745話 大学講師のレポート  その2


 出席はとらないが 下

 出席を厳しくとるようになった大学では、授業風景はどうなったのか。友人知人たちの話によれば、「飲食は当たり前」という。女子大では「化粧は当たり前」だという。それくらいで注意していたら、授業が進まないから、実害がある「おしゃべり」だけを厳禁にしているという。
 団塊の世代の教授たちが口ぐちに言う。「出席をとらなくても、出席率がいいんだよな。俺たちの時代はほとんど授業に出なかったというのに、今は教室に来るんだよなあ、勉強する気もないくせに」と、ひとりが言えば、別の教授が「そうそう、昔は大学に来ても、近くの雀荘にいるか、喫茶店か部室にいるか、大学近くにある誰かのアパートに集まって酒を飲んでいるか、映画を見ているか、旅をしているか、アルバイトをしているか、あるいはデモをしているヤツもいたな」という。いまは、どこにも行かず、教室に来るが、勉強をしようという気概があるわけではなさそうだ。
 今の学生たちは、向学心に燃えているというわけでもないのに、なぜ授業に出るようになったのだろうか。教授たちにインタビューしてみた。
 「将来が心配だからじゃないですかね。明るい未来のためには、素晴らしい就職先に潜り込む必要があり、そのために学校の成績を良くしたい。少なくとも、出席点だけはちゃんと稼いでおきたいというんじゃないですかねえ」
 「いわゆる有名大学の学生の場合、幼稚園から高校まで、『毎日、ちゃんと通学するに決まっている』と習慣づけられているからじゃないですか。そういう学生は、『サボる』ということに罪悪感を抱いていると思いますよ。頭の中はまだ高校時代だから、主体的に学ぼうという気はなくて、出席してノートをとっていれば、それで優等生という気持ちじゃないですか?」
 「好きなことがないからじゃないかな。昔みたいに、授業より映画が大事というほど映画が好きという学生が少ないし、映画が見たいなら、DVDやネットで見ることもできるから、学校を休まなくてもいい。音楽だって、ジャズ喫茶に行く必要はないしね。図書館に籠って、徹底読書というほど、本が好きな学生はいないし・・・」
 「授業に出るというのは、自分の存在証明じゃないかと思うんですよ。学校に行ってないと、『これから飲みに行こうか』とか、『夏休みはどうする?』といった会話が交わされる場に居合わせることはない。だから、「じゃあ、これから飲みに行くか」とか「いっしょに外国に行こう」ということになれないと淋しい。友人の輪のなかにいつも入れてもらうためには、『自分はここにいますよ』と、常にその存在を見せていないといけない。買い物につきあったり、つまらない話も我慢して聞き、遊び仲間の輪に入れてもらいたい。ひとりぼっちにならないように、常に大学に行っているんだと、私はにらんでいるんですが、どうです?」
 私には、正解はまだわからない。
 さて、大学で授業をするようになって驚いたのは、授業が始まって20分とか30分して出ていく学生がいることだ。緊張感が切れてしまうのでやりにくい。「授業がつまらないと思うなら、初めから来るな!」と思い、実際にそう言うのだが、翌週の授業にまた来る。何人かの学生が同じように外に出て、しばらくすると教室に戻ってくる学生もいる。トイレに行ったのかと思ったが、多分、電話だろう。だから、こう宣言した。「授業よりも電話が大事だというなら、それはそれでいいから、初めから教室には入らないでくれ」。しかし、こういう宣言は無視され、もっとも後ろの席にいる何人かが出入りを繰り返している。
 考えてみれば、ここ数年、そういう学生が減ったのは、通話よりもメールやラインが中心だからだろう。教室を出ていく学生は、「授業中にしゃべるような不作法はしない。ちゃんとマナーを守っているでしょ」と思っているのだろうが、こちらがイライラすることには変わらない。こんなことを友人に話したら、「ウチの大学じゃ、学級崩壊している状況で、そんなことをいちいち気になんかしてたら、授業はできないよ」と言われた。