771話 インドシナ・思いつき散歩  第20回


 バイク&自動車


 散歩をしていれば、車道も見る。かつて道を埋めていた自転車は、二十数年で全部と言っていいほどバイクに変わった。そのほとんどは小型スクーターである。遠目で見ればバンコク台北の風景と変わらないようだが、じっくりと見ていくと違いが見えてくる。ひとつは電動バイクの存在だ。高校生が乗っているのは、制服ならぬ制バイクじゃないかと思うほど皆同じ形で、よく見るとペダルがついているからモペッド(moped。Motorとpedalの合成語)といった方がいいようだ。ベトナムでは50cc以下のバイクは免許証はいらないのだが、電動バイクの免許規定は知らない。まあ、高校生が乗っているモペッドに免許はいらないだろう。“HONDA”のロゴが入ったモペッドを見つけたが、どうせバッタ物だろうと思ったが、調べてみればホンダもベスパも、モペッドも作っていることを知った。
 ベスパの存在が、ベトナムの特色だ。わたしはちょっとベスパフェチという部分もあって、散歩の途中、ベスパの販売店を見かけたときは、商品をうっとり眺めていたことがある。赤と黄色のべスパがとりわけ美しい。ベスパといえば、映画「ローマの休日」や松田優作の「探偵物語」に登場したことで有名だが、私が好きになったのはそういう映像ではなく、ヨーロッパの街を走っているのを実際に見てからだと思うが、どの街だったか覚えていない。
http://www.gmlv.co/works/vespa/
 ヘルメット着用は1990 年代に一度義務化されたそうだが、厳しい取り締まりはしていなかったようだ。2007年にふたたび義務化されたが、着用率は8割といったところか。夜間、一方通行の道を逆走してきたバイクの、ライダーも後ろの座席にしがみついている幼児も、ともにヘルメットをかぶっていなかった。歩道を歩いている私の方が怖くなる危険行為だ。こういう行動が、けっして珍しくない。ちなみに、1990年代にバンコクでもヘルメット義務化が決まり、1週間もたたずにほぼ100%の着用率になったので驚いたことがある。これほどすばやく着用者が増えたのは、ヘルメットをかぶっていないと、小銭が欲しい警官たちにカツアゲされたからだ。警官たちに毎日カネをふんだくられるくらいなら、ヘルメットを買った方が安いという判断だったからだよと、あるタイ人は言った。
 自動車にもベトナムらしさがあった。タクシーは韓国の起亜の軽車(1000cc以下)が多く、バスは大宇(現・韓国GM)や現代が多い。乗用車では圧倒的に日系メーカーの車、とくにトヨタが強いように思うのだが、高額車はちょっと事情が違う。ベトナムにも金持ちはいるから、ある程度はメルセデスBMWが走っているだろうと思っていた。バンコクと比べると、ハノイでは「走っていないわけではない」という程度でしかない。ベトナムでは自動車に高額の税金がかかっているから自動車価格は非常に高い。物価が日本よりもずっと安いベトナムで、自動車価格(諸費用も加えた総額)は日本の2〜3倍もする。だから高額車(高級車といっていのかどうか、よくわからない)は、タイほど多く走っているわけではない。ドイツの高い車はそれほど多くはないが、高い車は走っている。「おっ、高いぞ、これは」と思う車に出会って、ナンバープレートを見ると外交官用の車で、なるほど。ベトナム人が乗っている高額車はSUVだ。レンジローバーランドクルーザー、フォードやマツダの2列シートのピックアップトラック(例えば、Ford Ranger Wildtrak。MAZDA BT-50 4×4は、タイにあるマツダとフォードの合弁会社で製造している)などを見かけた。
http://www.topgear.com.ph/features/columns/wrong-car-right-car-online/a-reader-asks-should-i-buy-the-ford-ranger-wildtrak-or-mazda-bt-50
 ベトナムは悪路が多いというのは事実だが、SUV人気というのはそういう道路事情だけでなく、おそらくアメリカ人の趣味が反映しているような気がする。中国人もSUVが大好きらしいが、そのことと何か関係があるのかどうかは知らない。
 ハノイで見かけた珍しい車といえば、旧ハノイ城跡の正北門前に止まっていた三輪乗用車だ。多分中国製だろうと思って帰国後調べてみたが、よくわからない。下のサイトで紹介している車に似ているが、私が見たのは白い2ドア車で、メルセデスのマークを付けていた。マークなどいくらでも買えるから、もちろんメルセデスの車ではない。こういう実用価値がほとんどない「贅沢車」の所有者は誰だろう。
http://sanlunmotor.hatenablog.com/entry/2015/09/23/064820
 珍しいと言えば、珍しいバスにも乗った。ハノイ郊外のバチャンに行った路線バスだが、これがやたらにうるさかった。うるさいといえば、普通はエンジン音や風切り音がうるさいのだが、このバスは車体がきしむ音がうるさかった。合成が悪いので、いたるところの鉄板がギシギシときしんでうるさい。大宇のバスだが、バスに仕上げた(これを架装という)のはベトナムだろうから、大宇の責任ではないと思う。
 韓国のバスといえば、よくわからないバスを見た。ハノイの街中を走るバスの横原に、「延世大学」と書いてあった。新車だった。昔は日本から輸入した中古のバスが走っていたが、今は見ない。インターネットで調べた限りでは、「延世大学ハノイ校」というのはないようで、あれはなんだったのだろう?
 1995年から97年までの、ハノイの駐在員生活を書いた『ベトナムの微笑み』(樋口健夫平凡社新書、1999)によれば、庶民の乗り物が自転車からバイクへと変わるのが、90年代なかばのことらしい。1990年代なかばの、自動車とベトナム人に関する記述もある。
 「ベトナム人の家を訪問するのに、車では行けない。車はまだまだ目立ちすぎるからだ。ほんの数年前までは、外国人がベトナム人の家を訪問することは不可能だった。昔の一時期は、訪問中の外国人には、ほとんど尾行がついていたという。今はない。それでも近所の目というのは、やはり意識しているらしい」
 ちょっと前まで、ベトナムはそういう国家だったのだ。腰を据えて調べれば、「ベトナムの自動車」をテーマにすれば、政治史や経済史や生活史など、いままであまり書かれていないベトナム史が描ける。