733話 団塊の世代の海外旅行情報


 ここ3回書いて来た「1967年のヨーロッパ旅行」というのは、主にカネを持った人たちの団体旅行客向けの情報だった。普通の収入を得ている日本人にはとうてい不可能な海外旅行だったが、工夫をして、なんとか日本を脱出しようとした若者たちが読んでいたのが『世界旅行あなたの番』だ。この本は、前々回の「その2」でちょっと紹介している。今回は改めて、1960年代後半の海外旅行事情を紹介したい。日本人の海外旅行史の資料の一端である。
 かつて、二見書房から、海外個人旅行用の指南書が4点出版されていた。私の手元にあるのは、次の3冊。
 『世界旅行あなたの番 3万円からの渡航術』(蜷川譲、1963)。『海外留学あなたの番 学歴無用留学から大学まで』(蜷川譲)の初版は1967年だが、私が持っているのは1974年の16刷。『世界旅行時刻表』(蜷川譲)は1970年の初版で、それを持っている。『世界旅行・・』は、”International Youth hostel handbook”の翻訳(許可を取ったかどうか不明)で、『世界旅行時刻表』の方は、トーマスクックの時刻表の翻訳(これも許可に関しては不明)だ。『私の選んだ海外留学』(宮城賢編著、1969)は、おもしろそうではないので買っていない。
 『世界旅行あなたの番』は、1963年の初版初刷りを持っているので、その後のことは知らなかったのだが、ネット古書店のリストを見ていたら、この本の1969年発行の版があることを知り、高くはないので注文してみた。その本が到着して、奥付を見ると63年以降のことがわかった。1963年の初版は、8刷まで売れて、1967年に改訂版を出し、今回私が買ったのは、その改訂版の1969年7刷というわけだった。「強豪他書」がないせいでもあるだろうが、若者の海外旅行という市場規模の小さい「隙間分野」にしてはなかなかの売り上げだったようだ。JTBブルーガイドのガイドブックでは、安く個人旅行をしたい若者には使い物にならない。だから、二見書房の本が珍重されたに違いない。
 1960年代末は、のちに「団塊世代」(1947〜49年生まれ)と呼ばれることになる若者が20代になる時代だ。「俺も、小田実のように、日本を脱出したい」と思った若者が、藁をもつかむ気持ちで飛びついた1冊が、この『世界旅行あなたの番』だ。1963年の初版時代は、海外旅行が自由化される前で、「自由化されたら、こういうことができる」という仮定の話だが、改訂版の方はかなり現実的になってきた時代だ。というわけで、今回入手した1967年改訂版から当時の海外旅行事情を調べてみようと思ったのだが、情報が多岐にわたりすぎるので、日本脱出の費用だけを調べてみようと思う。
 太平洋路線は、もちろん空路はあるが、まだかなり高い。安く行くなら船だ。船会社やクラスによって料金に違いがあるが、横浜からサンフランシスコかロサンゼルスまで、9万9000〜12万円くらいが片道の最低線で、それ以上安くいくなら、貨客船をこまめに探し、料金交渉をして安いキップを手に入れるしかない。ハワイまでは8万8200円。1964年にアメリカ西海岸に渡った植村直己は、移民船に10万円支払ったというから、まだその時代が続いていたということだ。
 アジア、ヨーロッパ方面は次のようになる。
 まず、比較のために、高い航空運賃を紹介しておこう。まだ格安航空券などないので、いわゆるノーマル運賃だ。日本からヨーロッパまでは均一料金だが、南北アメリカ行きを除くと、12〜25歳までの学生には25%引きの学生割引きがある。国際学生証なるものがあり、インドやネパールやタイでは、ニセの学生証を持った旅行者が大勢いた。往復運賃は片道の2倍ではないので、それぞれ紹介しておこう。この本では、なぜか太平洋路線の運賃が載っていないので、別の本で1970 年の事情を書いておく。アルバイトの日給が1000円にもならない時代だということを頭に入れて、以下の数字を眺めていただきたい。
航空運賃
行き先            片道料金      往復料金
香港             5万2416円     9万4356円
バンコク           8万0640円     14万5152円
ボンベイ           13万5072円     24万3144円
ヨーロッパ          24万3936円 43万9092円
ホノルル                    21万2500円
ロサンゼルス                  27万3600円

 フランス郵船 3等料金
行き先           片道料金      往復料金
香港            2万1168円      3万8304円
マニラ           2万7216円      4万8368円
サイゴン          2万9160円      5万2560円
バンコク          3万0240円      5万4432円
シンガポール        3万1248円      5万6448円
コロンボ          5万9472円      10万6848円
ボンベイ          6万3472円      11万4912円
ジブチ           7万7760円      13万9680円
ポートサイド        15万0192円      27万0144円
マルセイユ         15万3216円      27万6192円
1963 年版も67年改訂版も、航空運賃は同じなのだが、船の料金はかなり値上がりしている。フランス郵船の三等料金で横浜からマルセイユまで、63年版では片道10万0990円だったのだが、67年版では15万3216円になっている。4年で5割増しとはすさまじい値上がり率だ。日本円は固定の1ドルが360円だから、為替による変化ではない。
 1970年前後の若者が、「ああ、ビートルズのように、インドに行きたいなあ」と思ったとする。飛行機は高いから船でボンベイに行くというルートをとると、往復11万4912円だ。ただし、学割のことは知らない。もう少し情報が入っていれば、横浜・香港・シンガポールと船を乗り継ぎ、インド船に乗り換えて、マドラスに行くという方法があった。私は1974年にこの船をマレーシアのペナンから乗って、マドラスに行った。最低クラスの船室で100米ドルをちょっと超えるくらいの運賃だった。その当時、バンコクで売っていたバンコクカルカッタの安い航空券が、やはりそのくらいの値段で買えた。横浜・香港間にしても、船賃はけっして安かったわけではないが、おもしろそうだったから船を使った。すでに船は航空機よりも安い移動手段ではないが、荷物が多い移民の里帰りにはふさわしかったし、私のように旅を楽しみたいという少数者や片道利用の旅行者にもふさわしかった。安い船便のことは、小山海運など情報は幾らか持ってはいるが、煩雑になるので今回は触れない。
 ボーイング747(通称ジャンボジェット、あるいはジャンボ機)が本格的に就航するのが、1970年代初めからだから、これが船旅時代と航空機時代を分ける分水嶺である。
 *原稿では料金表の数字はきちんとレイアウトしてあるのだが、この欄に移すと歪んでしまう。何度訂正しても曲がるので、あきらめた。判読してください。だから、このhatenaって、嫌いなんだよ。