747話 大学講師のレポート その4


 思い出に残るレポート

 特上の評価であるSは、毎年一人か二人程度だろう。たまには、「受賞者なし」という不作の年もあるが、レポートを提出した約200人のなかで、ひとりか、多くてふたりという優秀な成績だ。今までS評価をしたなかで、3本のレポートは今でもよく覚えている。ただし、今年の1本は差しさわりがあるので触れない。
 記憶に残る最初のS評価のテーマは、例の「卒業した小学校から半径2キロの描写」だった。そのレポートを書いたのは韓国人留学生だった。
 「私の国の言葉を紹介していただいて、ありがとうございます」
 授業が終わってすぐ、教壇に来て話しかけて来た韓国人留学生がいた。そういえば、その前年は、やはり台湾人留学生が同じように「台湾の現代史と言葉の話をしていただきありがとうございます」とあいさつに来たことがあった。授業で「言語と国家」を取り上げて、いくつかの言語を例にその国の現代史を説明すると同時に、ハングルやタイ文字など、ラテン文字を使わない言語の書き方を紹介している。この授業は、その年の授業テーマが何であれ、必ずすることにしている。日本人は多民族多言語の国家に対する認識が低く、母語を使うことが禁止された歴史も乏しいので(だから、その例外として沖縄の話をする)、こういう授業をやっている。
 その韓国人留学生とはそれ以後、授業が終わると毎回5分ほど立ち話をした。私が教えてほしいことが多くあったから、その5分間は私が学生だった。私には韓国の食文化など知りたいことはいくらでもあった。
 彼女は、韓国の大学を卒業し、就職したのだが、日本で学びたくて退職して留学したのだと言った。日本人の恋人と暮らしているというだけあって、なめらかな日本語をしゃべった。ちょっと話しただけで、彼女の「文化的基礎学力」がずば抜けていることはわかった。韓国のいくつかの地域の文化を体験し、会社員の経験もあり、日本で日本人と暮らし、アルバイトもしている。だから、東京で生まれ育ち、そのまま大学生になりましたという学生とは、文化を理解する基礎知識のレベルが大きく違うのだ。
 毎年レポートを読んでわかってきたのは、留学生のレポートはおおむね上出来だったことだ。ひとつには、日本と母国のふたつの文化を知っているということと、最近まで日本語学習を徹底的にやってきたからだ。文章の書き方も身についている。小学校で国語をやって、すぐに忘れたという日本人学生と、毎日厳しい日本語の授業を受けてきた留学生とでは、日本語力、特に文章力が逆転しているのだ。
さて、韓国人留学生が私の授業を受けていたその年、レポートのテーマを発表した日に彼女はこう言った。「私が育った村はすごい山奥で、子供のころはまだ電気がなかったんですよ」と。離島ではないのに、1980年代になっても、まだ電気が来ていない村があったのだ。
 彼女が書いたレポートは、まさにそういう寒村で、韓国映画「おばあちゃんの家」のような場所だった。文章が見事で、たくさんの写真がついていた。彼女の家族はすでにソウルに移ったと言っていたから、村に住んでいる友人に撮影を依頼したのか、もしかしてわざわざ自分で撮影に行ったのかどうかわからないが、村の風景がよくわかる写真だった。留学生の作文力を心配していたのだが、杞憂だった。「日本人に書いてもらったんじゃないか」と疑う人がいるかもしれないと思ったが、こういうレポートでは日本人が代わりに書いてやることはできない。誰かにレポートを読んでもらい、文章に手を入れるというのは日本人でもやるかもしれないし、それが悪いことではない。むしろ望ましい行為だ。
 このレポートにたったひとつ問題があった。規定は「1000字程度」だ。彼女のレポートはA4コピー用紙5枚に渡っているから、明らかに規定違反だ。だからといって、不合格にするのはどうにも惜しく、Aにした。内容的にはS評価なのだが、やはり規定違反にSは出せなかった。自分が育った村のことを日本人に知ってもらいたいという、熱意のレポートだったから、いまでも「Sにすればよかったかなあ」と考えることがある。
 記憶に残るレポートの2本目も留学生が書いたものだった。中国名だったが、中国人か台湾人かはわからない。レポートのテーマは、小学校を中学に変えて、「卒業した中学校の半径2キロ以内の場所の描写」だった。どの都市のどの地区かはわからない書き方をしていたので、留学生の国籍も場所もわからない。レポートの文章から、どうやら男らしいと思った。
 レポートの前半は、自宅から学校に至る風景を描写していく。朝のさわやかな通学風景だ。後半は、クラブ活動などでちょっと遅くなった日の帰宅風景で、道路はまったく同じなのだが、「暗くなると、どこからかミニスカートのお姉さんたちが姿を現し、路上に立って・・・・」と、夜の通学路の描写が始まる。構成を工夫した見事な文章だった。
 最高の評価をした3本目のレポートは、「記憶に残る旅の食べ物」をテーマにした年だった。
 母と二人で、母の実家に行き、ひとり暮らしをしているおばあちゃんと3人で、祭りの料理を作った夏休みの話を書いた学生がいた。実家に着くと、そのとたんに母はその家の娘になり、おばあちゃんに口うるさく叱られている娘になった。それは、「早くしなさい」とか「ちゃんとしなさい」とか、「もう、だらしがないんだから」などと、日ごろ自分が母に言われていることを、この家の「娘になった」母が言われている。それがなんだかちょっと楽しくて・・・という描写がじつにうまい。そのまま短編小説になるような小文だった。劇的なことなどなくても、うまい文章なら楽しめるのだ。
 こういうレポートに出会うと、山ほどの駄作を読まされる苦労が報われる。