695話 まだ、ガイジンの時代 その2

 前回に続き、『クール・ジャパン!?』(鴻上尚史講談社現代新書、2015)から、おかしな部分を書きだす。
 アイスコーヒーの次に、ニューヨークのストレートパーマの話が出てくる。「ストレートパーマは日本人の発明」という説を、何の疑いもなく紹介している。アフリカ系アメリカ人の歴史をちょっと調べたことがある私は、「ブラック・イズ・ビューティフル」時代以前の1950年代あたりだと、縮れた髪をまっすぐにする商品の雑誌広告が話題になっていたことを知っている。たしか、その雑誌は“Ebony”だったと思う。その液体が「コンク」という名前だったことは、マクカムXの自伝でも読んだ記憶がある。アメリカ人が「ストレートパーマは、日本が発祥」と言ったからといって、そのまま信じて検証もせずに本に書くのはいただけない。
 深夜に買い物ができるのは、コンビニがある日本だけだという話が出てくる(40ページ)。ヨーロッパでは、たしかに深夜営業の店は少ないが、ヨーロッパだけが世界ではない。コンビニがあるのも、日本だけではない。アメリカの事情も、アジアの事情も著者は知らない。カラオケについて述べている部分でも同様で、「世界の大都市には、カラオケ屋さんができていますが、日本ほど定着していません」と書いている。そもそも、日本と同じくらいカラオケ施設があるかどうかを論じるのは無理無駄というものだ。ある国に、日本のすし屋と同じくらいの店舗数がないと、その国に「すしが定着した」とは言えない、だから「たいして普及していない」という結論に持っていくのは、暴論だ。それと同じ論理の展開をカラオケについてやってしまった。著者はヨーロッパ(ほぼイギリス限定だろうが)のカラオケ事情の知識で、「世界のカラオケ」を論じようとしているのだが、コンビニの件同様に、ちょっとはアジアに視野を広げた方がいい。
 ICカード乗車券は、2009年の段階で、ニューヨークはまだ実験段階で、ロンドンではまだ導入していなかったが、日本は世界に先駆けてすでにあるとしているが、ソウルの地下鉄は2005年段階ですでに導入されていた。
 「食べ放題 飲み放題」は、「外国ではほとんど見られないと外国人は言います」と書いているが、「食べ放題」の店は日本ほど多くはないものの、外国にもある。ホテルのブフェ(ビュッフェ)のようなスタイルだ。「飲み放題」はもしかして日本だけかもしれないなあと思いネットで調べると、フランスやイギリスでは酒の「飲み放題」を法律で禁止しているという情報があった。そういうことも調べてから書けばいいのだが、そういう手間をかけていない。想像で書くが、この本は鴻上氏がしゃべったことをライターが文章にまとめたような気がする。だから、読みやすいが、番組の印象を語っただけのような内容になっているのではないかと思う。
 前回と今回、このコラムで私が書いていることを読むと、NHKの番組「クール・ジャパン」(正確には”cool japan 発掘! かっこいいニッポン“が正式番組名)やその司会者鴻上尚史氏が嫌いなんだろうと思う人がいるかもしれないが、実はそうではない。「日本はすばらしい!!!」とだけ言う番組は好きではないから、20歩ほど下がって、「そいつはおかしいぞ」と言いつつ、この番組を見続けている。このおかしさを鴻上氏もわかっているようで、巻末近くになると、こういう文章がある。
 「『クール・ジャパン』と思われているものがじつは日本だけのものではなく、『東洋的なもの』だったということはあります」
 しかし、そういう理屈や知識を番組に取り入れて構成すると、番組にはならない。東西対決、つまり実際は「日本対欧米」でありながら、番組上は「日本対世界」という構図のように見せればわかりやすい番組になる。この単純な対立構造を製作者側があえてやっている部分と、無知ゆえにやってしまった部分の両方があるように思う。二者の対立構造を単純化した方がわかりやすく、だから強く支持されるというのは、嫌韓本でよくある構成だ。韓国を100%悪にしないと単純な頭脳の人には理解できないし、そういう人の不満を癒せないのと同じように、「日本の文化は西洋とはまったく違い、そしてその日本文化のなんと素晴らしいことかと、西洋人が大絶賛しているのだから!!!」という構成にしないと、その視聴者を満足させられない。日本文化は、世にも珍しい独特のものでなければ満足しない日本人が、少なからずいる。かつて散々論じられた「日本文化特殊論」など、手垢のついた骨董品だと思っていたが、まだまだ現役で稼働している。
 ついでだから、テレビ番組の話をしておくと、私の知り合いの学者やライターたちとテレビの話をすると、「ひどい体験をした」という話題がいくらでも出てくる。ごく最近の話では、テレビ局(あるいはテレビ制作会社かもしれない)から、ある問題に関するコメントを求められた知り合いの学者は、「自分はその問題の専門ではないから、よくわからない」と答えた。すると、「どなたか専門家の方を、ご紹介していただけないでしょうか」というので、親切な知人は、ある研究者を教えてあげたのだが、テレビ屋は奇妙なことを言う。
 「その人じゃなくて、ほかの人はいませんか?」
 「なぜ、だめなんですか? たぶん、彼はその問題に関して日本で一番詳しいと思いますよ」
 「あの、えーと、できればですねえ、研究所の方ではなくて、大学教授の方を探しているんですが・・・」
 そうか、わかった。テレビ屋が探していたのは、専門家ではなくてもいいから、〇〇大学教授××博士という肩書だったのだ。できることなら、「東京大学教授」であってほしいのだろう。そういう肩書のある人が、テレビ屋が用意したとおりの説明をしてくれれば、それで大満足というわけだ。欲しいのは専門家のコメントではなく、番組の内容にハクをつけてくれる立派な肩書を持つ人という飾りなのだ。