物の運び方と抹茶の話
『<運ぶヒト>の人類学』(川田順造、岩波新書、2014)は、全集5冊分のダイジェストのような本で、映画の予告編のようだとも言える。ヒトの姿勢と、ものを運ぶ道具と運び方を書こうとしているのだが、論を展開するために、かねてから川田が提唱している「文化の三角測量」の解説をするので、本題を語るページ数が少なくなる。「もっと知りたい」という欲求不満に陥る本ではあるが、雑学ネタが多いという特徴はある。例えば、陶磁器を作る時に使うロクロは、世界標準は反時計回りに回転するのだが、日本ではどういう訳か時計回りだという。理由は「わからない」。この部分を読んで思い出したのが、のこぎりやカンナは、押すタイプで日本に入ったのに、しだいに引くタイプに変容したといったことだ。
日本や中国では天秤棒タイプの運搬がいくらでもあるが、朝鮮では背負うタイプが多いとか、西洋では天秤棒による運搬はほとんどないといったこと。物を頭にのせて運搬するのはインドやアフリカのやり方だろうと想像しがちだが、フランスの絵画に、牛乳や水を入れた壺を頭にのせているシーンがいくらでもある。ショルダーバッグのような袋の肩ヒモを、肩ではなく、おでこにかけて運ぶやり方は、私はネパールで見たことがあり、南アジアの運び方なのかと思っていた。こういう運び方だ。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%81%8B%E3%81%B6%E3%80%81%E3%81%8A%E3%81%A7%E3%81%93+%E8%A2%8B+%E3%83%8D%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB&aq=-1&oq=&ei=UTF-8#mode%3Ddetail%26index%3D50%26st%3D1776
この新書で、鹿児島の徳之島にも同じような運び方があると知ったが、そういえば、『写真でみる日本生活図引 とる・はこぶ』(須藤功、弘文堂、1988)で見たのを思い出した。川田のこの新書には、図版の出典として書名が出ている『朝鮮風俗図譜』や『目でみる李朝時代』といった本を見たくなったが、地元の図書館にはない。ああ、欲しい本がまた増えた。
オーストリア皇太子の世界旅行は、1892年末に出発し10か月ほどの航海だった。日本に立ち寄ったのは、1893年の夏のひと月ほどで、旅日記の日本滞在部分だけを訳出したのが、『オーストリア皇太子の日本日記 ―明治26年の夏の記録』(フランツ・フェルディナント著、安藤勉訳、講談社学術文庫、2005)である。航海に使ったエリザベート皇后号は海軍の船で・・・、「あれ? オーストリアに海軍?」と思ったが、当時は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の時代だから、海もあり海軍もあった。
この旅行記では、日本での食べ物に関する記述に注意して読んだ。盛りつけが美しいとか、器がすばらしいとほめてはいる。「魚、蟹、海老などの海産物をはじめ、野菜、米、茸、果物が幾通りにも調理され、いかにもおいしそうな小振りの漆器や陶磁器に盛りつけされている」という具合だが、料理の味や舌触りや歯触りに関する記述はない。「まずい」とも「うまい」とも「味が薄い」などとも書いてない。どうにも口に合わなければ正直にそう書くか、気を使って何も書かないだろうが、料理の話は何回か書いているので、「まあまあ」程度の味だったのだろう。はっきりと「まずい」と書いているのは次の部分だけだ。熊本の水前寺公園で茶菓の接待を受けたときのことだ。
「まず茶が、日本の作法にしたがって供された。苦みのある緑色の液体で、スカンポをソースにしたようなものだが、わたしの口にはまったく合わなかった」
今でも、やはり抹茶はカルチャーショックだろう。「キットカット抹茶味」が好評なのは甘いからであって、抹茶そのものは多くに人にとってはまだ「異物」だろう。
世界史に詳しい人ならすでに気がついているだろうが、皇太子は日本を訪問してから21年後、サラエボで暗殺されている。第一次世界大戦勃発のきっかけとなったサラエボ事件の被害者である。
数年前に図書館の「ご自由にお持ちください」コーナーで見つけた雑誌で、読んだら捨てようとしたのだが、ついつい捨てられないでいるのが、「ポカラ Vol.3 春夏号、1997」(ポカラ出版発行、山と渓谷社発売)だ。この雑誌の編集長であり、ポカラ出版の社長でもある阿部正恒という名に覚えがある。ヤマケイの有名な編集者だ。雑誌「現代の探検」など、彼が編んだ本や雑誌を何冊も読んでいるし、顔を合わせたことも何度かあるが多分、話をしたことはない。インターネット情報によれば、「ポカラ」は2000年の24号まで続いたようだ。この雑誌のキャッチフレーズは、「山と旅と冒険の人間ドラマ誌」というのだが、出版されていた頃に書店で見かけた記憶はない。
この第3号は「ポカラ賞発表」が特集だった。この賞は、読む人に感動を与えれば、フィクション、ノンフィクションに関係なくどんなジャンルの作品でもいいという、まことにわかりにくい規定で、その第一回受賞作は「該当作品なし」というのだから、さもありなん。間口を広げすぎると、応募者が迷う。選考委員の椎名誠さんは、「ジャンルの違う作品に優劣をつける難しさ」と選評を書いているのはうなづける。