726話 ふたりの学者の死 その3 

 西江さんとの話は外国語に関するものが多かった。西江さんの本に、「外国語学習に王道なし」とあったのをよく覚えていますよと話した。「こうやれば、簡単に英語がマスターできる」というような方法なんかないという意味だ。それは私にもわかる。外国語学習のベストな方法があるならば、世界の人が同じようにやるはずで、これはダイエットの方法でも同じこと。唯一無二の方法などないので、英語教育業界もダイエット業界も、何年たっても商売繁盛なのである。
 「ええ、とにかくコツコツ勉強するしかないんです」
 「そうやって覚えた言葉が、自分のなかで混ざってしまうということはないんですか? 例えば、スペイン語を話していて、イタリア語の単語が口からでてしまうというような・・・」
「ないです。そういうことは、ないです」
 西江さんは言わないが、ここにふさわしいセリフは、「誰にそんな質問をしているんだ?」だろう。旅行ガイドの会話ページを眺めているレベルの旅行者と西江さんを、いっしょにしてはいけない。その辺の外国語学習者と同じように考えてはいけないことに気がついた。愚問だった。
 文化人類学者の話もして、それは実におもしろい話なのだが、差しさわりがあると同時に、部外者にはそのおもしろさがわからないだろうと思うので、ひとつの話だけを紹介しておくが、これとて、誰にでもわかる話ではない。解説は一切しないので、わかる人だけ、笑ってください。
 ある新聞記者が、日本人の文化人類学者はどのような研究生活をしているのか取材してみたというジョークで、西江さんにこの話をした新聞記者の創作だそうだ。
 「日本人文化人類学者の行動を調査せよと命じられた記者は、すぐさまアフリカに飛んだ。首都で聞き込み調査をやっていると、今自分が泊まっている高級ホテルにも文化人類学者がいるという情報を耳にした。ホテルの従業員が『とにかく、いますぐプールに行け』と言う。どういう意味かわからず、いぶかしく思いながらも行ってみると、プールサイドの木にハンモックを吊って、本を読んでいる男がいた。タイルの床には、フランス語の本が山と積んであり、その山の本を猛烈な速さで読んでいる。あの人が文化人類学者なのかと、近寄って顔を見ると、山口昌男だった」
 「文化人類学者は、都会で外国語の本ばかり読んでいる人ばかりじゃないだろうと思い、記者はアフリカの農村に行った。村に住み込んで、無文字社会の文化の研究をしている人がいるという噂を耳にしたからだ。その村に行ってみたら、住み込んでいるのは川田順造だとわかった。なるほど、文化人類学者は外国語の文献ばかり読んでいる人と、農村に住み込んで調査をしている人の両方がいることがわかり、調査を終了した」
 「記者は次なるテーマ、『動物学者の研究生活』について取材しようと、ジャングルのなかに足を踏み入れた。サルがいる。枝から枝へと飛んでいる。でかいサルが樹上に見えるが、アフリカにはオランウータンはいないはずだと思い、望遠鏡を取り出してよく見ると、サルがメガネをかけている。まさかと思ってよく見ると、サルじゃなくて、西江雅之だった。ジャングルで遊んでいる文化人類学者もいるんだとわかって、本社に原稿と写真を送った」
 補記:何の脈略もなく、まったく突然に、京橋で松井章さんと食事をしたことを思い出した。若手研究者の発表会に呼ばれていったら松井さんがいて、会場で話をしていた女性は、私が昔から知っているインドネシア研究者だ。『クジラと生きる』(中公新書)などを書いた江上幹幸(えがみ・ともこ、沖縄国際大学教授)さんだ。いったいどういう関係なのかいぶかしく思った。考えてみれば、インドネシア研究者の元々の専攻は考古学で、「その昔、彼女は考古学界のお姫さまだったんですよ」と松井さんが言うと、「ただ単に、考古学をやっている女がほとんどいなかったから珍重されていたというだけですよ。希少価値です」と、彼女。発表会のあと、京橋のイタリア料理店でいっしょに食事をしたのだが、勘定は割り勘だったのか、松井さんがすべて支払ったのか、記憶がない。とりとめのない雑談の内容も、覚えていない。十数年前のことだ。