694話 まだ、ガイジンの時代 その1

 昨今のテレビは、外国に住んでいる日本人妻を訪ねてというものか、外国人に日本の魅力やユニークと思う事柄を聞きだし、「ああ、日本はなんてすばらしい」と思わせたい番組の花盛りだ。日本に来た外国人旅行者を追うという例の番組「Youは何しに日本へ?」(テレビ東京)にしても、よく考えれば、変だ。日本に来る外国人は、圧倒的にアジア人が多いのに、番組制作者は日本語しかできず、英語の通訳しか用意していない。中国人、台湾人、韓国人が大挙して日本にやって来ている時代に、この番組名「You」でわかるように、アジア人は「You」ではないから、基本的には「外国人」として扱われないのだ。ガイジンだけが、「You」として取材対象になるのだ。
 外国人に日本の習慣などを見せて、「日本独特、日本にはユニークな文化がある」と言わせたい番組でも、明らかにガイジンを登場させる構成だ。例えば、「洗濯物をベランダなど戸外に干すのは日本だけ。外国ではそういう習慣はありません」など外国人に言わせるというようなシーンは、いままで何度もあった。製作者側が、無知なのか、あるいは、それが日本独特の習慣ではないと知っているが、番組をおもしろくするための意図的な虚偽なのかはわからないが、視聴者がアジアを知っていれば、こんなインチキ番組に騙されることはない。イタリアなど地中海沿岸を知っていれば、ヨーロッパだって、戸外に洗濯物を干している事実を思い出すはずだ。
 イギリスでも、戸外に干すのだと知ったのは、ジョン・レノンの伝記映画で、家の裏で洗濯物を干しているシーンを見たときだ。世界中の人が、アメリカのように乾燥機で洗濯物を乾かすような資源の無駄遣いをしているわけではないという事実は、あの手のテレビ番組にとっては必要のない情報なのだ。そのアメリカでも、環境問題を考えて、洗濯物は天日で干すようにしている人たちもいて、付近の住民から「そういうみっともないことをされると、不動産価値が落ちる」と反対運動が起きているといった話題には触れない。日本文化は、あくまで「ユニークで、しかし、すばらしい」という構成でなくてはならないのだ。
 かつての日本人は、外国人とガイジンを区別していて、西洋人だけを「ガイジン」と呼んできた。ただし、それは国籍の問題ではないから、中国系アメリカ人やベトナム系フランス人や日系カナダ人は、「ガイジン」とは呼ばれなかった。イメージのなかの西洋人、紅毛碧眼、あるいは金髪、高い鼻の人が「ガイジン」だった。例外として、アフリカ系アメリカ人も、プロ野球の世界では「ガイジン」と呼ばれていた。
ある時期から、マスコミでは「ガイジン」は差別用語だと断定されるようになって、「ガイジン助っ人」が「外国人選手」などと呼ばれるようになった。しかし、マスコミの世界では、いまだに「ガイジン」が「外国人」であり「You」なのだという意識が強く、「この問題に関して、外国人はどう思うか」というテーマで語る時、西洋人(ガイジン)の意見が、「世界の総意」という結論に導くことが多い。
 例えば、『クール・ジャパン!?』(鴻上尚史講談社現代新書、2015)のプロローグは、「アイスコーヒーの衝撃」という話だ。著者は、「クール・ジャパン」というNHKBSの放送の司会者で、「日本のここが素晴らしい」という事柄を取り上げるこの番組での体験を書いたのがこの新書だ。ある日の番組で、イタリア人の出演者が、アイスコーヒーが素晴らしいと発言した。その部分を引用する。
  「私の国にはなくて、日本に来て初めて飲んで感動したから」と答えました。番組に
 出ていた他のヨーロッパ人やブラジル人、ロシア人がうなずきました。
 そこから、著者は、アイスコーヒーは日本人の発明で、最近まで日本にしかなかったという説を書き、アイスコーヒーはきわめて日本的な飲み物だと番組で知ったというのが、この本のプロローグだ。もし、この番組の出演者に東・東南アジア人がいれば、アイスコーヒーが日本発祥かどうかという議論はともかく、日本のアイスコーヒーに驚かない外国人も少なからずいる事実が番組で伝えられただろうが、それでは製作者としては、おもしろくないのだろう。「欧米vs日本」という対立構造を作って、欧米にない事柄は、「日本独特なユニークなモノ」と断定すれば、番組はおもしろくなり、視聴者も納得しやすいと考えているようだ。それはそうと、1980年代初頭のギリシャには、アイスコーヒーはあったなあ。
 この新書をネタにして、書きたいことがいくらでもありそうなので、次回に続編を書くことにしよう。