697話 台湾・餃の国紀行 2015 第2話

 台北の安宿事情


 私の出発日の便だけがなぜ格安だったのか、その理由はまったくわからない。そして、破格の料金だったにもかかわらず、機内では、私の前の100ほどの座席のうち、客はせいぜい10人だ。後ろの席を調べはしなかったが、おそらく定員のせいぜい2割か3割の利用率だろう。この日だけ安くても売れなかった理由がわからない(やはり格安の帰国便の方は、8割の席が埋まっていた)。
 前回も同様だったが、桃園空港の午後の出入国事務は、客をやたらに待たせる。ブースはいくつもあるが、係官がいない。長蛇の列に立ち続けること30分以上。帰国の時も、同様に長時間並ばされて、乗り遅れるかと不安になったほどだ。これが、観光国台湾の恥部だ。空港に関して、もうひとつ不満をいうなら、いまだに桃園空港と台北市内を結ぶ鉄道が完成しないことだ。計画に右往左往があり、一進一退を繰り返しているが、そのうちに完成するだろうと言われて、長い時間が流れた。権益争いのせいだろう。これまた、台湾の恥部だ。台湾を特集する雑誌は、各方面の援助を受けているので、台湾旅行の苦情や問題点などは一切書かないから、おもしろくならないのだ。
 空港からバスに乗って、台北駅に向かった。約1時間のバス旅行だ。幸せなことは、バンコクと違って台湾には交通渋滞と言えるものがないことだ。台北市民は「渋滞はある」というだろうが、バンコクに比べれば、渋滞など皆無といっていい。
 勝手知ったる台北駅周辺、かつての鉄道線路を地下に収め、線路跡に高架道路を作った。線路跡を道路にしたのが、市民大道だ。台北駅裏を走るこの道を渡れば、毎度おなじみ駅裏安宿街。台北駅正面は、表面上は高層ビルが立つ近代的な街の顔をしているが、駅裏は消防車も入れない路地が走り、安宿が何軒もある。台湾の安宿というのは、昔風の日本語で言えば、駅裏の連れ込み旅館と商人宿を兼務しているものだ。ネオン照明が輝く「ラブホテル」という姿のホテルではない。古ぼけた、ゴキブリが出てくる宿だ。「ゴキブリが出てくるような」という比喩ではない。現実にゴキブリが出てきて、サンダルで軽く一撃し、脳震盪を起こしたところでトイレに流したことが何度かある。「軽く」がコツで、強くたたくと、ベチャっとゴキブリの死骸と体液が床にこびりつく。
 どこの国に行っても、こういう地域のこういう安宿を探して泊まっている。その理由は、格安料金にあるのはもちろんだが、料金だけが宿を決める理由なら、アジアならゲストハウスに行くという手もある。台湾には日本人宿もある。私がその手の宿にあまり足を踏み入れないのは、旅行者に囲まれて過ごしたくないからだ。
 宿というものは、建物が近代的で、設備も近代的であっても、利用のされ方はどこも同じようなもので、超高級ホテルが「連れ込み」ではないなどということはない。ただし、日本同様、多少外見を気にしていて、看板に違いが出てくる。日本からの団体客が泊まるようなホテルには料金の表示が入り口付近にはない(だろうと思う)が、台湾の安宿ははっきりと表示している。
 「住宿800元 休息400元」という表示は、日本語に翻訳すれば、「お泊り800元 ご休憩400元」ということになる。この料金は週日のもので、週末は高い料金を設定している。そういう宿だから、宿泊者の私が、ご休憩の方々とカウンターや廊下で出会うのは当たり前で、お忍び客にプライバシーはない。
 台北駅裏の安宿は、2軒はすでに「住宿」経験はあるので、いままで泊まったことがない宿に挑戦してみようと思った。細い路地を歩けば、料金は表示していないが、「歓迎光臨」(いらっしゃいませ)という看板は出している宿があった。正月直前の宿事情はどうなのだろう。
 部屋はあった。600元。よし、安い。今夜の部屋は、すぐに見つかった。部屋は見なくても、どの程度かはわかる。ゴキブリ宿には慣れているから、私の想像力を超えている部屋ということはないだろう。旅行当時、1元は約4円だから、4倍すれば日本円になる。600元は2400円だ。この料金は、テレビ、風呂(湯が出る。シャワー、浴槽あり)、トイレ(腰かけ式)が付いたダブルベッドの個室としては、台北の中心部では最低クラスだと言える。2段ベッドのドミトリーでも、近代的な設備が整っていると、1泊1000元ほど取るところもあるようだ。私はWi-Fiなどいらない安手のアナログ旅行者なので、こういう古典的安宿で充分なのだ。
 安いから、このまましばらくいてもいいと思ったのだが、おばちゃんが気になることを2点口にした。正月の元日と二日目(二日目を初二という)、つまり、2月19日と20日の部屋はあるが、正月3日目(初三という)の21日は予約が入っているから泊まれない。そして、大晦日である18日と正月期間の6日間の合計7日間は800元に値上げするという。祝日だから高くなるというのはすでに知っているから驚かないのだが、正月は3日間ではなく6日間で、大晦日も含めて7連休になることを初めて知った。正月期間中でも、格安料金の800元で宿泊できるのだが、その条件は昼間は荷物を台所に置いて、外出していることなのだ。つまり、昼と夜とで何倍か稼ごうという計算だ。もし、部屋を24時間使いたいなら、「1600、う〜ん、割引きしてあげるから、1500ちょうだい」という。それが正月料金だ。
 とりあえず1泊して、これからのことは今夜考えることとしよう。