空港へ
ハノイの街から空港へは路線バスでも行けるようだが、時間が計算できないのであきらめた。タクシーは料金トラブルの話を耳にしていたので、ちょっと高くなるが、ホテルのロビーで営業している旅行会社の車を使うことにした。35万ドン(2000円弱)の料金を提示され、高いと思ったが受け入れた。のちにインターネットで調べると、この料金が固定料金として定められているとわかった。つまり、毎日雑談をしていた旅行社のスタッフは、ぼったくりの料金を請求していなかったわけだ。ただし、ベトナムの物価を考えれば、この料金は高い。食堂で麺料理が数万ドンだから、その10倍の料金ということになる。
車が来る10時まで、朝食後の食堂でそのまま日記を書いて過ごすことにした。1行目にこう書いた。
「旅の出来事を日々プラス・マイナスしていき、その結果がいくらかでもプラスになれば、その旅は上出来だ。今回のベトナム旅行は、大きなプラスで終わろうとしている」
毎日が楽しかった。ハノイは、そしてベトナムは、とりたてておもしろいわけではないだろうと予想していたので、ビザを取って長期滞在など考えず、たった2週間のビザなし滞在にしたのだが、幸か不幸か、予測は外れた。ハノイは楽しかった。まだ足を踏み入れていないハノイがいくらでもある。ハノイ以外で行きたいベトナムの都市もいくらでもある。ベトナムに後ろ髪ひかれて去ることができるのは、幸せな旅だという証明でもある。
ハノイの北にあるノイバイ空港までソンホン川を渡ってしまえば、林でも農地でもなく、荒れ地だ。昔は川を渡るのが大変で、ロンビエン橋の手前で数時間も待たされるということもあったそうだ。自動車時代に適応した近代的なニャッタン橋が完成したのは2015年の1月だから、私は出来て間もない橋を利用したことになる。時を同じくして、ノイバイ空港の第2ターミナルの運用が開始された。つまり、「ハノイ観光の時代」が、2,015年に本格的に始まったと言えるだろう。
空港に向かう道路の周辺は、広大な住宅地や工場用地を予定しているのだろう。ほとんど車は走っていないから渋滞などとは縁遠く、わずか40分で到着した。ハノイ中心部から空港までの距離は、資料によって「45キロ」説のほか「30キロ」説もあり、はっきりしない。きょう40分で到着したことを考えると、45キロもないと思う。殺風景な沿道は、40年以上前のバンコク市街とドンムアン空港の沿道にも似ている。ハノイに到着したときは夜だったので、この景色を今初めて見た。
空港でチェックインしたあと、銀行の窓口に行った。財布に100万ドンほど残っている。本やCDやDVDを買うかもしれないと思い、少し多めに両替していたのだが、買い物はまったくしなかった。数日前に、ベトナム音楽のCDを買おうと店に行ったことがある。あれこれと品定めをしているうちに、買う気を失った。伝統音楽のCDを買おうと思ったのだが、どれがいいかわからない。「ベトナム伝統音楽大全」といったCDを買いたい。DVDでもいい。前回のベトナム旅行では、サイゴンでCDを50枚か60枚ほど買ったのだが、「これはいいぞ!」というのはあまりなかった。そういうことを思い出したら、日本のビクター盤の民族音楽シリーズを解説書付きで聞くか、Youtubeで動画を見た方がわかりやすくていいなどと思った。コンサートや舞台の動画なら、楽器もよくわかる。というわけで、CDは買わないことにした。
買いたい本は何冊かあったが、重く、大きく、高い。これから旅を続ける身には、荷物になる本は持ち歩きたくない。それに、私が買おうとしているのは英語の本なので、バンコクのAsia Booksや、帰国後アマゾンなどで買うこともできそうだ。「現地で買えば安い」という法則はないことを、いままでの旅でよくわかっている。結局、なにひとつ買わなかった。「買えばよかったか」とわずかに心残りだったのは、国立博物館の売店で売っていたトートバッグだ。今となっては、それが染めだったのか刺繍だったのかも覚えていないが、すばらしく良かった。博物館の売店で売っている程度の物は、街の店ならいくらでも売っていて安いだろうと思ったのだが、あの手のバッグは2度と出会わなかった。
そういうわけで、空港に着いた時、財布に100万ドンも残った。水と絵ハガキと切手以外何も買わなかったから残った財産だ。10万や50万ドン札もある国なので、100万といってもそれほどの大金ではないが、全財産を窓口にさし出したら、47米ドルが返ってきた。ベトナムでは、やはり、大金だ。
今、この文章を書くために、昔のノイバイ空港の資料などを本棚で探す。『地球の歩き方 101フロンティア ベトナム』(1989)を取り出して眺めた。これが、「地球の歩き方」のベトナムガイドの最初の本だ。ハノイの地図を見ると路面電車の線路があって、電車の写真もある。「最近では市電は古くなり、トロリーバスがふえつつある」という写真解説がついている。この本が発売されたころ、市電は廃線となった。今は、トロリーバスさえない。路面電車が走る時代の風景を見ておきたかったとは思うが、あの時代、まだ団体旅行しか許されなかったから、私はベトナムに行こうとは思わなかったのだ。高くて窮屈な団体旅行だと、役人とケンカしそうだ。そんな旅行は、ごめんだ。
「昔の旅遊び」のついでに、『メコンの国旅行情報ノート』(旅行人、1995)を取り出して、昔のハノイを偲ぶ。ハノイ地図に、もはや市電の線路はない。ノイバイ空港からハノイ市内まで、タクシーは15ドルだというから、今と変わらない。ドミトリーの安宿はなく、ホテルは安くても10〜15ドルというから、今と変わらない。ホテルの質は格段に向上しているから、質を考えればむしろ安くなっていると言える。
現在のハノイを知っている人に、ちょっと前のハノイの写真をネットで見つけたのだが、撮影者などの資料は一切なし。
http://www.aa.tufs.ac.jp/~hkuri/camp/hanoi.htm
ベトナムの話だけで書いてきて10万字をはるかに超えた。それでも、まだ書きたいことはある。しかし、もういいことにしよう。これで終わりにする。いよいよベトナムを出国するが、旅の話はまだしばらく続く。はたして、読者は付いて来るだろうか?