774話 インドシナ・思いつき散歩  第23回


往年のハリウッド映画とベトナム必読書


 ハノイを散歩していると、「この街なら、往年のハリウッド映画が撮影できるな」という予感がしてくる。1950年代のアメリカ映画は、観光映画という側面もあった。「ローマの休日」は現在に至るまで、史上最大のローマ観光映画になっている。キャサリン・ヘップバーンの「旅情」(1955年)はベネチアジェニファー・ジョーンズの「慕情」(1955年)は香港。この「慕情」は、旅する西洋の男がアジアで恋に落ちるという「蝶々夫人」のパターンで、主題歌も「蝶々夫人」のアリアにそっくりにできている。
 もし、誰かが1950年代の「蝶々夫人」モノの映画を作ろうとしたら、その舞台としてハノイが最適かもしれないなどと、散歩をしながら考えていたことがある。現在のところ、ハノイの中心部には高層ビルはそれほど多くない。カメラの角度をちょっと工夫すれば、CGなど使わなくても、古い街並みのまま撮影できる。
 ハノイには海も山もないが、川と湖がある。ハノイは湖の街である。ホアンキエム湖、タイ湖、ティエンクアン湖、バイマウ湖など、いちいち数え上げれば十数の湖が点在していることがわかる。
 じつは、上の文章を書いてから丸一日文章を書かなかった。あることに、突然気がついたからだ。ベトナムに行くと決めてから、ベトナムの本を一冊も読んでいないことに、たった今気がついたのだ。今までベトナムに関する文章を書いていながら、資料をほとんど読んでいないのだ。意識して読まないようにしていたわけではなく、なんとなく読まないでいただけだが、しいて言えば、現地を知らずに資料を読んでも、その内容をほとんど理解できないことをよく知っているからかもしれない。なじみのない地名や道路名や人名が出てきても、実感がないと情報は脳には届かない。
 そして、ベトナムのことを書いている今、ベトナムの本、とりわけハノイに関する情報を得ようとはじめて思い、きのうから棚にあるベトナム本を久しぶりに点検した、数十冊はある本はもちろんすでに読んではいるのだが、だいぶ前のことなので、詳しい内容は忘れている。翻訳小説を除いて、内容をチェックして一気に再読したのは、次の4冊(すでに、アオザイに関する記述などに文献が出てくるが、この第23回の文章を書いてから加筆訂正したものだ。一気に30話分ほどの文章を書き、随時発表していく方式をとっているので、時間的に食い違うことが出てくる)。
 『ハノイの憂鬱』(桜井由躬雄、めこん、1989)
 『ベトナム横丁喧喧録』(水野あきら、アリアドネ企画発行、三修社発売、1995年)
 『ベトナムのこころ』(皆川一夫、めこん、1997)
 『ベトナムめし楽食大図鑑』(伊藤忍+福井隆也、情報センター出版局、2006年)
 初めて読んだときに、「おもしろい」と思った本は、やはり今再読しても読みごたえがある。ちゃんと取材して、じっくりと考えて書いた本は、時間がたっていても色あせない。21世紀に入ってから、ベトナム関連の本をほとんど買ってもいないし、あまり読んでもいないのは、ベトナムに関する興味を失っているということもあるが、「必読書」と言えるほど優れている本はすでに出版されていて、それを上回る本は出ていない。学術書以外の本、足は使うが頭は使わないガイドブック一辺倒になってしまったからでもある。
 ハノイに話を戻す。ハノイに湖が多い理由は、ホン河が氾濫して低地のハノイが洪水になり、大地の穴に水が溜まったということらしい。変化に富んだ風景の理由は、洪水が原因だった。ハノイはホン河の内側にできた街なので、漢字では「河内」と書き、「ハノイ」と読んだ。
 私がハノイに魅力を感じたのは、「時間」に魅力を感じたのだとわかってきた。
日本でも外国でも、積極的に「保存しよう」という行為によって時間が保存された場所がある。京都のような街だ。古都を手間と費用と時間をかけて保存している街はヨーロッパにはいくらでもあり、ドイツのドレスデンのように、第二次大戦で破壊された街を元通りに再生した街もある。それとは逆に、保存しようなどとはまったく思わなかったのに、残ってしまった場所がある。ポルトガルの街は経済的に苦しい時代が長く続き、「そのまま残ってしまった」街だ。日本の蔵の街とか宿場町なども、明治になって遠くに鉄道駅ができたために、その気もないのに「江戸の繁栄が保存された」場所だ。保存する気などなかったのに、日本の近代が「残ってしまった」のが、小樽だ。
 それと同じように、ハノイは1930年代のフランス植民地時代がそのまま残ってしまったのだ。フランスが放棄し、日本軍が入ってきて、またフランス軍が戻ってきて、長い長いベトナム戦争時代にアメリカ軍の空襲を受けたが、ベトナム戦争以後の困窮した経済事情のせいで現代的に再開発する余裕がなく、街が大きく変わる機会がなかった。工業や商業の中心地はサイゴンに任せ、ハノイは政治の中心地であり続けた。サイゴンは私が行った20年前は近代的ビルなどほとんどなかったが、その後高層ビルが林立する街に変わっていった。一方ハノイは、今はまだ高層ビルはそれほど多くない。フランス時代の建物は、この20年ほどの間に補修保存されている。ありがたいことに、ホアンキエム湖あたりを散歩していて、視線をさえぎるジャマなビルがない。中心部に高層ビルがないのだ。それだけでも、散歩が楽しくなる。ビルが邪魔なタイ湖北岸には行っていない。
 ニューヨークや香港のように、私が初めて見た時から高層ビルの街なら、それはそれで受け入れるが、ガラス張りのピカピカ高層ビルばかりが並んでいる街に魅力を感じない。ああ、そうか、今気がついたが、かつては「通う」と言っていいほどよく行っていた香港に、返還(1997年)後は一度しか行ってないのは、ピカピカガラスビルの街に嫌悪を感じているからかもしれない。そういえば、シンガポールにも、行こうという気にならないなあ。