731話 1967年のヨーロッパ旅行 その2


 前回に続いて、ブルーガイド海外版『ヨーロッパ一周の旅』(1967)から拾い読み。
 [旅程・滞在日数]
 10社の旅行代理店と航空会社が企画したヨーロッパツアーを調べて、標準コースと早回りコースを参考プランとして紹介している。昔の海外旅行は、長いのだ。このガイドブックで紹介する標準的な旅行は、ギリシャからデンマークに至る12か国の旅29日間だ。早回りコースは、旅行国数は同じ12か国だが、観光する時間を短くして、滞在日数を減らして、22日間の旅にしている。これはツアーの紹介ではなく、個人旅行をする場合の「標準旅程」、つまりモデルコースということらしい。
 次は、費用だ。日本とヨーロッパ間とヨーロッパの各都市間の航空券代金は、「通し航空券」の割引きの適用を受けて、合計46万7400円。滞在費は標準コースの場合、1日18ドル、早回りコースの場合は1日25ドルでプランが立てられている。パリはペンションで1泊4ドル、マドリードは一流ホテルで7ドル、ジュネーブユースホステル利用で1泊4.5ドルといった具合で、滞在費総額は500ドル以内に収めるように計算している
 優秀な校閲者か旅行探偵の眼を持つ人なら、国が違うとはいえ、スペインの一流ホテルが7ドルで、スイスのユースホステルが4.5ドルというのはおかしいんじゃないかと気になるはずだ。私も気になったが、「暑いし、めんどーだから、まあいいか」と看過しようとしたのだが、「どーせ、暇なんだから」と思い直し、旅行関連資料が収まっている棚に行き、『世界旅行 あなたの番』(蜷川譲、二見書房、1963)を取り出して、スイスのユースホステル料金を調べたら、1泊「1〜2フラン(83〜166円)」となっていた。4.5ドルは1620円だから、明らかな間違いだ。しかも、スイスのユースホステルを利用できるのは、グループの引率者以外25歳以下限定だ。日航の航空券やジャルパックを売りたいという人は、貧乏旅行情報などに興味も知識もないのだ。
 旅費の解説をしておくと、1967年当時、持ち出し可能外貨は500ドルまでだった。500ドルまでは銀行で両替できるという意味で、両替をするとパスポートに両替記録が記入されるから、別の銀行でまた両替するというわけにはいかない。この当時、1米ドル=360円の時代だから、500ドルは18万円になる。日本円の持ち出しは、2万円まで。この日本円は、自宅と空港間の交通費に当てるという考えだ。というわけで、日本円にすれば、合計20万円の旅費ということになる。航空券は、日本で日本円で支払いができる。旅先で、航空券を買って旅するというのは、外国で稼がないとできない旅だ。
 日本から持ち出せるのが500ドルというのは、いかにも少額のように思えるが、ヨーロッパでも物価の安い国を選んで節約の日々を送れば数か月は旅行できる。小学校教員の初任給9か月分が約20万円だ。まだ大卒の勤め人が少なかった時代だから、中卒や高卒の若い勤め人の月給もこれくらいだっただろう。
 用意する旅費が20万円、ガイドブックで推奨する模範旅程の航空運賃合計が47万円、合計すると67万円ということになる。これにパスポート代1500円や種痘とコレラ代とその証明書代が必要で、服や靴やバッグなどを買い揃えたら、75万円以上はかかりそうだ。ということは、若いサラリーマンの2年分の収入に等しい金額だとわかる。先に紹介した「ヨーロッパ旅行標準コース」のひと月ほどの旅行というのは、「これだけの旅をすると、個人ではこれだけかかりますよ」という例であって、実際に個人で「標準コース」をなぞることができる人はほとんどいないだろう。各都市2〜3泊で、現地で宿探しをやるのは、詳しいガイドブックもインターネットもない当時では、よほど旅慣れていないとなかなかに難しい。
 だから、ツアーだ。このガイドブックは、日本航空の販売促進の目的で、日航スタッフが書いているので、当然ジャルパックの案内も載っているが、長くなったのでその話は次回に。