768話 インドシナ・思いつき散歩  第17回


 アオザイでシクロに その2

 ハノイの街を散歩していて、アオザイをほとんど見ないことに気がついた。高級ホテルから出てきた人が着ていたが、おそらくホテルのなかにあるベトナム料理店か喫茶店の従業員だろう。アオザイを着ている人を見たのは、3日間でたったふたりだったが、その後、旧ハノイ城跡や文廟に行ったら、百人を超える女子学生が色とりどりのアオザイを着て、写真撮影をしていた。アメリカのものまねだろうが、マントに帽子姿立ち、帽子を空に投げるシーンを撮影している。卒業写真だ。 街では見ないアオザイが、ここには群れを成している。これはどういうことだ?
 ハノイアオザイ事情がよくわからないので、ちょっと調べてみた。まず基本情報だが、アオザイはao dai(発音記号省略)と書く。北部ではdの音は「z」になるから、アオザイである。サイゴンなど南部では、アオヤイと発音する。とすると、綴りどおりアオダイと発音する地域はあるのだろうかという疑問が沸き起こってくるのだが、これは調べきれなかった。まあ、英語では当然、「アオダーイ」という発音になるだろうが。
 アオは「服」、ザイは「長い」で、本来は男女どちらの服もアオザイと呼んでいたのだが、今では女性用のものだけをさすことが多い。アオザイベトナムの伝統的衣服だと認識している外国人が多いようだが、それはちょっと違う。まず、アオザイは文字通り、長い服をさす語で、quanクアン(ズボン)と合わせて着る。上下セットで「アオザイ」と呼ぶわけではない。上衣がアオザイだ。次に、ベトナム多民族国家だから、アオザイベトナムの主要民族であるキン族の衣服であって、少数民族にはそれぞれの衣服がある。したがって、「ベトナムの民族服」といういい方にも注意が必要だ。最後に、もうひとつ。アオザイは、「伝統的な衣服」と言えるほど、古い歴史があるわけではないのだ。ちなみに、aoを「上着」と説明している文章が多いのだが、ao lot(下着)、ao yem(腹掛け)、ao coc(部屋着)、ao tam(水着)のように用いるので、「衣服のこと」と理解した方がいいようだ。
 清朝の服を元に、20世紀前半のフランス植民地時代にアオザイの原型ができて、1950年代に今日見られるようなアオザイサイゴンでほぼ完成したようだ。かつては、もっとゆったりした作りで、裾もそれほど長くはなかったようだが、時を経るにつれて次第にタイトに仕立てるようになり、裾が長くなっていったらしい。したがって、アオザイの歴史はそれほど古くはないうえに、政治状況により地域的にも時期的にも断続している。その経緯を実際に見てきた人に証言してもらおう。
ベトナムで長期間取材してきた石川文洋に、1990年代後半までのアオザイ事情を語ってもらおう。引用するのは、『ベトナム 南北縦断2300キロ』(石川文洋日本放送出版協会、1996)。
 「そのアオザイも、統一前の南ベトナムでは、現在ほどではないが、中・高校生の制服としても、また職場の仕事着、外出着としても着られていたが、アメリカの爆撃下にあるハノイでは、アオザイ姿の女性は、式典など特別の日以外見ることがなかった」
ベトナム戦争が終わって、南北統一後、だんだんと南ベトナムでもアオザイはなくなり、たまに結婚式などで見かける程度だった。しかし、1987年に市場経済の導入を含めたドイモイ(刷新)政策が施行されて以来、ベトナムではホテル、レストランのサービス業のほか、商社、役所、でもアオザイが復活した。北ベトナムでもアオザイを多く見かけるようになり、1995年の3月にハノイ国立銀行に寄ったところ、女子従業員全員がアオザイを着ていた。1972年に取材したときには、国立銀行職員はシャツと黒いパンタロンで、アオザイを着ている女性は1人もいなかった。ベトナムドイモイアオザイが象徴していると私は考えている」
 サイゴンで消えかかっていたアオザイが、1980年代末からのドイモイによって復活してきた1995年に、私はサイゴンを旅した。そういう偶然があったのだ。アオザイを「ハノイでは見ない」という私の印象は、私のほんのちょっとの取材でも、場所と時間の問題が絡んでいるらしいとわかった。場所というのは南北差だ。そもそもアオザイは、サイゴンなど南部ではよく着られていたが、ハノイなど北部では南部ほど着ていたわけではないという。これが場所の差だ。時間の差というのは、私がサイゴンに行った20年前の1995年と、ハノイに行った2015年の時間の差だ。街からシクロが消えたように、アオザイも次第に日常のものから、特別の日のものに変わりつつあるという。20代半ばのホテルスタッフにこのあたりの話を聞いた。
「私が高校生のころ、毎週月曜日は制服の日になっていて、制服のアオザイを着て学校に行かないといけなかったんです。でも、いまはもう、そういう規則はなくなりました。何か特別の行事の時だけ着るようになりました」
 つまり、アオザイはかつて制服であり晴れ着でもあったのだが、しだいに晴れ着としての意味が強くなっているのだというのだが、いつくかの資料を読んで、私が初めてアオザイを見た1995年より前の事情もわかってきた。