723話 台湾・餃の国紀行 2015 第28話

 雑話いろいろ その5(最終回)


■正月のある夜、いつものようにテレビをザッピングしていたら、画面に登場したのは三沢光晴(1962〜2009)。日本のプロレス番組のダイジェスト版のようで、2000年代前半の映像らしい。私はプロレスファンでもないし、ましてや三沢ファンでもないが、異国の安宿でテレビを見ていたプロレスファンが、三沢がマッドの上で亡くなる数年前の戦いが突然目の前に現れたら、きっと心が動き、涙で画面がかすむだろうなどと想像した。
台北駅前は書店街とカメラ屋街でもあるのだが、どちらも斜陽産業だなあと思いつつ散歩。とくにカメラは売れない時代だから、店にシャッターが下りているが商売替えをしているかと思ったが、外見的にはそれほど大きな変化はなかった。
■地下鉄の改札口を抜けて、ホームに続く下り階段、あるいはエスカレーターで降りようとすると、眼下にホームが広々と見えて、その両側に線路があるという風景。つまり、ホームが吹き抜けになっている風景は、気持ちのいいものだ。電車を降りてホームに立つと広い空間があり、幅の広い階段の両側にエスカレーターがある。この解放感がいい。台北ではごく普通の風景であり、大阪でも見たことがあるのだが、なぜか東京の地下鉄駅の風景ではない。ホームのすぐ上は天井で、その上は通路になっている。空間の有効利用なのだろう。
■日記というか、旅のメモはCampus Filler のB5スパイラルノートに書いている。このノートはもう30年以上使っている。1回の旅行分を切り離して閉じられるようになっているのがいい。ペンはずっとボールペンで、ここ10年ほどはゲルインクのボールペンを使っている。無印良品のノック式丸軸ペンが気に入っていたのだが、製造中止になって、持ちにくい六角軸になってしまった。
 原稿を手書きしなくなって以後、手書きはメモくらいしかしないのだが、旅に出るとかなり長い文章も手書きする。年齢を重ねるにつれて、ますます字が汚くなっているのがわかる。漢字はほとんど書けない。すぐに、誤字脱字をする。「簡単に自己嫌悪を体験したいなら、万年筆で長い文章を書き始めなさい」というフレーズが浮かぶほど、手書きが苦痛になっている。しかし、旅のメモは手書きがいちばんいい。デジタル機器を持ち運ばないでいいというのがいい。ノートは軽く、どこへでも持ち運べて、どこででも書ける。充電の心配はない。本を書くために旅行をしているわけではなく、ましてやデジタル機器運送業でもない。快適に旅をすることがもっとも重要な条件なら、「ノートに手書き」方式で我慢するしかない。スマホに文字を打ち込むのが得意と言う人だって、私のように毎日1000から2000文字くらい書くなら、ノートパソコンか、タブレットとキーボードが欲しくなるだろう。だから、ノートでいいのだ。書き間違いが怖ければ、FRIXION(PILOT)にすればいいのだ。ノートパソコンを持って旅する苦労と、手書きのメモの不自由さを天秤にかけて、ノートとペンを選択した。デジタル機材の運搬・維持のために行動が制限されるなら、本末転倒だ。道具に制限される旅なんかしたくない。
■台湾の空撮記録映画「看見台湾」(2014)のことは、インターネット遊びをしていて見つけ、Youtubeで予告編を見ることができたが、そのDVDは台湾の通販サイトで調べても見つからない。DVDとして発売するのかどうかも不明で、ただ待つしかないとあきらめていた。今年、台北に着いて調べてみると、すでにDVD化されて店に並んでいた。箱入りで、999元。約4000円だ。台湾の常識としてもかなり高価な理由は、箱の中にDVDとブルーレイの両方が入っているからだ。ずっと欲しかったので、多少のためらいもあったが、買うことにした。「ためらい」の理由はあとで書く。
 それから数日後、正月の特別番組として、映画「KANO」などといっしょに、「看見台湾」もテレビで放送された。宿の安テレビのひどい画質では見る気はしないので、帰国してからブルーレイで見ることにした。帰国して、アマゾン遊びをしていたら、なんと日本版の「天空からの招待状」が発売されていることを知った。西島秀俊のナレーションで、ブルーレイが3845円、DVDは3082円。
 台湾で、この映画のブルーレイを買おうかどうかためらったのは価格の問題もあるが、もうひとつ内容に対するためらいもあった、国民党政府の国威発揚、国土賛美の観光映画になっているかもしれないという危惧があったからだ。それでも買おうと思ったのは、とにかく、空撮の台湾を見たかったからだ。そして、見た。私のためらいは杞憂だった。「美しき台湾」と同時に、「公害に侵された無残な台湾」も同時に画面に入れている。台湾の美も醜も、すばらしさもおろかさも、併せて紹介している気概に感動した。
■日本で出ている台湾関連本といえば、ガイドブック類を除けば、「日本時代万歳」や「日本人礼賛」本のオンパレードなのだが、台湾と日本の関係史を書きたいなら、そのままの筆致で戦後編も書いてみればいい。『さよなら再会』(黄春明)で描かれたような日本人売春旅行団(今風に書くなら、買春旅行団)の話題も加えて、「すばらしき日本人」の台湾旅行を描けばいい。日本賛美派の人たちは、戦前の日本と日本人だけがすばらしかったという論を展開するのだろうか。
■「初めてなのに、懐かしい」というフレーズは、韓国や台湾の観光コピーに使われたり、しばしば紀行文にも出てくるのだが、その気持ちを私はまったく共有できない。台湾に関して言えば、初めて行った地区で、懐かしさを感じることはないし、70年代に行ったことがある場所にふたたび行っても、昔のことはすっかり忘れているから、「懐かしい」とも思わない。台湾の北東の県、宜蘭(イーラン)の駅周辺を歩いていたときに、「1970年代の台北は、こういう感じだったなあ」と、まだ高層ビルがほとんどなかった台北を思い出したことはあるが、けっして「懐かしい」わけではない。私が、「懐かしさ」の大安売りにそそのかされないのは、おそらくアジアの旅に慣れているからだと思う。路地に入って、地面に置いた七輪で魚を焼いていても、川の近くで、泥だらけになって遊んでいる子供たちを見ても、私には特別に珍しいわけでもないから、昔の日本を思い出して「懐かしい」と感動することはない。
 台湾の旅物語は、今回の28話で終了します。旧正月の話を書き始めて、もう盛夏になってしまった。読んでいただいた方々、ありがとうございます。写真はないし、旅行情報、店情報もなく、これは昨今では異端となるほど珍しいスタイルなのかもしれないが、「特にどーということもない日々の話」は、読者としては退屈だったかもしれないが、旅をした本人は充分に楽しんだ。また台湾に行きたいという気持ちと、今度は別の国に行きたいという両方の気持ちがある。次の旅はどこになるのか、自分でもわからない。この雑語林、これからは通常版ですので、ボチボチの更新になります。