721話 台湾・餃の国紀行 2015 第26話


 雑話いろいろ その3

■台湾のビルが汚いと思うことが多い。ちょっと古いビルは、「だいぶ古いビル」に見える。その理由は、多少は大気汚染の問題があるにせよ、主にビル管理をほとんどしていないからだ。コンクリート打ちっぱなしのようで、実はただ塗装していないというだけのビルは、壁がカビやホコリなどで黒ずんでいる。壁にタイルを張ったビルも、茶色や黒に汚れている。ビルの外壁清掃や塗り直しといったことにはカネを使わない。香港の低中層建造物も、台湾と同じように、汚れるにまかせて、汚い。
■書店で、気になった本のページをめくり、「おもしろそうだなあ」と思い、ちょっと立ち読みして、「ああ、この本、日本語に翻訳して出版してくれないかなあ」と思う本が10冊以上はある。私が気に入ったのと同じ本を、この人も興味があるんだなあとわかるブログがこれ。翻訳家、天野健太郎氏の「臺灣〜繁体字の寶島」
http://motto-taiwan.com/2014/05/formosa1/
あるいは、こういう本の数々。
http://www.books.com.tw/web/sys_puballb/books/?se=%E7%94%9F%E6%B4%BB%E9%A4%A8-Taiwan+Style&pubid=yuanliou
■旅先の、その土地が舞台となっている本をその土地で読むことを、私は「臨場読書」と呼んでいる。今回の台湾旅行に持っていく本を何にするのかいろいろ考えた結果、日本にいては読む気になれない小説にした。1980年代から1990年代には台湾の小説をある程度は読んだが、その時には選ばなかった本を、今回は台湾に持っていくことにした。内容も確かめずに、短編集『台北ストーリー』(白先勇ほか、図書刊行会、1999)を持って行った。おもしろい本だと、散歩をする時間が削られるなあと心配だったのだが、それはとりこし苦労で、幸か不幸か、つまらない短編集だった。私はもともと小説が嫌いだから、「文学的価値が高い」とか「芸術の香り高い名作」といったものとは相性が悪い。「つまらない」とは思いつつ、台北のあちこちで、本を広げた。「ノクターン」(張系国)は、時間を操るタクシー運転手が登場するSF的な作品で、バカリズムが脚本を書いたドラマ「素敵な選タクシー」を思い浮かべた。
吉田修一『路』は、台湾に持っていかなかった。幸運にもおもしろいと、散歩をしたり、台湾観察をしている時間がなくなるからだ。台湾から戻って、すぐに読んだ。まあまあの出来の作品だと思う。ただ、一点だけ違和感を抱いたことを書いておきたい。日本人駐在員安西の眼を通して、台北にはホームレスはひとりもいないと書いていることだ。地の文章でも訂正していないから、著者の印象でもあるのだろう。私は台北駅裏にいたので、その周辺の深夜や早朝も知っている、地下通路もよく歩いている。だから、ホームレスがいくらでもいることはよく知っている。台北を、台湾を、女性雑誌がとらえるような理想郷に描かれると、「それは違うぜ」と言いたくなるから、あえて書くことにした。いくら台湾を好きでも、褒め殺しにしてはいけない。
という文章を書いてから、アマゾンのブックレビューを読んだら、私とまったく同じ意見の人がいた。登場人物が多いぶん、それぞれの人間の思考や行動が薄っぺらになり、いい人だらけの本になってしまったというキライがある。だから、「物足りない」という読後感の人がいるのだろう。
春節の頃の台北を散歩していて、とくに湿気が多いという感じはしないのだが、どうやら大変な湿度だったらしい。洗濯物が乾かないからだ。夜、シャワーを浴びた後、洗濯をする。部屋干しにしても、私がいままで旅行してきた国なら、厚手のズボンを除けば、翌朝か昼ごろまでには洗濯物は乾いているのだが、この時期の台北では、24時間後の、翌日の夜になってもまだ湿っているのだ。風が吹き抜けないのだろうと思い、窓辺に干していても、40時間後でも「乾いた」という感じにならないのだ。私が泊まっていた小さな宿では、客が使うタオルは従業員が洗濯して、廊下に干していた。いつ雨が降るかわからないので、屋上には干せない日が多いのだが、ただ廊下に干しているだけではいつまでたっても乾かないから、床に扇風機を置いて、強風を送り続けていた。湿度が高いと感じる場所は、夏の香港などいくらでも体験しているのだが、湿度を感じないのに湿っているというのは、寒い2月だったからだろうか。