750話 大学講師のレポート その7


 ケニアで暮らす 後編

 ケニアの食生活に対する拒否反応ではなく、ケニアに3か月いたら、こういうものが食べたくなるだろうという想像も、じつは意外だった。学生のレポートを読む前に想像していたのは、次のような食べ物だった。日本人だからといって、日本料理だけが恋しいということはないだろう。
 「単調な食生活がつらい。バラエティーに富んだ料理を食べたい。具体的に食べたくなるのは、すし、刺身、ラーメン、ピザ、ハンバーグ、ハンバーガー、カレー、餃子、トンカツ。あるいは、スターバックスなど行きつけの店のコーヒーやアイスクリームなどだろう」と想像していたのだが・・・。
 私の予想は、まるっきりの的外れではなかったが、ずばり正解ではなかった。私にとっては意外な食べ物を挙げた学生が多かった。半分以上の学生は、次のふたつを挙げた。
 ひとつは、味噌汁だ。「母の味噌汁」、「飲みなれた味噌汁」、「味噌汁のない食事など考えられない」など、日本味噌工業協同組合連合会など味噌関連業界が大喜びしそうな文章が並んでいる。日本の味噌消費量は減少し、とくに若者の味噌離れが著しいという認識があり、調べてみれば実際そのとおりなのだが、レポートを読む限り、つまり「ケニアに身を置いた自分」を想像すると、味噌汁を飲みたくなるだろうと学生たちは想像したということだろうか。海外旅行にはインスタント味噌汁を持っていくというのは、中高年だろうと思ったが、「3か月滞在」という条件を考えて、味噌汁が浮かんだのかもしれない。
 味噌汁とともに、多くの学生が挙げたのが、米だった。「米を食べたい。ケニアにも米があることは知っているが、当然、食べたいのは、日本のおいしい白米だ」と書いている。ケニアの食文化をほんの少し調べただけの人は、「ケニアでは米を食べないようだから、きっと米の飯が食べたくなる」と想像し、ある程度調べた人は、ケニアでも米が食べられていることを知っているが、「やはり、日本人には、日本の米」という結論になったのだろう。
 食べ物ではないところが気になった学生が少なからずいた。料理の盛り付けとか器の美しさが、ケニアでは満たされないという意見が、十数人いた。200人中十数人は、決して少ない数字とは思えない。昔の私は、そんなことは気にならなかったし、「盛り付けなんかどうでもいい。要するに、うまけりゃいいんだ」と思っていたが、最近は美しさも気になる。皿に盛られた、ただ赤いだけの韓国料理を見ると、盛り付けとか「あしらい」が欲しくなる。食べない飾りは今でも無駄だと思うが、お吸い物の柚子とかソース焼きそばの紅ショウガなど、色と香りと歯触りも楽しみたい。もちろん、そういう楽しみを外国の食文化に求めるわけではない。
 食べたくなるに違いないと私が想像していた料理にラーメンは入っていたが、その数は予想に反して少数だった。ハンバーガーなどの、いわゆる「ジャンクフード」もまた、予想に反して少数意見だった。トンカツ、餃子、焼きそば、カレーはなかった。パスタというのは何人かいた。何人かということで言えば、「母が作るおかず」という解答例もあった。それよりやや多かったのが、菓子類だ。日本で普段口にしているケーキや和菓子やスナック菓子類が食べることができないのがつらいという。
 前回、「何を食べても、腹がいっぱいになりさえすればいい」というレポートが提出された場合、どう対処するかという話を書いた。結果的には、そういう文章を書いた学生はいなかった。しかし、実際には、そういう旅行者はいる。好き嫌いがほとんどなく、うまいまずいの判断はできるが、とくに食べたいものもなく、毎日同じものでも気にしない。あるいは、「食べるのが面倒だから、必要最小限しか食べない」という人も、私は知っている。年齢に関係なく、食に関する関心が極めて弱い人と、栄養や安全や食材の産地や店の知名度などさまざまな事柄を気にかける人たちの、両極に分かれつつあるような気がする。
 デンプンに関しても書いておきたい。駐日ケニア大使館のホームページに載っている食文化情報に、「ケニアの伝統的なお食事は、シンプルででんぷん質が多いのが特徴です」という文章に反応し、「でんぷんばかりの食事はいやだ」と書いている学生が多い。「でんぷん、糖質は体に悪い」、「ダイエットのためには、でんぷんを口にしない」という思想が思いのほか広まっているせいだろうか。
 最後に、食文化を離れて、「学生のケニア理解」を少々論じてみたい。ケニアについてほんの少しネットで調べただけという学生の場合、「ケニア→アフリカにある→灼熱の地」という連想の輪から出られない。ケニアの海岸地域は暑くても、内陸にあるナイロビは標高1600メートルある。朝夕は、けっこう寒いのだということに気がついていない。だから、「冷たい飲み物が欲しくなるに違いない」と書いている学生が何人もいた。
 ネットの就職ジャーナルの「海外駐在員ライフ」に書いてあるケニアの食文化に関する記述(筆者匿名)をうのみにしている者が多かった。
 「ケニア人は、日本人と比べると食に対する情熱が少ないのかもしれません。もちろん、経済的な状況も影響しているとは思うのですが、食事も一日2食で済ませることも珍しくないようです」とある。一日2食というのは、食に対する情熱が少なく、経済的に貧しいからだという説に、疑問を感じることなく資料にしてしまったようだ。食事の回数は、食に対する情熱とは関係ないだろうし、経済的な豊かさとも、必ずしも深い関係にあるわけではない。大金持ちになれば、1日に5食も10食も食べるわけではないだろう。これは、ケニアに関する知識量の問題ではなく、食文化に関する想像力が問題だろう。