754話 インドシナ・思いつき散歩  第3回


 ホテルの朝



 バンコクの宿は、個室としては最低料金に近いところにした。BTS高架鉄道)の駅に近いことと、朝食付きが決定条件になった。あとではっきりとわかったことだが、インターネットで予約したら、直接ホテルに行って宿泊手続きをするよりも2割ほど安かった。駅から近い場所で、個室の最低料金は600〜700バーツくらいだから、1バーツを約3円とすると、2000円前後ということになるのだが、もちろん時期にもよるし、部屋にもよるし、交渉の腕前によっても料金は違ってくるのだが、バンコクの安宿の相場はだいたいこのくらいということだろう。この料金以下で泊まろうと思うと、ひどく汚いか、不便な場所にあるか、あるいはドミトリーを探すしかない。
 私が泊まったホテルは、安宿としてはほんの少し高いが、「朝食付き」というのが決め手だった。以前泊まっていたホテルはここよりも安いのだが、朝食がつかない。しかも、ホテル周辺で安く朝食を食べるには、マクドナルドに行くしかない。私はコーヒーをたっぷり飲みたいので、「朝食付き」で100バーツ高くても、「お得」ということになる。旅に出ると早起きになり、「朝食は6時半から」というサービスがうれしい。朝は、米の飯も麺も食べないので、早朝にパンとコーヒーの食事ができるのはありがたい。2杯目のコーヒーを注ぎ、バナナを食べながら、テーブルに日記帳を出して、前日の行動や考えたことをメモにして書いている。この1時間ほどの朝食時間が、1日のなかでかなり充実したひと時だから、毎朝6時に起きることは苦痛でも何でもない。
 7時半ごろから、ほかの宿泊客も食堂にやってくるのだが、明らかに異質なのが中国人である。ここでいう中国人とは、中華人民共和国国民という意味ではない。中国語をしゃべっている人たちという意味だ。ことばで国籍はわからないから、中国、台湾、香港、あるいはほかの国の中国系住民などを含んでいる。
 朝食はブフェ(ブッフェ、ビュッフェとも)式だから、いわゆる食べ放題である。中国人たちは、自分がどれだけ食べるかを考えず、「どうせ、いくら食べても料金は同じだから」と、2枚か3枚の皿に料理を山盛りにテーブルに持ってくる。しかも、バッグからお菓子や果物や健康食品などさまざまなものを取り出して、テーブルに置き、わいわい騒ぎながら食事する。彼らが席を立つときは、テーブルの上と下は残飯とゴミの山になる。こういう映像を、中国人観光客を追った日本のテレビ番組で見たことがある。食べ残した料理の山に、食堂の支配人が顔をしかめていたのを覚えている。朝食の場合はまだいいのだが、このホテルではないが、中国料理の夕食となれば、魚の骨を「ペッペッ」とテーブルの下に吐き出したり、使った紙ナプキンも床に捨て、ひどい場合はつばを吐くなどという狼藉を働くこともある。
 ホテルの食堂は、食文化観察の場としても、なかなかに興味深い場所である。人はどうやって食べ物を口に運んでいるのかというテーマで、それとなく、不審に思われない程度に、食事をしている人たちを観察しているのだ。西洋料理の朝食なので、箸はない。食具(英語ではカトラリー cutleryという)はナイフ、フォーク、スプーンである。たいていの西洋人は、ナイフとフォークを手に取るが、ナイフをほとんど使わず、フォークだけで食べている人もいる。西洋人は、ナイフなど使わなくても食べられるものには、フォークだけで食べる人も少なくない。フォークだけでは食べにくい場合、左手でちょっと押さえたり、指でつまんで食べることもある。チーズやソーセージなどを、指でつまんで食べるのは、古くからの習慣だ。「西洋人の食べ方」といっても一様ではないことがわかる。
 東南アジア人だと、フォークとスプーンを手にする。右手にスプーン、左手にフォークを持ち、ハムエッグにマッシュポテトいった料理を食べている。スプーンはナイフ代わりにして、ハムや卵を切って食べることもある。彼らにとってスプーンとフォークが日常の食べ方だから、機内食でも同じようにフォークとスプーンで食べている光景を見かける。
 中国、韓国、台湾、日本など東アジアの住民は、「西洋料理はナイフとフォークで食べるもの」という知識はあるので、なるべくこのふたつの食具で食べようとするのだが、苦戦している人も少なくない。
 こういうことを観察しつつ、日記を書いている朝のひと時は、実に楽しい。