691話 きょうも散歩の日 2014 第49回(最終話)

 バルセロナに何点

 スペイン最後の日、バルセロナの空港で飛行機の出発時間を待っているときに、バルセロナ観光協会のアンケート調査を受けた。紙の調査票ではなく、調査員のスマホに答えを入力していくんですねえ、今時は。「どこの国から来たか」、「バルセロナに何日いたのか」、「1日当たり、だいたいいくら使ったのか」といった調査項目があり、最後はこういう質問だった。
 「10点満点で、バルセロナは何点ですか?」
 ちょっと考えて、こういう答え方をした。
 「マドリードに10点をつけるとすれば、バルセロナは7点ですね」
 アンケート調査をしているスペイン人は、どうやらマドリードあたりの出身らしく、私の真意など聞かずに、「実は、私もそう思うんですよ」といって微笑んだ。
 バルセロナを散歩していていつも感じていたことは、アミューズメントパークにいるような気分だったということだ。あるいはテーマパーク、例えばハウス・テンボスに滞在しているような気分だった。だから、いつも落ち着かず、自分が異物であると常に感じていた。バルセロナには見どころが多く、ツーリストシーズンが終わっても、観光客がひしめいている。だから、郊外に出ない限り、私の周りにはいつも観光客がいた。スペインの文化に浸るという気分にはならなかった。バルセロナの中心部、いわゆるゴシック地区にいたのだから、観光客だらけなのは当然だ。悪いのは、私だ。
 一方、マドリードは見どころが少ないせいで、観光客はそれほど多くない。土産物屋は少なく、だから客引きも少なく、レストランの客引きも少なく、私を観光客として扱う人も少ない。だから、私という異物を無視してくれる。街の中に溶け込めるような気がするのだ。
 バルセロナで嫌な思いをしたということはない。道を聞いた人は皆、親切にしてくれた。交差点で地図を取り出して見ているだけで、「どこに行きたいんですか?」と聞いてくる人がいる。教えてあげたいという親切心だ。郊外の住宅地でやはり地図を広げていたら、「私に何かお手伝いできることはありますか?」という言い方で英語で話しかけてきた人は、もしかして旅先で困った経験がある外国人(非スペイン人)かもしれない。行き当たりばったりの散歩をしていて、地図の範囲外にでてしまうこともあり、道に迷うと多くの人が助けてくれた。
 だから、バルセロナの印象は対人関係ではなく、街のおもしろみという点なのだ。少女時代からバルセロナなどスペイン各地で過ごしてきたというイギリス人は、「バルセロナはあまり魅力的じゃない」という私の話を聞いて、けげんな顔をした。
「海があって、気持ちがよくて・・・」といった。
 マドリードには、たしかに海がない。バルセロナには海があることはわかっているが、海を意識したことがない。セントロの南の海岸公園Port Vell(カタルーニャ語では、ポルト・ベアと発音するらしい)に行ったことがある。たしかに海なのだろうが、海辺という感じはしなかった。トラムの終点サン・アドリアにも行った。海岸に火力発電所が建っていて、遊泳禁止の浜辺があり、釣り客もいるが、海の匂いがしなかった。湖畔だとしても、何の不思議もない。
 バルセロナの評価が低いのは、マドリード滞在が実に幸せな環境にあったからかもしれない。安い宿が見つかった。近くに国立劇場があり、毎夜、魅力的なコンサートが行われていた。近くに映画館が何軒かあった。近くに、10人も入れば満員という小さなバルがあった。観光客は来ない店だ。普段は酒を飲まない私だが、その店のうまいタパス(つまみ)を食べたくて、ほぼ毎日通い、コップ1杯のビールと数種のタパスを楽しんでいた。「この街にもう少しいたい」という心残りを胸にして、マドリードを去った。
 それに比べて、バルセロナ。「バルセロナはつまらなかった」とは思わないが、この地を離れるのが悔しいとか、心残りだという感傷もなく、バルセロナを飛び立った。まだスペインを旅したかったが、バルセロナはもう満腹だという気分だった。マドリードにはまた行くことがあるだろうが、バルセロナはこれでもう充分だ。
 上記の文章は、旅から帰ってすぐに書いた。この旅物語がまだ数万字くらいしか書いていないときに、最終話を書いた。旅の印象がまだ強く残っているうちに書いて、最終話を発表するころにはこの印象がどう変わっているか、自分でも興味があったのだ。
 今回の旅物語の第1回掲載(ブログでも、掲載というのかな?)をしたのは、2014年12月1日だ。旅から帰って、そろそろ半年ほどたつ。その半年間で、バルセロナの感想が変わったかといえば、まったく変わらなかった。「今となっては、バルセロナのすべてが懐かしく、すぐにでもまた飛んで行きたい」という感情は、ない。「二度と行かない」とは思わないが、またスペインに行くとしてもしばらくはカタルーニャには行かないと思う。しかし、ちょっと目を閉じたくらいの短い期間の今回の旅を、「長い文章にしよう」という意図などまったくなく、雑誌や単行本の文章なら、きちんと説明するべき事柄をほとんど省略している。ガウディーの生涯やスペイん義勇軍も、フランコ政権の説明もしていない。建物や通りの詳しい描写もほとんどしていない。バスクの話もサンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼にも全く触れずに、ピカソやミロの芸術にも触れずに、11万字ほどの文章(400字原稿用紙にして約270枚。薄い新書くらいの分量だ)を書いたのだから、今回のモロッコとスペインの旅はそれなりに印象的なものだったと思う。スペインの本は以前から何冊も読んでいたが、今回も次から次へと買い集めた。それだけの関心があり、知りたいことがいくらでもあったということであり、カタルーニャにそれだけの力があったということだ。カタルーニャは、遊び相手としては、なかなかのものだったということだ。私と同じように感じる人が多いから、カタルーニャ関連の出版物が多数あるのだろう。食後や読後ということばになぞらえれば、旅後の半年間も充分に楽しめたことは確かだ。
 これで、長らく書き続けてきたモロッコとスペインの旅の話を終えるが、私の旅はまだ続く。