748話 大学講師のレポート その5


 外国で1年暮らす


 ある年は、こんなレポートを出題した。
 「大学を卒業したら、外国のどこかの町や村で、1年間生活することになりました。どこで、どのように暮らすのか、そのためにはいくらぐらいの資金が必要なのかも調べて、滞在計画書を1000字程度で書きなさい」
 例えば、「ロンドンで暮らしたい」というだけの希望を書くなら、適当に書いて1000字の文章が出来上がるだろうが、「費用の計算をせよ」という項目が入ると、簡単には書けない。アパートは幾らか、食費は、交通費はどうなる。週に数回は、コンサートやクラブに行くとすれば、いったいどれだけカネがかかるのかも、計算しなければいけない。滞在希望都市のアパート相場を調べ、どのような食べ物がいくらくらいで食べられるのかといったことを調べるだけでも、教育的効果はあるだろうと思ったのだ。
 例によって、夏休みになって、大学からどっさりとレポートが届いた。採点をしなければいけない憂鬱と、学生たちはどんなことを書いて来たかという期待感で入り混じった時間だ。
 レポートを読んでいるうちに、「なんだ、これ!」と思った。「これが、現代の大学生か。異文化を学ぶ大学生が思い描く外国生活なのか!!」と、驚きと嘆きがあった。7割くらいの学生の希望というか予定が、基本的にほとんど同じなのである。何かの資料をコピーしたというのではない。文章の構成はそれぞれ違っているが、書いていることはほぼ同じなのだ。滞在したい場所は、カナダ、カリフォルニア、ハワイ、オーストラリア、ニュージーランドなどで、ほかにはインドネシアのバリ島が数人あった。
 滞在地の条件をまとめると、次のようになるようだ。アンケート調査ではないので、皆が同じ解答をしているわけではないから、私の想像で補っている。
 「暖かい土地で過ごしたい。日本人経営のアパートだといい。近くに日本料理店や日本食材店が欲しい。近所に、日本人経営の旅行社があるといい。そういう場所に住みたい。そこで何をしているかというと、午前中は英語学校に通い、午後や休日はダイビング、サーフィン、サイクリング、ドライブ、テニスなどをして過ごす」というのだ。やりたいことのなかにゴルフが入れば、それはまるまる定年退職者のロングステイじゃないか。だから、私は「おいおい」といいたくなったのだ。日本料理店や日本人経営の旅行社というのは、自分が客となる場合を想像しただけでなく、滞在費の稼ぎ先としても考えているらしい。
 このパターンではない3割の学生のレポートのなかには、「実際、来年はフランスに留学することになっているので、その予定を書きます」というのがふたりいた。「テニスが大好きなので、ウィンブルトンで過ごしたい」というのがあった。サッカーに関連して、スペインやイタリアやドイツで過ごしたいというのもあった。ラスベガスに住み着いて、博打三昧をするというのが、その年数少ないA評価だった。発想と、文章力のうまさが決め手だった。
 すべてのレポートを読んで気がついたことは、大学生のほとんどは、長期間外国で過ごしたいなどと思っていないということだ。同時に、「これが、大好き」という趣味道楽がない。SNS以外に、「淫している」といえるほど没頭している事柄がない。少なくとも、外国に行ってもやりたいというような道楽がない。だから、「外国でもその道楽を」とはならないのだ。そうか、つまり、ゴルフ以外にやりたいことがない退職者のロングステイとそもそも同じなのだ。いや、「毎日でもゴルフをやりたい」という希望がある退職者の方がまだましかもしれない。今外国で暮らしている若者も、特にやりたいことはないのかもしれない。
 こういう若者の姿が思い浮かぶ。会社員生活がいやで、3年で退職して、日本を出た。カネをあまり持っていないので、物価の安いタイに来た。タイでやりたいことがあるわけではないし、タイの何かを勉強したいわけでもない。幼稚園時代から「おりこうさん」で育った彼女(女ということで、話を進める)は、毎日やることが決まっていないと不安なので、タイ語学校に行くことにした。入学を決めれば、半年か1年先までの行動予定は学校が決めてくれる。「きょうは何をしようか」と考える必要がない。根がまじめなので、1年後にはかなりのレベルのタイ語力がついたが、そのタイ語で何かをしたいという希望はないので、宝の持ち腐れになっている。そこで、「NGOにでも就職するか」と考える。
 例に挙げたこの人(実在するモデルがいるわけではない)と、大学生のレポートと根本では同じなのだろうと思う。考えてみれば、大学を卒業して就職した人も、「その仕事で特にやりたいことなどない」というのが大多数だろうし、国内国外の違いはあっても、事情は同じなのだろう。
 というわけで、おもしろいレポートは少ないので、以後、このテーマは出題していない。