772話 インドシナ・思いつき散歩  第21回


 コリアンダー

 ハーブのコリアンダータイ語ではパクチー、中国語では香菜という。この植物をベトナム語ではザウ・ムイ(rau mui)という。現在の日本では、ベトナム製インスタントラーメンの袋でいくらか知られている語かもしれない。ベトナム製ラーメンなのに、「パクチーラーメン」とタイ語の名前になっている。アオザイのところで書いたように、ベトナム北部ではR音はZ音になるので、Rauがザウになるのだ。ザウは「野菜」のこと。ムイは「匂い」だから、文字通り翻訳すれば「香菜」となる。ちなみに、タイ語のパクも「野菜」だが、チーの意味がわからない。
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 私はこの植物が大嫌いで、タイでもこの植物を細心の注意を払って排除している。ところが、20年前に初めて行ったベトナムでは汁麺にザウ・ムイが入っているということを知らずに料理を注文し、知らぬままその料理を口に運んだ。かすかに伝わる臭気で、「あっ、パクチーが入っている」とわかったが、気にもならずに食べ続けた。タイでは決して口にしないのに、ベトナムではなぜ食べられたのか。それは料理の温度が違うのだという話を、『タイ・ベトナム枝葉末節旅行』(めこん)に書いた。タイの汁麺の温度は低いが、ベトナムでは汁は高温なので、ザウ・ムイが煮た感じになり、臭気がかなり消えるという仮説だ。
 今回は、20年ぶりのザウ・ムイ、ベトナムコリアンダー再考である。
 フォーとかブンと言った汁麺を作っているところを注意深く観察していると、コリアンダーの投入量がそもそもタイとは違うことがわかる。ハノイに来る直前のバンコクで汁麺を食べた時は、もちろん「マイ・サイ・パクチー」(パクチーを入れないで)と言った。私のあとから店に入ってきた客は、当然何も言わないから、丼にパクチーが投入された。この店は、「ひと摘み」ではなく、「ひと握り」も投入したから、丼の表面が緑一色になった。これは殺人行為と言える。忘れずに「パクチーを入れないで」と言ってよかった。
 ベトナムの場合は、と言っても私が体験したわずかな例でしかないのだが、アサツキ8割にザウ・ムイ2割くらいの比率でパラパラと振りかける。ザウ・ムイの量が初めから少ないうえに、ベトナムでは汁の温度が高い。タイのように、もともと手づかみで食事をしていた文化圏では、手でつかめないほど高温の料理は口にしない。猫舌なのだ。一方、昔から箸を使ってきたベトナム人は、日本人と同じように熱い料理を好む。とくにハノイの冬は気温が低い。汁麺の汁が高温だから、ザウ・ムイの臭気がかなり消えてしまう。それがわかっているから、「ザウ・ムイ入れないで」とは言わずに、料理を注文していた。ついでに言うと、旅行記や滞在記ではおおむね好評なフォーなのだが、サイゴンでフォーを食べた時は、「あんまりうまくないなあ」という感想だったのだが、ハノイで食べると実にうまい。ベトナムの本を読むと、「フォーはハノイが本場」だと書いている。その真偽は私にはわからないが、ハノイのフォーは私の口に合った。
 ある屋台でのこと、私は米の押し出し麺ブンを注文した。作っているのを見ていて、腰を抜かしそうになった。ザルに麺を入れ、もやしを入れた。ここまではタイと同じなのだが、この屋台では根を切っただけの長いままのザウ・ムイひとつかみもザルに入れ熱湯にひたした。ザウ・ムイは青菜と同じ扱いだ。「さて、どれほど臭いか」と、決死の思いでその汁麺を食べてみると、食べられないというほど臭くはない。ゆでて、臭気がかなり消えたのだ。これほど大量のコリアンダーを食べたのは、わが生涯最初のことであった。
 ベトナムでたった一度だけ、「ザウ・ムイは入れないで」と言ったことがある。私がフォーを食べていたら、汁なし麺を注文した人がいた。麺をゆでて丼に入れ、ヌクマム(魚醤油)などで味付けし、その上にザウ・ムイを大量に乗せた。料理名を聞いたら、フーティウ・ナムバンという。その翌日、あの料理を食べてみたいが、加熱していないザウ・ムイは食べられないので、初めて「ザウ・ムイは入れないで」と言って注文したのだった。汁なしの和え麺はタイでもあるが、ベトナムのものはタイよりも野菜・香草が多い(タイ北部や東北部では、麺料理に大量のハーブや野菜を入れるのだが)。フーティウというのは、生麺であるフォーを、ちょっと乾燥させたもので、タイで「クイティアオ・センレック」と呼ぶ麺に近い。ちなみに生ビーフンのブンは、製麺時に発酵過程があるという点でもタイの「カノムチーン」と同じだが、食べ方はかなり違う。
 タイでは見かけないが、ベトナムでは普通に食べているのがシソだ。赤と緑の両方あって、日本のシソとほとんど変わらない香りだ。在ベトナム日本人にも好評らしい。私はシソが好きなので、これはありがたい。名前を聞くのを忘れたが、虫食いだらけのサニーレタスという感じの野菜があった。これはタイでは見たことがない。レタスのような感じだろうと思って口に入れたら、芳香剤の匂いがした。ハーブは、芳香剤や消臭剤の匂いを思い出させるのが難点だ。