ああ、珈琲。悪しきスターバックス症候群
「ああ、そうだった。台北って、そうだったんだよなあ」と、前回の旅でのことを思い出したことはいくつもあるが、コーヒーのこともそうだった。散歩をしていて、コーヒーを飲みたい気分でいるときに、「咖啡」とか「COFEE」といった大きな看板を見ると、そのまま店に引き寄せられていくのだが、店内を覗くと、焼き魚定食だの豚肉炒め飯などを食べている人の姿が見えて、そのとたんにコーヒーを飲む気分ではなくなるのだ。よけいな匂いのなかでコーヒーを飲みたくない。飯屋でコーヒーを飲みたくないのだ。
それで、思い出したことというのは、通りからそういう飯屋のコーヒーを見て、日本の田舎の喫茶店ってそうだよなあと思ったことだ。外観は喫茶店でも、カレーはもちろん、うどんだの、チャンポンだの、朝定食や昼定食などなんでもあって、味噌汁の匂いが充満している喫茶店。「台北も、そうだったよなあ」と思い出したのだ。台湾でコーヒー専門店といえるのは、チェーン店のほかでは、近代的商業ビルのなかの、ロビーで店を開いているようなところや、インテリアに凝った店で、そういう店はみなえらく高い。
マクドナルドや7−11などコンビニのコーヒーは35〜50元くらいだが、スターバックスや同じような内装の店だと、100〜200元くらいする。屋台や食堂での最低価格の食事で50元ほど。セルフサービスの自助餐なら、魚など高いおかずを選ばなければ、1食60〜70元くらいで充分おさまる。ふたりで100元も出せば、量も質も満足できる。だから、1杯100元以上のコーヒーは、私と同じ金銭感覚の台湾人にはえらく高く感じるのである(1元は4円ほど)。
高い店がいくら高くても私には関係ないのだが、困るのは、コンビニのコーヒーもスターバックス化していることだ。
「エスプレッソ」、「カフェラテ」、「アメリカン」など、スターバックスと同じようなメニューで、私が飲みたい「普通のコーヒー」がないのだ。エスプレッソの量は少なく、高い。アメリカンコーヒーはどーしようもなく水っぽい。日本の、昔ながらの喫茶店の普通のコーヒー、特にどうということのない「ブレンドコーヒー」を飲みたいのだ。スペインではアメリカンコーヒーを飲んでいたくせに、台湾で文句を言いたくなるのは、スペインのアメリカンコーヒーはコーヒーの味がしたが、台湾では色つきのお湯という感じだからだ。事実、目の前で、エスプレッソに4倍のお湯を加えて、「はい、アメリカン」と言って手渡した台北の店もある。
前回の台湾旅行でも、台北の朝飯は近所のマクドナルドで、イングリッシュマフィンのソーセージサンドとコーヒーの朝飯セット49元を愛用していた。今回も同じようにしていたのは、日記を書くのにもっともふさわしい場所だからでもあるのだが、コーヒーのあまりのまずさに耐えがたくなって、「日記なんかどうでもいい」と思うようになり、近所の素食(ベジタリアン)食堂で、粥とおかず3品で65元の朝食を食べたり、電車に乗ってどこかに行き、その日にぴったりの朝飯を探すこともある。マックの朝飯をやめたことで、朝の行動ががらりと変わった。マックのまずいコーヒーのおかげである。
朝に、前日の日記を書かなかった日は、夜になって宿を出ることはあるが、マックのコーヒーの味を思い出すととても行く気になれず、7−11で多少はマシなコーヒーを買って、宿に戻る。宿では日記は書けないから、テレビを見ながらコーヒーを飲んで、寝ることになる。「日記を書くために台湾に来たわけじゃないんだから」と思うと、旅が楽になる。
台湾大学や師範大学周辺には、まともなコーヒーを、適正な値段で出す店があることは知っているが、わざわざ行く気にもなれず「うまいコーヒーを飲みたいなあ」と思いつつ散歩しているのである。宿の場所とコーヒー店の相性が悪いということに過ぎないのだが、コーヒーのために宿を変える気もないしなあと、うじうじしているのである。
実は、この悲哀は日本でも同じで、ファーストフード店やコンビニのコーヒーが私の好みに合わないのは、台湾も日本も同じなのだ。だから、東京散歩ならドトールのような店に行くか、我慢して自宅に戻る。自宅なら、濃いネスカフェを好きなだけ飲める。
そう言えば、イタリアにはあのコーヒーチェーンの店は一軒もない。ちょっとイタリアが好きになる。もちろん、北朝鮮に一軒もないというのと意味が違う。