770話 インドシナ・思いつき散歩  第19回


 チェオを求めて


 地図を見ていたら、チェオをやる専用の劇場(Nha Hat Cheo Ha Noi)があることがわかり、行ってみることにした。上演スケジュールなどまったくわからないから、ホテルのスタッフに頼んで電話をしてもらえば簡単なのだが、それをするとなんだか楽をしてしまったような気がする。「楽」が必ずしも「楽しみ」につながるとは限らない。楽をすると、楽しみを失ったような気もするので、歩いて劇場に行き、上演演目の内容やスケジュールを直接確かめようと思ったのである。ちなみに、Nhaというベトナム語は「家」、「館」と言った意味の語で、街を散歩していると、看板などでよく見かける語だ。
 チェオ、あるいはハット・チェオのことは、ベトナム北部の伝統的歌劇というくらいしか知らないが、生の舞台を見ればそれなりの感動を得られるような予感がした。ハノイ・ハット・チェオ劇場は、我がホテルから直線距離にして3キロくらいだろうが、直線距離といっても、直線で移動できないのだからあまり意味がない。倍の6キロだとしても、大した距離ではない。ハット・チェオの舞台はこういう感じだ。調べれば、動画はいくらでも見つかる。ハノイ・ハット・チェオ劇場の中継録画がこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=OkqlRvtc970
 ベトナムの散歩でもっとも重要で、もっとも難しいことは、道路を渡ることだ。信号などほとんどない。ベトナムに限った話ではないが、いつも自動車で移動する人が交通問題や道路建設計画を考えるから、歩く人のことなど頭の隅にもない。道を渡る人のことを全く考えていない。ハノイに歩道橋は数えるほどしかない。
 私はハノイでよく迷子になった。地図を持っていて、それを見ながら歩いていても迷子になった。もう何十年も街を歩いてきて、なんでこんなに迷子になるのだろうか。その理由がいくつかあることに気がついた。初めは我が頭脳の老化だろうかと思った。年齢を重ねるとともに、脳も確実に老化しているが、それよりももっと大きな問題があることがわかった。何をいまさらという理由なのだが、私は目的地に向かうよりも、おもしろそうな場所を見つけてしまったら、そちらを優先してしまうからだ。つい道草を食い、元の道に戻れなくなったというのは、考えてみれば幸せなことだ。道草を食いたくなる場所がいくつもあるということは、その街がおもしろいということだ。街がおもしろくなければ、最短距離を速足で歩く。ハノイでよく迷子になったということは、街がおもしろいという証拠でもある。脳の老化ではなく、幼児化ともいえるが、これも今始まったことではなく、昔からだ。
 よく迷子になった理由はほかにもある。ハノイの地図はいくつか持っていたが、問題が多かった。バイクしか入れない路地と、自動車道路の幅が同じになっていたり、曲がっている道が直線になっていたりして、頭が混乱する。もっと困ったのは、ベトナム人の街づくりと深い関係がある。道路の名前がよく変わるのだ。極端に言えば、大通りでもブロックごとに道路名が変わるのだ。だから、これはAという道路だから直進だなと思って歩いていると、いつの間にかBという名になっていて、「あれ、間違えたかな」と地図を見るとBという名が表示された道はない。道路名が変わっただけなのだが、道を間違えたかもしれないとあわてて道路Aを探してしまう。クネクネと曲がっている道だと、三差路を間違えて進んだのかと考えてしまう。そして、迷子になる。
 ハット・チェオ劇場探しも、サパでやった郵便局探しのように、手当たり次第に話しかけて、道を聞いた。路上で、あるいは事務所に入り込み、ベトナム語で書いた劇場名を示して道を聞いた。伝統芸能の劇場だから、若者は知らないだろうと思い、路上で老人に話しかけたことがあった。私の「ハット・チェオ」というベトナム語の発音が通じたようで、老人は「うんうん」とうなずいて、ポケットからスマホを取り出した。おお、地図を見せて教えるのか? 老人は指でスマホを指でたたくのだが、画面が出ることはなく、「ああ!」と言って電池切れを嘆いた。
 結局、2時間以上かかって、トンニャット公園そばの劇場についた。公演スケジュールを聞こうと劇場に入っていくと、私の姿を見つけた職員があわてて事務所に走っていった。外国人が来たので、あわてたようだ。事務所にいた女性職員が、「何か御用ですか?」ときれいな英語で言った。私は要件を伝えた。
 「私たちの文化に興味を持っていただき、ありがとうございます。わざわざ来ていただいたのですが、今月の公演は残念ながらもう終わりました。来月は7日からですので、そのときにぜひおいでください」
 「来月はタイにいるので、残念ながら見ることができません」
 「それは、残念ですね」
 長い時間歩いてきたのだから、これですぐ帰ってはもったいない。この機会にベトナムの芸能の話をちょっと聞きたくなった。話をしているうちに、突然「カイルオン」という語が頭に浮かんだ。サイゴンで見たことがある南部の伝統歌劇だ。この芸能のことは『タイ・ベトナム枝葉末節旅行』(メコン、1996年)に書いた。この原稿を書いている今、『ベトナムの事典』(同朋舎、1999年)を読むと、南部の宮廷劇を改良したのがカイルオンで、漢語「改良」のベトナム語読みが「カイルオン」だと初めて知った。まあ、新国劇みたいな発想だと考えると、やや近いかもしれない。
 「ハノイでカイルオンは見ることができますか?」
 このカイルオンという語の発音が難しいことは知っているから、通じるかどうか心配だったが、一度聞き返されただけで通じた。
 「はい、ハノイでもやってますよ。スケジュールを聞いてみましょうか」
 彼女はすぐさまノートで電話番号を確認し、受話器を手にした。右手にボールペンを持ち、メモをする準備もできた。電話はすぐに通じ、話が始まったが、右手が動かない。メモすることがないということか。受話器を置いた。
 「残念ながら、今、地方公演に出ていて、しばらくはハノイに帰って来ないそうです」
 舞台が見られないのは残念だが、こういう親切、心遣いがありがたい。それで充分ということにしておこう。何度も礼を言って、劇場を出た。またハノイが好きになった。すぐにホテルに帰らなければいけない用などないので、帰路は食事をしたりコーヒーを飲んだりして、4時間ほど散歩して宿に戻った。
 何かベトナムの芸能を見たいという希望は消えないので、たまたま散歩のときに見つけたカー・チュー(Ca Tru)の公演を寺でやっていることを知ったので、行ってみることにした。かつては文人のたしなみであった芸能というので、謡曲をイメージした。保存会の公演のようなもので、子供がやるのは学芸会のようだが、師匠の演奏と歌はちょっといい。上流階級の芸能なので、私好みの「熱狂」はない。