690話 きょうも散歩の日 2014 第48回

 雑話いろいろ その11


■宿にテレビがあれば、夜はテレビを見ることにした。広告やニュースなどおもしろい画像が見られると期待したが、印象に残るCMはなかった。そこで、「CMからスペインを見る」という発想をやめて、音楽だけに注目した。なにも情報がないまま、テレビのチャンネルをいじっていて見つけたのが、Tele Taxi TV。日本でもインターネットで内容がわかるから、この番組名で検索すれば、番組を見ることができる。24時間放送かどうかは知らないが、夕方でも夜も、毎日放送していた。PV(プロモーション・ビデオ)の垂れ流し番組かと思ったが、いやいや、ちゃんとした番組だ。ライブ映像や、現在や数十年前のスタジオライブやインタビュー映像も放送している。長時間の放送で、しかも内容が濃い。もっともうれしいのは、私好みの音楽を中心に放送していることだ。若者が喜ぶアイドルポップのような歌手やグループはほとんど登場しない。たまに、若者のグループが登場し、ポップロックかと思っていたら、ラテンにフラメンコの味もあって、軽快でおもしろかった。この番組に登場する歌手やグループの8割くらいはフラメンコの香りがするのだ。パコ・デルシアとカマロン・デラ・イスラという本流のフラメンコから、ポップ化したフラメンコ風味の音楽など、フラメンコの過去と広がりを見せてくれた。フラメンコは好きで(踊りは好きではない。カンテ・フラメンコ、つまり歌のフラメンコが好きなのだ)、CDも少しは持っているが、きっちり勉強しようという気がないので、歌手の名も顔も覚えないが、そういう私でも知っている歌手が出てくる。そして、フラメンコが「古臭い年寄りの音楽」にならず、若者の音楽にも強い影響を与えていることが確認できた。実に、興味深い番組だ。
ハプスブルク家は、現在のスイス領内から始まったドイツ系貴族である。16世紀初めから17世紀末までは、スペインの支配者でもあった。これを「スペイン・ハプスブルク朝」という。この時代、現在のベルギーやオランダあたりも領地で、その地域をフランス語ではフランドル、英語ではフランダーズという。「フランダースの犬」のフランダースだ。この時代、フランドル地方の文化がスペインに入ってきたのだが、スペイン人はあまり気に入らず、違和感を抱いたようだ。その「違和感」や「外国風」、「異国風」という感情を表す語になったのが、スペイン語フランドル地方を意味する形容詞flamenco だ。つまり、フラメンコと言う語は、元々はフランドルだったのだ。北インドからヒターノ(ジプシー)と呼ばれる放浪の民がスペインにやってきて、彼らの歌や踊りに「異国、風変り」と言う意味を込めて、スペイン人は「フラメンコ」と名づけた。
 というわけで、フランダースとフラメンコは同じ語源で、ちなみに左手の法則で知られるジョン・フレミングや007のイアン・フレミングのFlemingも同じ語源だ。
バルセロナでは、数日ごとに雨にやられた。ショルダーバッグには折り畳み傘が入っているが、濡れた傘を持ち歩きたくないので、すぐに止みそうだと思うとしばらく雨宿りをしてみる。雨を眺めていたら、さまざまな語が頭に浮かんできた。「下雨」(シャーユ)という中国語が浮かんだ。「雨が降る」。韓国語で雨は、「ピ」だ。「ピ」(雨)を芸名とする歌手(俳優のときは本名のチョン・ジフンを使う)で覚えた。日本では意味を踏まえて「Rain(ピ)」と表記されることが多い。韓国語では、血もカタカナでは「ピ」になって、聞き分けるのは難しい。タイ語だと「フォントック」(雨が降る)。フォンが雨だ。マレー語、インドネシア語だと、雨は「フジャーン」だ。これは南部タイを舞台にした小説『蝶と花』(ニッパーン)で覚えた。主人公の少年の名が、フジャーンだ。映画化もされ、なかなかいい出来の作品だった。ポルトガル語では「シューバ」。セルジオ・メンデス&ブラジル66の歌(”chove chuva” 英語タイトルは“Constant rain”)で覚えた単語だ。ポルトガルを旅行しているときに、chuva(雨)とchave(鍵)が頭の中で混乱して、困ったけ。イタリア語は、もちろん「La Pioggia」という歌のタイトルで覚えている。ジリオラ・チンクエッティーの「雨」(ラ・ピオジア)。1969 年の大ヒットだというのだが、私の印象だと、1960年代前半のような音だ。69年と言えば、ジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックスの全盛期だが、まあ、なんとのどかな歌声だ。
 フランス語の雨は、映画「シェルブールの雨傘」(Les Parapluies de Cherbourg)のタイトルで覚えた。Paraは、「〜から守る」というような意味があり、parasolは、「太陽から守る」でパラソル、雨pluieから守ってくれるのが雨傘parapluies(パラプリュイ)だ。スペイン語の雨は知らない。スペインで雨に出会ったのは今回が初めてだ。私のすぐ近くで雨宿りをしている大学生らしい若者が数人いたので、スペイン語で雨を何というのか聞いてみた。「ジュビア」と聞こえた。後で綴りを調べてみると、lluviaだった。雨宿りもまた楽しい。
■今回の旅でも、買い物はしなかった。いつものように美術品も工芸品も買わなかった。カネが減って荷物が増えるなんて、旅を苦しくするだけだ。そして、私としては珍しく、今回は1冊の本も、1枚のCDも買わなかった。買いたい本が見つからなかったからである。買いたいCDはあったが、聞きたい音楽の多くはインターネットで聞くことができるし、中古のCDなら日本で買った方が安いからだ。前回のイベリア半島旅行は十数年前で、数冊の本と50枚ほどのCDやDVDを買った。その時代から今回の旅までの間に、YouTubeAmazonが使える時代になった。インターネットによって、私の旅もやはり大きく変わってきたのだ。
■空港でいつも悔しい思いをするのは、セキュリティーチェックでペットボトルの水を没収されることだ。安全のために、それはいたしかたないとしても、チェックを終えたあとの場所で、水を法外な値段で売っていると無性に腹が立つ。「保安部門と水販売業者がグルになって、旅行者の足元を見やがって」と腹が立つのである。バルセロナの空港では、500ccの水が3.50€だったから、500円近い値段になる。街のスーパーなどで買えば、その5分の1か6分の1で買える。そこで私が考えたのが次の方法。セキュリティーチェックの前に、バッグに入れた水は全部飲んでおき、ボトルを空にしておく。飛行機に乗ったら、そのボトルを客室乗務員に手渡して、「これに、水をください」という。こうすれば、機内で好きなだけ水が飲める。通常、「水をください」とだけ言うと、小さなコップに半分の水しか持って来ないのだが、空のペットボトルを渡せば、何度も水をもらう面倒がない。長距離便に乗る時は、この手がいいと思うが、空港によって、航空会社によって、事情が異なるかもしれない(ゲートに給水機がある空港もある)。座席を通路側にしておけば、水をがぶがぶ飲んでも、好きな時にトイレに行ける。こうすれば、エコノミークラス症候群という貧乏人病を少しは防げるだろう。
  さて、いよいよ、次回が最終話。