになったようだ。その結果、観光客の足は、スペイン観光が従来のアンダルシア中心から2000年代なかばには、バルセロナに移っていったことを意味している。ガウディーも、サクラダ・ファミリアも、有名になったのはここ20年くらいだろう。
サグラダ・ファミリアと観光の歴史を調べていたら、おもしろくなりそうな予感がしてきた。[文藝春秋七十周年記念出版]と銘打った「世界の都市の物語」全12巻が出版されたのは1992年のことで、その第3巻は『バルセローナ』である。その当時の日本人の常識で言えば、これは意外な選択だった。選択した12都市のなかで、首都でないのはイスタンブールバルセロナだけだ。スペインの首都マドリードを抑えてバルセロナが選ばれたのは、92年開催のバルセロナ・オリンピックと深い関係があるのは明らかだ。カバーの絵は、安野光雅が描くサグラダ・ファミリアだが、この『バルセローナ』を読むと、サグラダ・ファミリアの記述は、ガウディーの手による建築物のひとつとして触れているに過ぎない。現在はスペインでもっとも有名な建造物も、1990年代初めは、その程度の重要度だと考えられていたことがわかる。
 この「世界の都市の物語」のシリーズは、第2期の出版もあった。『香港』や『フィレンツェ』などと並んで、首都でも世界的な観光地でもない『アトランタ』(1996)が入っている。1992年のバルセロナ・オリンピックの次は、96年のアトランタだったからだという、まことにわかりやすい出版だ。
 スペイン観光史を調べていたらおもしろい話題が次々と見つかるので、次回もこのテーマで書くことにしよう。