749話 大学講師のレポート その6


 ケニアで暮らす 前編

 今年2015年は、食文化の授業をした。その関連で、レポートのテーマは次のようにした。
 「ケニアの地方都市で3か月ホームステイをすることになりました。まず、ケニアの食文化を調べて、そういう食文化の場所で3か月暮らすと、あなたの食嗜好はどう変化するのか、具体的には、何を拒絶し、何を欲しがることになりそうなどと想像して、1000字程度の文章にしてください」
 なぜケニアにしたのか。モンゴルとかバングラデシュとか、食文化に関して学生があまり知らない国を例にしようかとも思ったのだが、食材や料理数が多すぎると、学生が考える範囲が広くなりすぎて、難しくなる。情報は多すぎない方がいいと思った。また、私が知らない場所ではレポートを評価する資格はないかもしれないと思い、長期間滞在したことがあるケニアにした。
 「ケニアの食文化を調べて書け」というレポートだと、あまり多くないネット情報と、もっと少ない印刷物の情報の再構成かコピペになってしまうので、ケニアの食文化を知るのは基礎作業で、そこから想像力で文章を書くことにすれば、おもしろいことになりそうだというたくらみである。
 まず、私自身の体験を書いておく。ケニアにはのべ半年ほどいた。その間に、例えば「すしを食いたい」とか「鍋ものが恋しい」などと思ったことは一度もない。ケニアの食べ物で、「これは食えない」と思ったものはひとつもないが、なにしろ料理のバラエティーが少なすぎた。おんぼろの飯屋で数種類、少しはましな飯屋で数種類、肉屋で焼肉という程度の料理数だから、飽きる。1年くらいは過ごそうと思っていたケニアだが、半年で切り上げた理由のひとつは、食生活のあまりの単調さに耐えられなくなったからだ。ほかにも理由はあるから、食べ物のことだけでケニアを出たわけではない。
 ケニアを出てから3か月ほどたったギリシャの小島で、あまりにヒマなので、「自分が今切実に食べたいと思う日本の食べ物は何か」と考えたことがあり、餃子とトンカツがすぐに思い浮かんだことは今でも覚えている。刺身、すしといった典型的な日本料理は、思い浮かばなかった。
 このレポートテーマを大学に提出する前に、ちょっとためらいがあった。もしも「飯なんか、腹がいっぱいになればそれでいい。どんなものでも、その地の人が食っているものなら、なんでも食う。それだけだ」という姿勢なら、ケニアの食文化を調べる必要はない。これがレポートを書くもっとも楽な抜け道なのだが、この方策に気がつく学生がいるだろうか。あるいは、方策などではなく、本当に、食べ物なんか量が満たされればそれでいいという学生がいて、そういう文章が提出されたら、どう評価したらいいのか、迷った。しかし、「何を食べても平気という場合は・・・」などという但し書きを書くのはやぶへびだから、知らんぷりをするしかない。まあ、その時はその時だと腹を決めた。この話は、あとでまた触れる。
 さて、学生のレポートだ。彼らのネタ元は次のふたつが基本で、熱意と知識欲によって深くなっていく。
 駐日ケニア大使館のサイト
http://www.kenyarep-jp.com/kenya/culture_j.html
 就職ジャーナルの記事
http://journal.rikunabi.com/work/oversea/oversea_vol43.html
 まさか、ケニアの食文化を調べるのに、就職ジャーナルに書いた駐在員のエッセイを情報源にするとは想像もできなかった。現在、「ケニア 食文化」で検索すると、この2本が上位に来るが、昨年でも同じだったのかどうかわからない。
 程度の差はかなりあるが、ケニアの食文化情報を頭に入れた学生は、そこでの食生活をどうように想像したのだろうか。これがまあ、意外な記述の連続だった。
 もっとも多かった拒絶反応は、「不潔なのは、ダメ」だった。ケニアでは、トウモロコシの粉を練ったウガリが多くの人にとっての主食なのだが、「それを手づかみで食べる」という情報を読んで、学生たちは「そんなの、無理無理! 手づかみなんか、汚い」というものが、実に多い。半分以上がそうだった。「私がケニア人に箸の使い方を教えてあげる。これが文化交流です」というのもあった。欧米や日本で食べるピザやサンドイッチなら手づかみでもいいが、ケニアの食事だとすべて「不潔!」と感じるようだ。こういう文章もあった。「私は潔癖症なので、現実にはケニアに行く気は全くないのですが、レポートということで想像してみます」。
 誤解のないように書いておくが、異文化に不適応な文章だと「不可」と判定するわけではない。ケニアの食べ物がなんでもおいしく食べられると書けばS評価で、「まったくダメ」と書いたら不可の評価というわけではない。このレポートの目的は、半分はケニアの食文化の理解であり、残り半分の評価は自分の食嗜好がケニアの食文化と出会ってどうなるかという想像力と文章力である。
 「不潔!」という拒絶反応は、まだある。ケニアの食文化の画像をいろいろ見た学生は、「床に鍋を置いて食べるなんて、不潔ですよ。テーブルがない食事は嫌です」というのもあった。ケニアでの食生活で、「衛生問題」と並んで多かった拒否反応は、「単調な食生活」というもので、これは私もよくわかる。
長くなったので、以下は後編に。