708話 台湾・餃の国紀行 2015 第13話

 あの画家に、また

 故宮博物館に入ってすぐの部屋は、何かの特別展をやっていた。インターネットで予習をしてから出かけるという旅の仕方はしていないから、どういう特別展なのかまったく知らない。その部屋を覗くと、この博物館とは傾向が違う油絵が展示されているのが見えた。台湾の風景画だ。そして、その絵に記憶があった。台湾の絵で、ひと目見て画家の名が浮かぶ人はひとりしかいない。陳澄波の絵だ。
 「陳澄波特別展 蔵鋒」は、陳澄波生誕120年を記念して、台南、北京、上海、東京、台北とめぐる特別展ということらしい。
 陳澄波(1895~1947)は、台湾ではトップクラスの知名度の画家だ。いまでは知ったかぶりで、彼のことをいくらかは語れるくらいの知識はあるが、2013年まではまったく知らなかった。台北の西にある三峡の歴史文物館で、「日本の方ですか・・・」と話しかけて来た男の人の身の上話に、「父が画家でして、勤めを定年退職したので、私も絵を描こうかと思いましてね・・」という話題があって、その父というのが陳澄波という名だとわかり、帰国後に調べてびっくりしたというわけだ。その日のことは、この雑語林562話に書いた。
 陳澄波は有名な画家というだけではなく、台湾現代史上特筆されるべき人物でもある。彼は嘉義で生まれ、東京で絵を学び、台湾人として初めて帝展入選し、生活のために上海で美術教師をして、台湾に戻った。戦後は嘉義市の議員になったところで、二二八事件が起きた。1947年2月28日、ちょっとしたことから、台湾を支配し始めた国民党に対する台湾人の日ごろの不満が暴発し、暴動となった事件だ。この事件をきっかけに、国民党政府は、台湾人を次々と虐殺していった。台湾の基礎情報としては絶対に知っておかないといけない大事件なので、せめて以下の情報くらいは読んでおいてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 陳澄波は嘉義の政治家として、虐殺事件の処理を交渉するために国民党との会談に向かうが、そのまま逮捕され、嘉義駅前で公開銃殺された。国民党が大陸から盗んできた物を所蔵・展示しているのが故宮博物館で、その国民党が陳澄波を公開銃殺にして、今、故宮博物館で特別展をしているというのが、台湾政治の複雑さである。
 陳澄波の絵といえば、故郷嘉義を描いた一連の絵が有名で、熱帯の力を感じる。https://www.google.co.jp/search?q=%E9%99%B3%E6%BE%84%E6%B3%A2&biw=1245&bih=823&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=M9b7VMfBMYei8AXv5IKAAw&sqi=2&ved=0CB8QsAQ&dpr=1.1
 それから数日して、松山文化創意園区に行った。元は日本時代からのタバコ工場があったところだが台北市が史跡に指定して改装し、イベント会場に生まれ変わった。この場所には2013年にも何度も行ったのだが、偶然にもいつも夜になってしまい、催し物を見る機会はなかった。
http://www.taipeinavi.com/play/431/
 今回は、昼間だったので間に合った。壁に張り出された催事は、「光影旅行者」というのだが、どういうものかわからない。旅行関連の催事ならおもしろいかもしれない。入場料無料ということでもあり、入ってみると、あの人の絵が掲げてあった。陳澄波の絵だ。今回は通常の美術展ではなく、絵画と科学技術をテーマにしているようで、絵画修復や絵を撮影して、動画のコラージュにしたものもあった。ここで初めて陳澄波の水彩を見たのだが、あっさりしたタッチで、私はこちらの方が好みだ。
 それからだいぶたって、正月が完全に終わったので、台北二二八記念館に行った。2013年の10月にこのあたりを散歩していたのだが、孫文辛亥革命を記念する国慶節がある10日を前に、大規模な反政府デモが行われていて、記念館がある二二八和平公園全体が立ち入り禁止になっていた。ここでみたび、陳澄波に出会った。
 公開銃殺にされた陳澄波の遺体は、家の門を壊した板に乗せて自宅に運んだという。そして、写真屋を探して、子供たちは父の最後の姿を撮影した。その写真が、この記念館にある。
 この記念館には、『台北二二八記念館の常設展示特集』という日本語の資料集が用意されている。豊富な写真も載っていて、100元は安い。もちろん、買った。