769話 インドシナ・思いつき散歩  第18回


 アオザイでシクロに その3
(前回の更新をしたこの正月、わがパソコンが突然ぶっ壊れ、ハードディスクの交換か、パソコンの買い替えを決断しなければならない事態となり、パソコンの最新情報を得るにしても、肝心のパソコンがぶっ壊れたのでパソコンを使うこともできず、また新しいパソコンで今以上によくなることはなにもなさそうなので、ハードディスクの交換をした。というわけで、更新が遅れました。あー、これからめんどくせー、各種設定だよ)
 文廟などで、アオザイを着た百人以上の大学生を見たのは、卒業写真撮影のために晴れ着を着ていたというわけだった。雨期が終わった11月からは撮影シーズンになるということで、名所での撮影会をやっておいて、そのあと時間をかけて卒業アルバムにするということらしい。アオザイは、ハノイでは、卒業式や結婚式といった特別の日の晴れ着になっている。あるいは、伝統的音楽の演奏者や外国人相手の高級ベトナム料理店の店員など、エキゾチシズムを演出する道具としてアオザイが使われている。アジアのほかの国でも同じように、外国人観光客が増えると、伝統文化が息を吹き返すという現象である。
 ベトナムの「卒業」について調べていたら、興味深いことがわかってきた。卒業アルバムの撮影は、雨が減り涼しくなってきた冬にやると決まっているのだが、卒業式シーズンというのはないらしい。大学の卒業式は1月から9月ころまで、大学によってばらばららしい。ちなみに、タイの国立大学も、卒業時期は決まっていない。国王が全土の国立大学を回り、卒業証書を授与することになっているから、国王のスケジュールによって卒業式の日程が決まるのだ。
 学校や職場の制服としてのアオザイが廃れていった理由を出会ったベトナム人たちに聞いていくと、最大の理由はバイクによる通学・通勤だという。バイクに乗ると、長い上着の裾が風に舞い、車輪に巻き込まれたら危ない。自転車でも同じような問題があったが、バイクはスピードが速い分、危険度も大きくなったということだ。アオザイが制服になっているサイゴンの高校生の自転車通学の場合、アオザイの長い裾の前の部分はハンドルに掛けたりと工夫はするものの、やはり扱いにくい。後ろの裾が後輪に巻き付くこともある。アオザイと組み合わされるズボンは、地面をするほど長いので、市場やドロドロの地面を歩くとすぐ汚れる。
 そのほかにも、私の推測だが、おそらく肥満と関係があるかもしれないとも思う。ベトナムが豊かになって、肥満が問題になると、体にぴったりとしているアオザイは太るとすぐに着られなくなる。太った体が目立ちやすいという問題もあるようだ。それから、女子高生の制服である白いアオザイは、透けるのであまりにもセクシーすぎるから嫌がる生徒もいるという問題もあるようだ。
 こうして考えてみると、アオザイを着た美女がシクロに乗っているという構図は、現実的にはもはや時代遅れで、ベトナム観光のポスターにしか存在しない時代になったということだ。
 アオザイ以外のベトナムの服装史も調べてみたいと思ったのだが、これが意外に難しい。ベトナム関連ライターは、食べ物について調べるくらい熱心に、衣服についても調べてくれていればありがたいのに、そういう人は多くないようだ。そこでしかたなく、自分で調べてみると、アオザイと同じ問題点があるとわかった。それは、南北の違いと、時間による変化だ。
 まず、ベトナム人が書いた文章から、服装の歴史を要約しておこう。資料は、弘文堂の『もっと知りたいベトナム』(1989年)と、その新版(1995年)に収載されているファン・ドゥック・ロイ氏の「ファッション・グルメ案内」。内容はかなり重複するのだが、2冊分をまとめて要約する。
 「70年代のハノイの町はなんとも色彩のない町でした。町を行き交う人も、男は暗緑色のムーというヘルメットをかぶり、同色の部隊服、サンダルばきが普通でしたし、女はノンという菅笠、クアンという綿の黒ズボン、白いバーバ(ba ba ブラウス)がきまりでした。有名なアオザイは、結婚式など特別なときでなければ見ることができませんでした」
 北部でもハノイのような都会では、フランス時代はアオザイを着ていたようだが、1954年の南北分離以降、抗戦の時代に入り、アオザイは次第に消えて、バーバに変わった。バーバは丸首長袖のブラウスで、ボタンで前をとめる。胸にポケットがふたつある。半袖やノースリーブのものもあり、これはアオカイン(ao canh)と呼び、おもに室内着だ。時代が移ると、それまでの黒ズボンに白いブラウスというスタイルから、上下とも色柄の布を使ったものも出てきて、これをドーボ(do bo)という。
 このバーバというのは、どうも南部の服らしい。ba baの語源については様々な説がある。「おばさん、おばあさん」を表すベトナム語だとか、服飾用語で、前身頃2枚に後見頃1枚の計3枚の布でできているから、「3」を表すbaだとするものもあるが、「その両方」とする説が有力で、現実にも「おばちゃん服」であり、若い女性が人前で着ることはあまりない。
 南部でアオバーバ(ao ba ba)と呼んでいる服は、白いブラウスに黒のズボンという時代から、カラフルな布を使ったパジャマのような上下の服に変わってきた。外国人の目には、室内着やパジャマに見える薄い生地を使った丸首のシャツにズボンも、アオバーバという服だ。実は、アオバーバに関する情報を書いているブログは下のほか多いのだが、私も含めてアオバーバの歴史をはっきりとわかっている日本人はいないのかもしれない。
http://blog.livedoor.jp/iyatare/search?q=%A5%A2%A5%AA%A5%D0%A5%D0
 その理由はすでに書いたように、服装の変化が著しく、その名前と姿がバラバラになっているからだ。昔ながらの白ブラウスに黒ズボンも、カラフルな上下の服も、ともに「アオバーバ」であり、北部風の言い方ではカラフルなものがドーボとも呼ぶらしいというのが、現在の私の理解である。外国人はこのアオバーバを「パジャマ」と理解して、「ベトナム人はパジャマで出歩く」と書く人もいるが、これはちょっと違うのだが、香港など中国人世界で見られる「パジャマの外出」というのが実際にあって、バンコクの中華街でも見られるのだが、その話題に入ると話が横道に入りすぎるのでやめておく。
 ベトナムの衣服について、今後新情報が入れば、訂正加筆をしていこうと思うが、いまはとりあえず、この程度の情報で「まあ、いいか」ということにしておこう。